例えば、とある小さな国があったとして。 そこは何の変哲もない田舎の国。 売り出せるような特産物があるでもなく、強力な軍事力があるでもない。 古来から代々続く王室、そんな細々とした伝統だけが唯一の誇れるもの。 けれどそれも、世界の中央列強から見れば何の価値も無いもの。 そんな弱小国に、その土地に、希少な高純度の宝玉結晶脈が見つかれば。 魔力で支配された武力構図のこの時代に、市場にほとんど出回らないような質の高いロッドを、大量に作れる量が埋蔵されているとしたら。 そしてそれが表沙汰になれば……。 「……争いが起きる」 私は感情のない言葉を落とした。 「……」 それは歴史から見れば、よくあるつまらない話だった。 溢れるがままに任せた『作り話』は、雨のように、部屋に波紋を創る。 レストリアはそれを黙って見ていた。 「近いうちに、必ず……」 よくある話。だからこそ容易に想像できる。 火を見るよりも明らかな、物語の帰結。 今はまだ、何とか隠し通せてはいるけれど。きっと、それも長くは持たない。 今日明日どうにかなるほど差し迫ってはいないけれど、何年も悠長にしていられるほどの余裕もない。 それだけは確実。 このことを考える度、私の頭の中はグチャグチャな迷路のようになって、現実逃避をし始める。 例えば、で済めば、どれだけよかったか。 例えば。例えば。例えば。 あるいは。もしかしたら。そもそも。 絵本の読み過ぎだよって、笑って。笑い飛ばせたら。 「そうなったら、ひとたまりもない! 今のままじゃ、絶対に……!」 けれど想像して、また震える。 大挙して押し寄せる軍勢に、為す術無く蹂躙される人。村。小さく弱い国に振りかかる火の粉。 それに抗えない。それが弱いということだから。持たざる者の末路だから。 そして、私『たち』は弱いから。持たざる者だから。 それが現実だ。 「私は……私が知っている人たちが、血を流すところを……見たく、ない……」 行き場のない感情は、また例えばに頼りだす。 例えば、強力な戦力を持っていれば。例えば、優秀な外交力があれば。 でもそんな夢物語はすぐに立ち消えた。 例えば、友好国と連携してはどうか。例えば、手土産を持って大国に取り入るのは。 そんな他力本願は、自ら「何かありますよ」と宣言しているようなものだ。 「でも、『自分の国』を守るには、どうすればいいか……。みんな俯くばかりで」 議論は堂々巡り。リスクをとれず、手をこまねいて、身動きが取れない。そんな国の姿が、脳裏に焼き付いている。 何か出来ることはないか。『私』が、出来ることはないか。 人一人絞め殺せない細い腕だけれど。そんな私でも。 それを考えた時から、私は動き始めたのだ。 「……だから『魔女』」 それは、言葉の響きすらすでに魔法めいていた。 『深淵の魔女』の力は強大だ。それこそ一人で戦況を操れるほどに。 だからこそ、何度も議題に上がった。誰の脳裏にも浮かんだ。救世主の如く国の前に立つその姿を。 けれど、現実は甘くなく。囲い込むには多額の報酬が必要で。そんな財源が、弱小国にあるはずもなくて。 「だったら、私が……。『深淵の魔女』に、なるしかない。私が……!」 幸いにして、私には魔女としての資質はあった。そして他にめぼしい人物はいなかった。 だから決断した。 どこまで出来るか分からないけれど。国を守るためにはもはや、それしか思いつかなくて。 「……」 強くなるしかない。準備するしかない。やがて襲い来るであろう脅威をその手で振り払うために。 それこそが、学園に来た理由。私が目指す道。悩んだ末の結論。 そうして、必死に魔女としての才を磨いたのだ。 それこそ、学園の頂点を奪い取るほどに。 「だから、あんたの使い魔になっているヒマは、ないの……!」 これまで溜め込んだものを吐き出す。 言葉も。 感情も。 何もかも。 「……っ」 かすかな残響が部屋を満たし、消えて。 そして額に刻まれる代償。 薄ぼんやりと光を放ちながら描かれた、真ん中から割れた国の紋章。 「……!?」 私の『独白』を静かに聴いていたレストリアが、驚きに目を見開く。 くっきりと定着した、それは裏切り者の証。 なりふり構わない、私の覚悟の証。 禁を破った者に対し自動発動する魔法は、音も無く静かにその仕事を済ませた。 「……」 けれど今は、それに構う余裕もなく。 溢れた涙は、ぽつりぽつりとレストリアの頬に降り注ぐ。 握ったその手は、とっくに力を失っていた。 ▼ 「……そういうことでしたの」 ようやく口を閉ざした私を、変わらぬ表情で見つめ続けるレストリア。 すっかり脱力し、ろくに力の入っていない私の身体を振り払うでもなく。 ただただ受け止めているばかりの彼女は、まるで独り言を呟くように言葉を口にした。 「時期外れの転入。聞き馴染みの無い出身地。単なる夢見がちな田舎者かと思えば、本人の資質は極めて優秀。なのにそれを誇ろうとしない。つくづく変わった方だと思っていましたが……」 「夢見がちな田舎者……」 「今から思えば、確かにあなたは『競争』に興味がなさそうでしたわね」 学園での出来事を思い出すように。彼女はただ、ゆっくりと瞼を閉じる。 細い首。作り物のように美しい顔。あらゆる『競争』に対して勝利してきたであろう絶対強者。 けれどそんなことを微塵も感じさせない穏やかな表情。口調。 「……」 一瞬、見えたそれはきっと『ただのレストリア』で。 私は思わず息を忘れる。 「いじらしいですわね」 そしてそれはすぐに霧散し。 すぐに悪戯っぽく笑った目元が、瞳が、私を捉える。 「っ!?」 唐突な浮遊感。急降下。 一瞬の虚を突かれた私の身体が、視界が、全部が上を向く。背中に衝撃と痛みが走る。 目の前に見えるものは変わらず。けれど、見下ろしていたはずのレストリアを、今は見上げて。 数分前の体勢は、形勢は、あっけなく逆転していた。 「我欲で鞍を替えるこの時代に、その奉公精神はご立派ですわ。もっとも、そのせいで多少視野が狭いようですけれど」 「っ……悪かったわね……」 「いいえ。悪いことなど。わたくしはそういうところも気に入っていますもの」 「わ、ひゃっ!?」 馬乗りになった彼女の身体が、覆い被さるように接近してくる。 向かい合った顔と顔。吐息が触れるほどに近い。逃れようとしても、頭を包むように覆った両の手がそれを許さず。 まるで、口づけでもするかのような体勢。 視線すら逸らせない。 これまでの調教の日々が、私の無意識に侵入して抵抗する意思を奪い去っていく。 微かに甘い香りが鼻をかすめ。その声が、恋人にする愛の囁きのように耳を浸す。 「なおさら、あなたが欲しくなりましたわ」 「ひっ!? あ、あ! な、なに……を!?」 「今更、なにを、などと」 突然の、そしてすっかり慣れ親しんでしまった感覚が蘇る。 それは粘着質な音でもって、今までを塗り替えようとする。 股間の触手貞操帯が、蠢き始めた……っ! 「こうして自ら転がり落ちてきてくれたのですもの。美味しく頂いて差し上げるのが礼儀ですわ」 「ちょ、あ……あ、ぅ! い……っ、ば、ば……か!」 楽しそうに笑うレストリアが、さらに触手の動きを激しくする。 常に一定の発情状態を強いられている陰部は、僅かな時間で淫らな気持ちを再燃させる。 「は……くっ! あ……ん、んん……!」 ぐちゃり、ぐちゃりと無数の触手が膣を、肛門をほじくるたび、私の腰はガクガクと震え、思わずレストリアの腕にしがみついてしまう。 自ら転がり落ちたつもりなんて……ない。 情に訴えかけるという、情けなく頼りない手段ではあったけれど。 何とかこの状況を打破したいという思いで、私は……。 「ぅ……く……っ」 でも、どこかで。 心のどこかで。 全てを投げ出して、身を任せたい……。 そう、思ってしまった。 そのことが私の気持ちに影を落としていた。 「こんなに眉を寄せて。あなたに難しい顔は似合いませんわ」 「うる……さいっ! だ……からって……っ!? んっあああああ!」 ようやく落ち着いたはずの種火が、再び大きくなっていくのが分かる。 三つの穴の奥底まで抉り込むように侵入した触手たちが、もぞもぞとその体を捻り、振り乱して。イボや繊毛を肉壁へと擦り付けるように暴れる。 「いやっ!? そ……こ、や、ぁああ!」 咄嗟に掻き出したくなる衝動に駆られ、けれど抑えこまれた状態ではどうすることも出来ず。 そもそも、貞操帯としての役割も果たす相手に、元から私が出来ることもなくて。 レストリアの腕を掴み、離して。床に爪を立て、ギュッと拳を握って。 そんな行き場のない感情をただ身の内に溜め込み続ける。 「とめ、ひっ! と、めて、えええっ!」 「そう、そうやってグズグズに惚けているほうが可愛らしいですわよ」 「う、あ、ああ! ぃ、い、イクっ!」 強い刺激をようやく純粋な快楽と捉えて、爆発的な昂ぶりが股間と脳を中心に広がっていく。 全身に力が入り、脚が引き攣りそうなほどピンと伸びる。頭の中が真っ白になる。 激流に身を任せ、果てようとしたところで。 「 ……っ!? い、け、ないい……!」 あれだけ動いていた触手が動きを弱め、さあ……と波が引いていく。 「あああ……」 何度と無く味わわされてきた寸止め。けれど、何度やられても慣れない虚しさ。 自分ではどうしようもないもどかしさと快感が、全身を苛む。 それを上から封じ込めて、レストリアは他意なく微笑む。 「もう、難しい顔をするのはお止めなさいな」 「あひっ……! ま、また……!」 「これからは、わたくしの側で、感情のままに」 「イク! い……くう! ……あ、あああっ! な、なん……で……!」 「泣いたり、笑ったり、気持ちよくなったり、切なくなったり」 「あ、あああ……。も、もう……!」 繰り返し、繰り返し。一向に慣れない。性感の制御。支配。絶頂の寸止め。 繰り返されるほど、どんどん強く大きくなっていく。快感を溜め込む器も、イケない切なさも。絶頂への渇望感も。 単純なはずなのに。芸の無い短絡的な責めなのに。十分に開発されてしまった身体に、それは抜群の効果を生み出し、私を追い詰める。 「そうして、何も考えずに生きる。それもいいと思いますわよ?」 「はぁ……っ! ぅ、く……! そ、そう、かも……ね。……で、も」 徐々に余裕がなくなっていく。そんな私を優しく包むような、囁き。 それに溺れちゃダメだって、それだけは何とか理性が教えてくれる。 「つ……かい、ま……なんて……」 思い出す、彼女の要求。 『わたくし専用の使い魔になりなさい』 使い魔になんてなりたくない。 それは、本能的な恐怖だった。 魔女が使い魔になるなんてほぼ前例がないけれど。 その扱いは、これまでの様子を鑑みれば自ずと分かる。 きっと私の扱いは、高位精霊に対するそれじゃない。 そこにあるのは、『支配の魔法』を基盤とした、絶対的な主従関係。 つまりは、レストリアの……愛玩奴隷。 「あ……んた……っ! の、ど……っれ……なん……っ」 奴隷なんて……嫌だ……。 それに……。私には、やるべきことがある。 それを……やらなきゃ。だから、使い魔になんて……なっている、暇……。 「ひあああああっ!?」 ああ、もどかしい。こんなに気持ちいいのに。 気持ちいいのに、つらい。 私の意思に反して、触手貞操帯に包まれた腰はガクガクと快楽を求めて痙攣している。 イキたいのにイケない。その理不尽に脳みそが焼き切れそうになる。 「奴隷だなんて、言葉が悪いですわ。でも、そういうのも悪くないと思いますわよ」 なんで、イカせてもらえないんだろう。 それは、レストリアが許可をくれないから。 なんで、許可をもらえないんだろう。 それは、私が言うことを聞かないから。 段々思考が混濁してくる。 「つらいことも、悲しいことも忘れて」 そういえば、どうして私は……。 やるべきことって、何だろう。 「ただ快楽に震えればいいのですもの」 ……そうだ、国を守るんだ。 魔女になって、強くなって。敵を打ち払って。 それで……。 「……どうしても嫌なら仕方ありませんわね」 「……ふぇ?」 「強制するつもりはありませんのよ。初めから。ただ、拒否をしたその時は、……わたくしが、直々にあなたの国を滅ぼしますわ」 レストリアの言葉が、妙に明瞭に頭の中を反響する。 「せいぜい頑張って、わたくしを止めてくださいな」 レストリアが、私の国を滅ぼす? それを止めるために、戦う? 「う、そ……」 「嘘ではありませんわ。わたくしはあなたを手に入れる。そのためなら、国の一つや二つ、滅ぼします」 言い放たれたレストリアの言葉に、力みも緊張もなかった。 ただ、できることをこなすだけ。それは宣言ですらなく、『予定』だった。 「あ……」 それに対して、私は。 私は、必死になって、努力して、ようやく手に入れた力で。 ……敵わないと知った、レストリアと戦うの? 「ああ……」 そう考えた時、何かが崩れる音がした。 私の身体は一段と強く震えた。 「あああ……」 それは、恐怖だ。 強大な敵に向かう恐怖。絶望する未来が見える恐怖。死を想像する恐怖。 少し前までは、そんなこと考えもしなかったのに。 ここでの生活は、これまでの経験は、すっかりと私の『本能』にまで根付いていた。 そして頭に響くメイドさんの言葉。 『ペットが飼い主に噛み付くなんて、とんでもない』 「ですが、あなたが素直に使い魔になるというのなら」 「ぅ、あ……?」 「わたくしは、あなたの国へ行きましょう。わたくしが『深淵の魔女』として、あなたごと国を貰い受けますわ」 「ああ、あ……」 そういうこと、だったんだ……。 私はようやく理解した。納得した。受け入れた。 もはや私に……いや、最初から私に、選択肢など無いという現実を。 ……いや、一応選択肢は用意されているんだ。 逆らって、叩きのめされた上に支配されるか。 従って、優しく飼い殺されながら支配されるか。 どちらを選んでも掌の上で踊らされる、絶望的で分かりやすい選択肢が。 「う……っく……」 ああ……。ああ……。 ぼやけた頭の中、ゆっくりと染み渡るこの感情はなんというのか。 そして、いつ運命は決まったんだろう。 このお屋敷に攫われて来た時? 決闘に負けた時? 自分の国が滅びるかもしれないと知った時? 「心配しなくても、ちゃんと守りますわ。それが主人の役目ですもの。『グレイドウィン皇国』の『スティラ姫』」 「……っ!? な、なん……!」 ……自分が、姫として生を受けた時? 「この一ヶ月、ただ遊んでいたわけではないということですわ。といっても、先ほどのお話は初耳でしたけれど」 いずれにしろ、『私』の所有権は、私にない。 生まれてからずっと。たった今だって。 そして、これからだって。 そのことにやっと気付いた。 「はぁ……はぁ……ふ、くっ……! くはっ……あ……!」 「さて、そろそろ限界ですわね」 もう自分の感情もよく分からなくなってきた。 いいように翻弄された悔しさ? 完全に退路を断たれた絶望? レストリアに負けた敗北感? 国がなんとかなるかもしれないという安堵感? 背負ってきたものをようやく降ろせる解放感? 全てをレストリアが受け止めてくれる安心感? 湧き上がった全ての感情が、触手の動きに粉砕され、溶けて、媚薬のように身体中に染みこんでいく。 止めどなく流れる涙だけが、すべての感情を包括して、私を表現する。 「果てたいのならば、どうするべきか。今更説明は要りませんわよね」 レストリアはそう言って、私の身体を解放して。 ゆっくりと、優雅に。近くの椅子に腰を下ろした。 そして私の目の前に、足先を向けて。 「……」 震える手で身体を起こす。 目の前には、優しく、そして自信に満ち溢れた微笑み。 対する私は、グズグズに泣き腫らした顔で、それを見上げて。 「……っ」 その瞬間、少し心が軽くなった。こんなこと言うと語弊があるかもしれないけれど。 けれど、軽くなったんだ。 いろんな感情が、一つの概念で処理できたから。 「私……」 見つけたのは、本当に単純なことだった。 それを認められなくて、足掻いてみたけれど。 結局、事実からは逃れられなくて。 「スティラ・オールグレイズ……ううん、『スティラ・グレイドウィン』は……」 ならばもう、受け入れてしまう他ないじゃない。 「『レストリア・ウィルストングス』をマスター……として、……使い魔……契約に、同意……します……」 細く美しい脚に、心からの服従と誓いの口づけを。 そして、私が自分の意志で流す、最後の涙を。 「……いい子ね。これはご褒美ですわ」 「ふ、あっ!? ひ、ぃあっ、あ、あ、あっ! あああああああっ!!」 お父さん。お母さん。アイリィ。 私、負けちゃった。
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