外伝『アクリルオットマン』

 どうやら型を取られるらしい。

「手はこう、前に持ってきて」
「こう?」
「そうそう」

 といっても、今はまだバリバリ動けるけどね。
 繭子の指定するポーズをとりながら、これからの自分の姿を想像する。

「足は? 正座でいい?」
「うん。正座がいい」
「りょーかい」

 アクリルの大きな水槽みたいなケースの中に、全裸で正座するあたし。
 小さい廃工場みたいな作業場を貸し切ってやっているから、見ようによっては、マッドサイエンティストに捕まった哀れな被害者に見えるかもしれない。
 繭子は繭子で怪しげな液体もどきをかき混ぜているから、余計に。

「……さっきから、何混ぜてんの」
「これ? ……すぐ分かるよ」

 意味深に笑うのはやめてよ。怖いから。
 曖昧なごまかし笑いが若干引きつる。

「まさか、溺死させようってんじゃ……」
「しないしない!」

 ケースの高さが座ったあたしの頭よりも高いから、周りの景色は全部アクリル越しだ。
 お風呂と違って横を向いても壁があるから、なかなか圧迫感がある。
 座ったまま拘束されて水でも入れられたらすぐお陀仏だよ。
 ……というかお陀仏って最近はもう言わないか。

「ちょっと失礼します」
「どうぞー。って、ここあたしの部屋なのかよ!」

 その壁を乗り越えて、繭子がケースの中に入ってきた。

「最初に詰め物。これ鼻用」
「ち、窒息死……」
「だから違うってば!」

 冗談もそこそこに、渡された鼻栓を二つとも押し込む。
 関係ないけど、プールで鼻に水入ったら超痛いよね。関係ないけど。

「ふがふが。すごーい。鼻声ー」
「分かったから。次はこれ」

 最近繭子が冷たい件について。
 脳内で糞スレを立てながら、繭子が差し出したそれを咥え込む。

 それはびろんと伸びたホースで、一見して呼吸用と分かる。
 ああ、やっぱり沈められるのには変わりないのか。
 咥えるところがマウスピースみたいできっちり嵌るのがちょっと新鮮。

「あと耳栓。聞こえなくなる前に聞いておきたいことある?」
「うーん、これといって……。とりあえずじっとしてればいいのよね」
「そう。作業は全部わたしがするから」

 まぁどうせしようと思ってもできない状態になるんだろうな。
 その辺は慣れたもので、聞いたのも念押し以上の意味はない。

「じゃあ耳栓したら始めるからね」
「よろしくお願いするでござる」
「……。お願いされたでござる」

 うわ、ノッてくれた。さっきの糞スレ落としておこう。
 バカなことを考えている間にあたしの耳は仕事を奪われた。

▼

 髪の毛のないつんつるてんな頭が、ひやりとした感覚に包まれる。
 多分さっきかき混ぜていたやつだ。
 事前に聞いていた説明によれば、おそらく型取り剤だと思う。
 高い粘性のあるそれが目を覆い、鼻を覆い、瞬く間に顔全体を覆う。

 あ、呼吸用のホースの咥え口がマウスピースなのは、隙間を作らないようにかな。
 鼻も耳も閉じた瞼も塗りたくられ、何となく確かめるように意識して呼吸をする。

 いや、まぁ息ができるのは分かっているんだけどさ。
 視覚や聴覚とか、自由が利かなくなってくると不安になってくるんだよね。

「ふがっ!?」

 そんなことを考えていたら、顎をくいっと上げられた。

 ちょっと!
 急にやったらびっくりするでしょうが!
 そりゃ「上げるよ」なんて言われても聞こえないけどさ。

 肩をトントンとされたので、「ごめん」とでも言っているのかもしれない。
 いいわよ別に。姿勢が気に入らなかったんでしょ。
 どうせ為すがままなんだから、好きにやっちゃってくださいな。

「ふひゅー。はふー」

 湿っぽい呼吸を繰り返しながら、繭子の手に身体を委ねる。

 顎を少し上げ、その少し下で捧げ物を持つような受け皿の形の手。
 脇を締めて、背中も少し反って、正座をして。
 その姿勢の上から、型取り剤がペタペタと塗り拡げられる。

 ……そういやあたし、どれくらいの時間こうしているのか聞いてなかったなぁ。
 まぁ聞いていたところで何にも変わらないか。

 あと、繭子には絶対に言わないけど、
 何というか、こう、繭子の手によってくいくいと姿勢を矯正されるのが、微妙にあたしのマゾヒスティックな心をくすぐる。
 自分の意思を無視されて、相手の望むがままにされる感覚。
 今のあたしなら、雰囲気さえ整っていれば、「動かないで」と命令されるだけでグズグズに嵌り込む自信がある。

 ただそれは結構抽象的というか、こっちも準備が整っていないと効果は薄い。
 それをもっと直接的に、そして強制的に堕としてしまうのが、
 閉じ込めであったり固めであったりするのかなぁと思う。
 やっぱり物理的に自由がきかないというのは絶望感が半端じゃない。
 その分深く堕ちて行けるんだけどね。

 そんなことを考えている間に全身をコーティングされる。
 やがて塗り終えたのか、繭子の手が止まった。

 終わった、のかな。
 型取り剤は多少固まったとはいえ、動けば抜け出せる程度の硬さだ。まだ。
 繭子の話では、ここから石膏で固めるという話だったけど……。

 ……もしかしなくても、水槽みたいなこのケースって、そういうことよね。
 希望的観測を言えばこの型取り剤のようにペタペタ塗っていったりとか……。

 なんて白々しく現実逃避し始めた頃。
 正座した足が、重くなっているのに気付いた。

「ふ、ひいいいーっ!?」

 やっぱりそういうことかー!
 これ絶対石膏流し込んでるじゃん!

 どちらにせよ動けなくなることには変わりないんだけどさぁ……。
 でも、表面だけ塗り固められるのと、四方八方固めて閉じ込められるのでは、絶望度数が違う。

 そりゃ、抜け出せるとは思っていないけどさ。
 表面だけなら、「暴れたらもしかしたら」とか思えるけど、このケースごと固められたら、万に一つも抜け出せる希望を抱けないじゃない。

 そうこう考えている間にも、流し込まれた石膏はお腹まで上がってきた。
 すでに足は重くてピクリとも動かない。
 姿勢を正そうと思っても、微動だにしない。

 ……うわ、本当に固まってる。

 そう認識したら、胸の辺りがざわざわとざわつき始める。
 ほら、もう、油断も隙もない。
 『いつもの感覚』が、抑えられずにあたしを支配する。

 いや、分かっているんだ。だって、固めてるんだから。
 そういう工程なんだから。分かっている。
 なんて、予定通りを強調しても、全身に広がるざわつきを誤魔化せない。

 やだなぁ。ただ動けなくなるだけじゃない。
 このまま全身固まってさ。息はできるけど。それだけ。
 どこにも逃げられないんだよ。同じ姿勢でさ。ずっと。
 出してもらわなきゃ、ずっと。

 ずっとこのままだったら、どうする?
 だって、もう足動かないんだよ?

「ふひゅっ!? ひゅっ!」

 心臓がドクンと脈動した。

 もう条件反射というか、悪い癖というか。
 いくら平常心を装おうとしても、無意識に自分を追い込んでしまう思考が染み付いてしまっている。
 それに合わせてパブロフの犬のように身体も反応して、全てを受け入れるような脱力と緊張を繰り返す。

「あ……ぁ」

 動かない足の感覚すらなくなってきて、受け皿の形の手が震えた。
 その震えた手さえ石膏に覆われて、震える自由すら奪われていく。
 次第に帯びる熱を感じ、刻一刻と『遊び』が無くなっていく。
 砂浜に埋められた時のことを思い出しながら、
 でもそれ以上に余裕のない状況に恐怖を覚える。
 それでも姿勢を崩さなかったのは、型取り剤のおかげか、なけなしの矜持か。

 やがて頭の先まで埋められたのか、石膏が落ちてくる振動がなくなる。
 これで晴れてあたしは石膏の中の住人だ。
 まさに「*いしのなかにいる*」状態だ。
 呼吸ができる分マシなのかもしれないけれど。

「は、ふ……」

 ダメだ、周囲の熱で少しぼうっとする。
 それに今まで育てられてきた被虐性が、この状況を楽しみだしている。
 ただ型を取るだけだっていうのに。
 隙あらば快感に繋げようとする。
 窮屈や不自由という言葉が浮かんでは消え、あたしを煽っていく。

 お腹の奥がキュンとする感覚。
 たとえそれが普段なら物足りない感覚であっても、目が見えない、耳も聞こえない、鼻も使えない、五感の大半が奪われた今なら。
 身動きの取れない、何もできない、全身を固められた今なら。
 それはじっくりと、粘つくように、致命的な破壊力を持って、育まれていく。

 そしてそれはあらゆる不快感を飛び越えて。無力感すら飲み込んで。
 自分の全てを投げ出して、委ね切ったところから、始まる。

「はひっ! ひううううううっ!!」

 くる、くる、くる、きた、きたきたきたっ!

 目の前は真っ暗なはずなのに、フラッシュを焚いたように真っ白な世界が見える。
 あそこを震源地にアリの大群が行軍するような電気刺激が全身を蹂躙する。
 すでに繰り返し道が作られた快楽回路は、いともたやすく脳を蕩けさせる。

 ああもう、こんなの、ただ閉じ込められているだけなのに。
 それだけであたし、気持ちよくなっちゃうように、なっちゃった。
 必死に今の状況を陳腐化しようとしても、あたしの身体はよく知っているんだ。

 動かしたいのに、動かせない感覚とか、全身を覆う圧迫感とか。
 窮屈な感じとか、不自由な感じとか、自分じゃどうにもならない絶望感とか。
 そういう負の刺激が、まとめて快感に殴り込んでくる愉悦を。

 そんなのが、気持ちいいんだもん。
 自分がモノみたいに酷く扱われてる感じが、興奮するんだもん!

「ひゅ……!? ……っ!」

 あたし、本当変態だよ……!
 だって、一歩違えば死ぬかもしれないんだよ。
 生き物の摂理からすれば、忌避すべきことなのに。
 今だって、呼吸を止められて、苦しいのに、ゾクゾクって痺れてる。
 呼吸用のホースを手で塞がれていることに気付いて、興奮している。
 自分の命が繭子の手のひら一つ、気まぐれ一つで弄ばれているのを想像して。

「んっ!? ~~~~~っっ!!」

 もう、すっかり逃げられない身体にされちゃったなぁ。

▼

 そんなこんなで出来上がったのは、透明のアクリルケースだった。

「何、このよく分からないモニュメントもどき」
「ひどい……せっかく作ったのに……」
「いや、泣くのはやめよマジでごめんなさい」

 だって本当に見た目からは何なのかよく分からない物体なんだもん。
 それらしい色を付けたら、庭に置く岩みたいになるかもしれない。

 枯山水とか?
 適当だけど。

「……この前のあれがこうなったってわけね」
「そう」

 薄々は分かってましたよ、これが何かってことくらい。
 この間型を取って、それを元に作ったんでしょ。
 透明だから遠目だとなんだか分かりづらいけど、近くで見ればそれが『あたし』をかたどっているのだと分かる。
 頭のてっぺんから足のつま先まで、あの時のままの、あたし。
 そう考えて、トクンと一つ胸が鳴る。

 あたしがぴったり入れる形の、ケース。

 あたしをぴったり入れる形の、ケース。

「……これに、入るわけね」
「うん」

 繭子の返事を片耳で聞きながら、視線はそのケースにくぎづけになる。
 この型を取った時から今日まで閉じ込められていなかったから、身体はお預けを食らった犬のように飢えて、すぐにスイッチが入る。

「……今から?」
「うん」
「……。分かった」

 しゅるりとエプロンの紐を緩め、床に落とす。
 下には何も着けていないから、すぐに裸体が晒される。
 裸に抵抗がなくなって、どれくらい経つだろうか。
 繭子は未だに裸エプロンに目を輝かせているけど。

 その繭子は静かに視線で促す。
 お互い何も言わずに、あたしは夢遊病患者のようにふらふらと、
 ケースのそばまで行ってしゃがみこんだ。

 向こう側が透けて見えるアクリルのケース。
 繭子の手によって、蝶番を支点にパカッと二つに分割された。

「入って」
「……うん」

 正式に繭子からの命令が下る。
 一度繭子を見て、返事をしてから、再びケースへと視線を戻した。

 一見すると、入るなんて無理なんじゃ、と思うくらい限られたスペース。
 あたしの身体で型を取って作ったんだから、ぎりぎりなのは当然なんだけど。
 逆に言えば、ぎりぎりでも入れるということ。

「んっ……」

 意を決して、身体をケースに寄せる。
 横開きに分割されているから、まずは左半身を入れていく。
 形は型を取った時と同じ、正座で手を受け皿にする格好。
 スライドさせるように頭と肩を入れて、脚を入れて、手を入れて。
 途中何度も身体をぶつけながら、なんとか収める。
 少しだけ隙間があるみたいで、助かった。
 少ししかない、とも言うけど。

「閉じるね」
「ん」

 あたしの左半身が収まったところで、もう片方が右から迫ってくる。

「あいたたた! ちょ、まっ!」
「あ、お肉挟んだ?」
「そう! そうだけど、あんまりお肉って言わないで……」
「えー……」

 ケースに入った左半身と微妙に高低差があるから、何度か挟まって痛い目を見た。
 べ、別に太ってるわけじゃないんだからねっ!

「ん、と、……大丈夫?」
「大丈夫」

 完璧に形が決まったところで、パコッと言わんばかりにケースが合体した。
 何だかガチャガチャの景品になった気分。
 ……でも景品があたしってどうなんだ。繭子は喜びそうだけど。

 くだらないことを考えながら、視線をキョロキョロ。
 閉じ合わさった部分はさすがに一本の筋になって見えているけど、それ以外はクリアに周囲を見せてくれる。
 裏を返せばそれだけあたしの裸も見放題ってことね。いやん。

 それと口の部分だけは楕円に穴が開いている。
 多分呼吸用のホースが通っていたからかな。
 これはそのまま今のあたしの呼吸穴にもなっている。

 あと窮屈さで言えば、やっぱり窮屈には変わりない。
 同じ姿勢を強制されているし、何よりずっと正座で大丈夫かと心配になる。
 この前の型取りの時だって痺れてしばらく動けなかったしね。

 ただまぁまだカポッとしただけなので、出ようと思えばすぐ出られる。
 一瞬繋ぎ目の部分を接着剤で固められたらどうしようと考えて、怖くなった。
 繭子の場合、絶対やらないとは言い切れないところが特に。

「何かおかしいところある?」
「ううん、特には」

 根本的におかしいところは多々あるけどね。裸で何やってんだ、とか。
 今更なことを考えていたら、繭子が目の前にしゃがみこんで、
 ケースにくっついた輪っかの突起二つを重ねるように合わせて南京錠を通していた。

「……あの、繭子さん」
「鍵掛けなきゃ出れるでしょ?」
「ソウデスネ」

 むしろ接着剤じゃなくて助かったというべきなのか。
 要所要所に南京錠を掛けていく繭子を目で追いかけながら、そっと溜息をつく。

「……よし。あとはこの接着剤で完成」
「って助かってなーーーい!」

 結局接着剤登場!
 抗議するように暴れても、鍵を掛けられた後ではそれもむなしい抵抗だ。
 繋ぎ目が全部接着剤で覆われるころには、あたしも観念してじっとしていた。

 というか、え?
 あたし、ずっとこのままなの?
 接着剤で固めたってことは、そういうことなの?

 琥珀に封入された時も相当覚悟したけど、今回は道具が身近なだけに変にリアリティがある。
 だって自分ではどうしようもないのはすぐにイメージできるし。

「今回これを作ったのはね」

 真意を測りかねていると、繭子はあたしの向かいにリクライニングチェアを引っ張ってきた。
 ぬいぐるみの時も思ったけど、案外繭子はパワフルだ。
 あの小さい身体のどこにそんな力が……!
 なんて言っている場合じゃない。

「このチェア用にオットマンが欲しかったの」

 繭子の言葉に、ようやく今回の意図が理解できた。
 こんなケースを作ったのも。
 あたしがこんなポーズでいる理由も。

「だから、冬華、わたし専用のオットマンになってね」
「……。嫌だって言ったら?」
「嫌ならそこから出ていいよ」

 そして毎度の如く、あたしに拒否権はないのだった。

▼

「……」
「ん……ちゅる……」

 今回のプレイは、あたしをオットマン、つまり『足置き』にすることだった。

 そうと分かると、取らされたポーズの意味も分かる。
 座っているのは、多分高さの関係。
 受け皿のようにした手は、そこに足を置くため。
 正座なのは、手に置かれた足を、まるで女王様のそれのように捧げ持つためだ。

 ……いや。まるで、じゃない。
 まさに奴隷が主人に対してする、奉仕のポーズだった。

「ちゅぶ……あ、む……」

 その主人はと言えば、リクライニングチェアに身体を預け、文庫本を手にくつろいでいる。
 休日の何気ない一コマ、とでもいうようなリラックスした状態だ。

 そうして投げ出された足は、オットマンであるあたしの手の上にある。
 恭しく捧げるように差し出された手の上にある足。
 あたしはそれを、唯一開いた呼吸穴から、口づけをする。

 それは、そこに『在る』だけで用を為すオットマンのあたしに与えられた、ただ一つの仕事。義務。奉仕。慈愛。
 愛しい主人のために、そのおみ足に口づけ、服従を誓うこと。
 それはあなたの権利なのだと教え込まれて。

「はむ……ちゅずずずずっ」

 もとよりペットプレイで慣れたあたしだ。
 もちろん屈辱を感じないと言えばウソになるけど、それ以上にそういった行為についての抵抗感を破壊されていた。

 俗に言えば、『すっかり調教された』状態。
 だけど今この状況で言うと、それはマイナスじゃない。

 閉じ込められ、身動きが取れない中での快感。
 それは確かに快感ではあるけど、孤独でもある。
 自分に問いかけ、自分を貶め、自分を解放する。
 極端に言えばオナニーと変わりない。むしろそのものだ。

 だけど今はそうじゃない。
 主人の足を舐めるという行為を『許されて』いる。
 自己完結じゃない、相手がある快感。
 それは一人でするよりも、何倍も気持ちいい。それに、充足感がある。
 それが例え自分の尊厳を砕き、屈辱にまみれるものであっても。
 マゾの心はそれすら燃料にして、快感に変える。

「……」

 文庫本に夢中なのか、繭子はこちらに一瞥くれることもしない。
 本当にただのオットマンとしてしか、あたしを認識していない。

 だけど、たまに。熱心に奉仕をしていると、たまに。
 あたしの口の中に、足を突っ込んでくれることがあるのだ。
 モノ扱いから一転、奴隷に奉仕の褒美をやるように。

 そのことがたまらなく嬉しく思ってしまう。
 モノとしての思考回路に嵌ると、そんなレスポンス一つひとつが喜びになる。
 足を口に突っ込まれることが、セックスのようにすら感じる。
 まるで膣に挿入されたペニスのように感じる。
 だからあたしは、その『ペニス』を大切に、丁寧に、舐め、すすり、舌を絡める。
 そうして繭子と、『セックス』を楽しむ。

 もちろん実際に膣に入っているわけじゃない。
 だけど、快感を確かに感じる。
 口内を膣と強く意識して、脳がそれを認める。
 そうすることで得られる快感。
 四方八方閉じ込められ、全身から発せられる不快の信号に溺れ、ショート寸前の極限状態だから生まれる、歪んだ回路。

「あふっ!? は……ぐ……っ! ちゅぶ……っ」

 歯を立てないようにして、暴れる足を必死で受け止める。
 ピストンされるたびに『愛液』がグポグポと粘性のある音を立てる。
 『膣』を掻きまわされる衝撃と合わせてあたしの頭の中を白くしていく。

「……? イクの?」
「あっ! ぐ! はあっ……! いいぃ」

 あたしの異変に気付いた繭子の言葉に、息も絶え絶えな返事を返す。
 口の中に足を突っ込まれてイクなんて……、とシラフなら思う。
 だけどいったんこの状態まで来たら、そんな常識まがいのものは関係ない。
 気持ちいいからイク。それだけなんだ。

「じゃあイッていいよ」
「ひゃが……っ! あ、うううぅっ!!」

 そうして、おざなりとも取れそうな口調で繭子の許可が下る。
 その言葉をきっかけにして、つかえがとれたようにして、あたしの身体は高みに昇っていく。
 どんなに暴れたところでびくともしない拘束空間の中で。
 あたしはただ足蹴にされただけでイッた。

 それすらも幸せなことだと刷り込まれながら。

▼

「ご飯食べよっか」
「……うん」

 イッちゃうのって、結構体力使う。
 色気より食い気、ってわけでもないけど、繭子の提案に素直に頷く。
 あたしというオットマンから足を下ろした繭子は、文庫本をテーブルに置いてキッチンへと向かった。

 ああ、だからご飯の下ごしらえが終わったのを見計らって始めたんだ。
 繭子自身も料理はするけど、あたしが作ったほうが美味しいって言うから、最近はもっぱら料理担当はあたしなんだよね。
 あたしとしては繭子だって十分上手なんだけど、まぁ本人がそう言うなら別にいい。

 しばらくして、換気扇が回る音が聞こえてきた。
 今日は豆腐ハンバーグにしたから、あとは焼くだけ。
 エノキとか入れると美味しいんだよね。あとレンコンとか。
 お肉は鶏ひき肉で、おろしポン酢で食べるのがさっぱりしていい感じ。

 こんなこと考えていると余計お腹空くわー。
 どのプレイの時でもそうだけど、こういう合間の時間が地味につらい。
 シラフに戻ると、さっきまで気にならなかった部分が途端に気になりだす。

「あ~足の感覚が~」

 ずっと正座はつらいのです。
 お坊さんとかすごいと思う。……安い尊敬だな。

「おまたせ~」

 できあがったのか繭子がお盆を持って戻ってくる。
 お、ちゃんとおろしポン酢じゃないか。分かってるね、君。

「冬華みたいに上手くできてるか分かんないけど」
「いや、焼くだけでしょ? タネは作ってあったし」
「そうだけど……焼き加減とか」
「火さえ通ってればいいのよこんなもん」

 ひっくり返す時に崩れちゃったりすることもあるけどね。
 それもちゃんと豆腐の水切りとかしっかりしていれば大丈夫だし。
 もちろん今日のだってちゃんとやってますよ。

「じゃあいただきます」

 手を合わせて繭子が食べ始める。
 当然、というのか、あたしはお預け。プレイ中の決まりだ。
 犬調教のおかげなのか、何の疑問も持たなくなってしまった。
 お腹は空くけど、仕方ないことだって納得しちゃってる。

 でもそう思うと今のあたしの格好、今度はご飯をねだる物乞いみたい。
 ギブミーご飯。ギブミー豆腐ハンバーグ。

「ごちそうさま。冬華にもあげるね」
「待ってました」

 そしてようやくあたしの番がやってくる。
 繭子の持つお箸が豆腐ハンバーグを切り分け、その一欠けらをあたしの手の上、正確に言えばケース越しの手の上にポンと置いた。

「What’s this?」
「How to eat this is today」

 何となくなんちゃって英語で聞いたけど、繭子はこれが今日の食べ方だって言った。
 すると繭子はそのままリクライニングチェアに腰かけ、あたしの手の上に乗った豆腐ハンバーグを、その素足でぐちゃ、と踏んだ。

「For real?」
「英語ブーム?」

 ああ、今日の食べ方って、そういう……。
 目の前で行われるフードクラッシュに、視線を奪われる。
 厚みがなくなり、砕け散り、生ゴミと化したハンバーグ。
 それがネチャリとへばりついた繭子の足。
 日常に戻りかけた思考がまたグンと深みに引きずられていく。

「はい、召し上がれ」
「……いただきます」

 さっきまでの奉仕とはまた違う、屈辱。
 食べるという行為を、極限まで貶められる。
 それでもあたしは差し出された繭子の足を舐め、へばりついたそれを剥がし取り、指の間のそれをほじり出し、指の一本一本をしゃぶるようにして平らげていく。

「はむ……ちゅ……ん……っ」

 なくなればまたお皿から補充され、踏み潰され、それを舐めとる。
 今のあたしにとって繭子の足はお箸であり、お皿であり、同時に美味しいものでもあった。
 お腹が空いていたこともあって、夢中でその足にしゃぶりつく。

 ああ、美味しい。ハンバーグも。繭子の足も。
 単純作業のようにもくもくと繭子の足から食べていると、だんだんと美味しいものの対象の境が曖昧になっていく。
 もちろんハンバーグが美味しいのだと分かってはいても。
 ほら、現にもう足をしゃぶることに抵抗なんかない。
 むしろ積極的に美味しさを求め、必死に足をしゃぶろうとしているじゃない。
 ちゃんとお箸で食べさせてもらおうとせずに。

 きっとこんな生活を続ければ、たとえそこにご飯がなくても、あたしは繭子の足を美味しいと思って舐め続けるようになる。
 そういう刷り込み調教の上に、今のあたしの性癖は成り立っているんだから。

「……はい、これで最後。美味しかった?」
「……うん。ごちそうさま」

 最後はきっちり汚れを舐めとって、終わり。
 結局お米もサラダも全部同じようにして食べさせてもらった。
 自分で用意しておいていうのもなんだけど、ご飯自体は美味しかった。

 これからこの食べ方が普通になったらどうしよう。
 冗談抜きで、繭子の足をしゃぶれば満足する身体になってしまう。
 いや、もうなっているかも。

 というか、そもそもこれ出してもらえるの?
 そろそろこの姿勢もきついんだけど……。

「もう少しそのまま舐めててくれる?」
「かしこまりました、お嬢様」
「もう、何急にお嬢様って」
「そんな感じでしょ、これ。まぁ、あんたの場合リアルお嬢様だけどね」

 軽口を叩きながら、足舐め奉仕を再開する。
 繭子の表情を見ていたら、もう少しこのままでもいいか、なんて思ってしまう。
 相変わらず甘いなぁ……。

「……ちょっと、寝ちゃう、かも……」
「いいわよ別に」
「ごめん、ね……」

 ふわ……、と、あくびを一つ。
 リクライニングチェアに深く身体を預け、繭子が目を閉じる。

 多分オットマン的には、冥利に尽きるっていうのかな。
 繭子が気持ちよく過ごせたら、それでいい。
 そんな慈愛の心に目覚めるのも、このケースの特徴かも。なんて。

 まぁそれにしても人間足置きになるとは思わなかったけどね。
 それでもやるからには本気で。……本気ってなんだ。

 そんなバカなことを考えながら、あたしは繭子が起きるまでひたすら足を舐め続けた。
 たまにはこんな日があってもいい、かな。

 ちなみに、接着剤は剥がし液でちゃんと取れるんだって。
 焦ったー!

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