デリヘルじゃなくて性奴隷だった

「えぇ……?」

 ドンドン、と玄関の扉が鳴ったので、覗き穴から外を伺うと女の子が立っていた。
 安アパートとはいえ、呼び鈴くらい付いているんだからそれ鳴らせよ、とは思ったが、深夜だしもしかしたら暗くてよく見えなかったのかもしれない。とはいえノックなんてレベルじゃない音を出す必要もないだろう。どうせ隣は空き部屋だから近所迷惑ということもないが。

「……。えぇ……?」

 そして扉を開けた先、俺はもう一度同じ言葉を吐いた。

「んむ……ぅん」

 確かにデリヘルは呼んだ。メイド服のオプションも付けた。
 だけど、猿轡に全身拘束なんてボンデージスタイルで来ると誰が思うだろうか。


▼


「え……と、デリの子?」
「んぅ」

 恐る恐る確認すると、ボールギャグを噛んだ女の子はこくりとうなずく。
 ぱっと見はメイドさんだ。メイド服を着ているのだから当然だが。しかし、メイドさんはこんな身体中を黒い紐のようなもので縛られているのだろうか。それに、暗くてよく見えないが、ブーツを履いた両足の間には、鎖が渡っているように見える。

「そ、そう……。あの、……あ、いや! と、とりあえず入って!」

 およそ想像していなかったとんでもない格好で混乱はしたが、女の子が今外にいることを何とか思い出し、中に招き入れた。

「……お、おぉう」

 明るい部屋に入って、改めて見直す。
 黒い紐だと思っていたものは、革のベルトだろうか。イメージプレイでするような緩い装着ではなく、メイド服を巻き込むどころか肉を縊り出すように上半身を縦横無尽に締め付けている。エプロン生地が伸びてしまいそうなくらい絞り出された胸が目に毒だ。
 土間に立った両脚はサイハイブーツだろうか、編み上げの上から等間隔にベルトで絞られている。足首にはステレオタイプの囚人が着けていそうな金属の足枷と、それを繋ぐ鎖。長さは肩幅あるかどうか、これでは走ることも難しいだろう。
 両腕は、部活動よろしく後ろ手に組んでいるだけだと思っていたが、よく見ると黒い革袋、アームバインダーに収められていて、こちらも編み上げとベルトで厳しく絞られていた。

「そ、その恰好でここまで来たの?」
「んぅ……」
「すごいね……。え、さすがに近くまでは車で送ってもらってるんだよね?」
「ん」
「そ、そうだよね……。はは……」

 世間話のつもりが、我ながらぎこちない。
 いや、だって、どうしゃべれっていうんだ。デリヘル呼んだらこんな子来ちゃって。というか店もどういうつもりだ。もしかして何かそういうキャンペーン中だったりするのか。

「ん……んん……っ」
「え、あ、何? ……あ、そのかばん?」

 お互い向き合ったままボーっと突っ立っていると、女の子が自分の肩に掛けられたショルダーバッグを主張してきた。というか衣装と拘束に目が行ってバッグを掛けていることにすら気付かなかった。

「開けていいの?」
「んぅ」
「んじゃ……。……まぁ、中身は予想通りというか……ん?」

 バッグの中身は大したことはなく、エチケット関係やいくつかのおもちゃ。それと、一つの便せん。

「えーっと、……『本日はご利用ありがとうございます。誠に勝手ながら、当初そちらへ伺う予定だった者が急病のため、また他の者も都合がつかなかったため、急遽そこにいる者を手配いたしました。そういった事情のため、チェンジの場合は返金にて対応させていただきます』……他にもつらつらと書いてあるけど、ようするにピンチヒッターってことか……」

 そんなことあるのだろうか?
 だとすると、この拘束はサービスか何かなのだろうか?
 もしかして一杯食わされているのでは……などと、不安と戸惑いがぐるぐると頭の中を駆け巡る。

「……んん」

 だけど、目の前の女の子は、正直可愛い。くりっとした目も、ショートボブの柔らかい髪も、童顔の割に女性を強く主張する肉付きのいい身体も。

「チェンジなんかしないよ。君がいいな」
「……! んぅっ」

 何より猿轡越しの笑顔が、俺の心を鷲掴みにしていた。


▼


「とりあえず上がって」

 二人して突っ立っているだけだったので、入室を促す。だけど、女の子は動かない。
 もしかして俺の部屋が汚くて入りたくないのか……。などと割と真剣に凹みだしそうになったところで、その視線に気付く。

「え、あ、そうか、靴脱げないのか」

 考えてみれば当たり前だった。彼女は後ろ手に拘束されているのだ。そんなことにも気付かない自分がどうしようもない鈍感に思えて、項垂れるように足元にしゃがみ込む。

「……って、これ、脱ぐとか、脱がないとか、そういうあれじゃない……」

 しかし、俺は思い知った。くだらない羞恥心なんか吹き飛ぶくらいの、彼女の状態に。

「全部、鍵掛かってんじゃん。ベルト、一個一個。それにこれ……、足枷も、鍵穴、無くない?」

 肌が見えないくらい長いブーツを脱がそうとして、徐々に理解する。
 彼女のこれは、ファッションじゃない。本当に、……拘束具、なんだと。

「え、うそでしょ……。ちょ、あの、後ろ向いて……!」
「……ん」

 嫌な予感がする。俺は馬鹿みたいに動揺しているのも隠さず、彼女の背面を観察した。

「……アームバインダー、だよね。それは知ってる。でも、こんな細く絞れるもんなの……? いや、そうじゃなくて、これ、南京錠、何個付いて……、いやだから、そうじゃない……」

 見ればわかる。でも、口に出さないと信じられなかった。
 厳しい拘束。それはわかる。SM、ボンデージ、それも知ってる。
 だけど、目の前のこれは?

 この、『取り返しのつかなさ』は?

「鍵穴、全部、無いんだけど……!?」

 クラクラした。他人事なのに。まるで家の鍵をどこかに落とした時のように。焦燥感が心臓を走らせる。
 外す気がない? まさか、そんなはずはない。彼女にだって生活がある。お店にだって体裁がある。そうだ、何を先走っているんだ。そんなはずはない。馬鹿は俺だ。そんなこと、普通に考えてあり得ない。

「あ、はは……ごめん、大きい声出して。これ、大変だね。お店からずっとこの状態でうちまで来たんだ?」
「ん……」
「へー。じゃあ、お店に帰ってから外してもらうんだね。そうだよね、これ、結構難しそうだもんね、外すの。専用の工具とか必要そうだし……」
「……」

 ふるふる、と首を横に振る彼女。

「え……?」
「……」
「はは……、なに、もしかしてずっとこのまま、とか……まさか……」
「……ん」
「は、は……?」

 さすがに乾いた笑いも枯れ果てて、俺は表情を強張らせた。

「いや、うそ……は? それ、犯罪じゃない? 店、やばいとこなの?」
「……」
「弱み? なんか握られてる? そういうこと? どうし、あっと、これ、あれか、警察……?」
「っ!? ……んん!」

 警察、という単語が出たところで、彼女が強く首を振った。
 どう考えても尋常じゃない。こんなの、絶対マズイ案件だ。なんてこった。よりによって、特大の当たり、いやハズレを引いてしまった。

「もしかしてだけど、お金? 借金、とか……?」
「……ん」

 なのに、俺の口は止まらなかった。
 大人しく時間まで待って、何事もなくこの子を帰して、それでおしまい。それでいいはずなのに。

「どれくらい? 1年くらいただ働き、とか?」
「んん……」
「さすがに違うか。半年くらい?」
「んん……」
「え、三か月……?」
「んん……」
「……。まさか、一生かかっても、なんて……」
「……ん」

 そのくせ、聞くだけ聞いて絶望して、それで終わり。
 彼女がとんでもない地獄の真っただ中で飼い殺しにされているのを知って、この世の理不尽を呪って。
 そして、何もしてあげられない自分に、ほんのちょっぴり安堵していた。
 そんな自分にどうしようもなく失望して。

「じょ、冗談きついな……」

 冗談きついのは、自分のほうだ。
 他人の人生が終了している事実と対面して。自分では二度と解けない拘束でガチガチに自由を奪われたその姿を凝視して。
 憐れむ表情とは裏腹に、俺の股間は張り裂けそうなくらい勃起している。

「じゃあこの身体中を締め上げるベルトも、助けを呼ぶ言葉を奪う猿轡も、一生そのままなんだ……」

 さすがにメンテナンスの必要もあるし、どうにかして外すんだろうけど。それでもそこに彼女の意志は介在しない。できないはずだ。

「ただただこうして、客に身体売って、死ぬまで金稼ぎの道具にされるんだな……」
「んぅっ!」

 それはまさに性奴隷だ。プレイではなく、本当の意味で。
 性奴隷のアイコンともいえる首輪。そこに付けられたプレートに名前が刻んであるのが今更見える。でも、名前を呼ぶ気にはなれなかった。ただそこから垂れ下がるリードを掴み、顔を引き寄せる。

「……なんで。酷いことを言われてんのに。酷い境遇に沈められてんのに」
「ん……!」
「そんな、……顔をしてんだ」

 震える身体。唇。まつ毛。
 潤んだ瞳。涙。

「は……ぁ……」

 艶っぽい、吐息。

「……」

 きっとこれは、彼女なりの防衛本能なんだ。俺はそう思うことにした。
 そうであるならば、余計な口出し、手出しは無用だ。俺はただの客、どうこうできる権利も筋合いもない。そう自分に言い聞かせ、何度か深呼吸をしたら、ある程度は感情も治まる。

「そう、俺、客なんだよな……。メイド服のオプションまでつけて。馬鹿みたいじゃん」
「ぅ……ぅ」
「あ、いや、君を責めてるわけじゃなくて……。あー、なんつーか……」

 なんて、治まるわけねーじゃん。ぐちゃぐちゃだよ。俺の感情ぐちゃぐちゃすぎてもう訳わかんねぇ。
 とりあえず抜きたい。抜きたいけど、彼女の口には外せそうにない猿轡がしっかりと嵌っている。さっきから唾液がトロりと、いやゴポりと溢れては、エプロンに染みを広げているのがたまらなくエロい。なのに、フェラの一つもできなそうだ。

「……」

 無言でエプロンドレスのスカートを捲り上げる。為すがままで顔を赤くして視線を伏せる仕草がとてつもなくあざと可愛い。だけど目の前の銀色に光る金属のベルトは可愛くない。
 何となく予想はしていた。貞操帯だ。彼女は身体の自由だけじゃなく、性欲や排泄も管理されているのだ。
 ここまでくると笑えてくる。ご丁寧にバッグの中には鍵も入っていて、客だけが開けることを許されている。この鍵をどう使うかは客次第、ということか。そういう意味では、ちゃんとイメクラ的な要素もある気もする。内容はとんでもなくハードだが。

「とりあえず、さ」

 言いながら、彼女を背面から抱いたまま、ベッドに腰掛ける。俺の腕の中にすっぽりと収まる彼女は、拘束も相まってとても無防備に見えた。

「今日は俺、『鍵』使う気はないから」
「……っ!?」

 だから、なのか。それも含めて、なのか。
 どちらにせよ、肉体的な性欲を、精神的な性欲が上回るなんて。そんなこと、初めて知った。

「俺は君の全身を味わう。まさぐる。触って、撫でて、抓って、擦って、揉んで、嗅いで、弄って。君が貞操帯を外してって泣き叫んでも、絶対に外さない。止めてって暴れても、絶対に止めないし、逝かせない」
「~~~っ!」

 この現代で。こんな平和な国で。それでも法の目をかいくぐって、確かにこうして存在する。
 性奴隷なんてファンタジーがリアルに目の前にいてくれる奇跡を、存分に感じたい。

「その代わり、最後にはぎゅうって抱きしめてやる。君が俺のところに来てくれてありがとうって。『一生性奴隷として生きてくれてありがとう』って。もしかしたら君はそれでも逝けるのかな。でもいいよ。そんな人生終了した地獄みたいな現実を他人のズリネタにされて、それでも逝けるのなら」
「は、あぅぅぅ、うう~~……っ!!」

 そしてそんな最低な感情を忘れられずに、きっと俺は探し続けてしまうだろう。
 どこの店のサイトにも載っていない、彼女という記憶を。

 そしていつの日かまた出会ったら、その時は……。

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