第二話『決闘』

「はぁっ……! はあ……! ふ、ぐっ……!」

 耳に届いたのは、鼓膜が破れそうなほどの爆音。目に届いたのは、太陽を見上げた時のような閃光。
 かろうじて詠唱が間に合った私は、そのあまりの威力に何重にも障壁を張り直した。

「ばけ……もの、ね……やっぱり……」

 轟々と、爆音の残り香が周囲に反響する。戦闘開始前に魔力を練り込んでいたとはいえ、冗談みたいな威力だ。おかげでせっかく練った私の魔力もその殆どを障壁に消費し持っていかれた。酸素も焼かれたのか、息も苦しい。まともに喰らえば、小さな村くらいなら簡単に吹き飛ぶだろう。それを、訓練用のロッドで発動させるとは。まさに決戦存在である『深淵の魔女』、その頂に足をかけるだけはある。

「……!? ぐっ!」

 熱源の接近を察知し、右方に身体を転がす。2,3と小さな炎弾が地面に突き刺さり、抉る。
 ……くそ、まだ視界が回復しない。耳もキーンという音で塞がっている。身体も、無茶な障壁の連打のせいかあちこちが軋むように痛む。だけどこれから先はなるべく魔力を障壁に割きたくない。攻撃手段が用意できなければ、いくら耐えたところでジリ貧だ。勝機はない。

「わっ! とっ! あんなの打った後でなんでまだ連射できるのよ!」

 考えを巡らせる間にも、牽制の炎弾が次々と飛来する。ようやくまともに見えるようになっても、立ち昇る粉塵に遮られ、術者の姿は見えない。避けているのは、半分は勘だ。あとは、炎弾自体がそれほど練り込まれていないので何とか捌けているだけ。

「こっちも練らないと……」

 レストリアも、私がこの程度で降参するとは思っていないだろう。そして飛んできているのがあくまで牽制だとすれば、彼女は私を足止めしながら次の攻撃に向け魔力を練っているに違いない。それに対抗するためには、こちらも無駄遣いせず練り込む必要がある。
 ……それにしても、魔法を放ちながら練り込める器用さには、感心するしかない。

「とはいえ、どうするか……」

 次第に息が整う。炎弾が止み、粉塵も収まり、段々と視界が開ける。同時に、声が聞こえた。

「よかった。あれだけで降参などされてしまってはつまらないと、心配していたところですわ」
「あっそ。よかったわね」

 視界の真ん中に彼女を捉える。彼女は一歩も動いていないようだった。先ほど対峙していた時と変わらず、軽くロッドを構えて。

「しかし、あれで無傷とは。やはりわたくしのライバルなだけありますわ」
「私はあんたのライバルになったつもりはないけれどね」
「ただ、せっかくのお召し物が汚れてしまってますわね。これ以上汚さないために脱いでしまってはいかが?」
「お気遣いどうも。でもあんたみたいに露出の気はないの」

 スカートの土埃を払う。二人して涼しい顔をしているけれど、少なくとも私は虚勢だ。予想外の威力とその後の牽制弾で、思った以上に神経を使った。皮肉にも、あまり長引かせたくない理由がもう一つできてしまった。

「それにしても、何その土塊。あんたの新しいお家?」
「ふふふ。スティラさんは風を扱うと伺ってますわ。雨風をしのぐ家、と考えれば、これも悪くないでしょう?」

 開始前から変わらず佇む彼女だけれど、唯一変わったのは、その周囲を盛り上がった土が覆っていることだ。それはまるで彼女を守るゴーレムのごとく。荒野にそびえる洞窟のように。四方八方からの攻撃を防ぐ盾となっている。

「風が吹いて、せっかく整えた髪が乱されては大事ですから」
「……舐められたものね」

 そうは言いつつも、私は僅かに唇を噛んだ。彼女のことだ、その強度は並みの魔女では貫けないほど強固なはず。予想よりも彼女の練り込んだ魔力の残量が少ないことから、結構な魔力量を消費したことが分かる。そしてそれは、彼女にとってその盾にそれだけの価値があり、信を置いているということ。
 一度作ってしまえば障壁に割く魔力消費を抑えられ、攻撃に専念できる。世界でも稀な炎と土の2種使いの彼女だからできる、おそらくこれまで必勝の型。

 だからこそ、らしくない。圧倒的な力で相手を屈服させんとする、彼女らしくない。
 それは不安要素を潰し、確実に勝ちを拾おうとする、守りの型だ。先ほど自らが馬鹿にした、弱気ではないのか。

「なら、ご期待に沿うように見せてあげないとね」

 ならばこれは、彼女が私をそれだけの相手だと認識してくれている証左。そのことに妙な嬉しさと、可愛げを感じる。彼女の本音に少しだけ触れたような、そんな感覚。

「……ふっ」

 僅かに口角を上げ、息を吐く。手にしたロッドに練り込んだ魔力を注ぐ。
 ロッドとはつまり増幅装置。そして簡易な術式が刻まれた魔具でもある。ロッドがなければろくな魔法は使えない。そこに魔力を注ぐことで、物によっては指先ほどの炎も町を焼きつくす轟炎と化す。支給品のこのロッドでは、注ぐことのできる上限値も増幅できる限界値も低いのだけれど。

「『空(くう)を疾走(はし)る風』」

 だから、術式をこちらで用意する。限りなく最適化した術式を組み上げ、最大効率でもって、上限ギリギリまで魔力を注ぐ。ロッドに刻まれた簡易な術式を無視する。通常より何十倍も密度の濃い燃料がそこに集まる。

「『圧は厚、密は緊、速は限りなく』」

 私以上にこれが上手い人を……今まで見たことはない。これだけは、誰にも負けない。この学園にいる誰よりも。

 ……目の前の彼女よりも。

「……っ」

 その彼女と目が合う。少し笑う。突き出したロッドの先はミシミシと砕けそうなほど軋み、結晶化した魔力が光を乱反射する。
 そしてそれを。キリキリと引き絞った弓を。解き放つように。

「ちゃんと受け止めてね」

 放った。

「『ティラバンタの葬風』」

▼

 飛び出したるは、不可視の風。それはまるで、全てをなぎ払う死神の鎌。
 それまで練り込まれた魔力を全てつぎ込んだであろうそれは、狂いなく放たれた。

「これ、は……っ!?」

 それまで笑みを絶やさなかったレストリア君が、初めて余裕を捨てる。予想外の速度に慌てて前方に障壁を展開。それより一拍遅れて、鋭利な風の暴力がそこにぶち当たる。

「ぐ、ううううっ……!!」

 衝撃波。衝突音。そして、ガラスの割れるような音。見えないはずのそれがレストリア君の障壁を容赦なく打ち破る。
 その度障壁は張り直され、そして砕けていく。次々と生ずる破砕音。目に見えないおびただしい量の破片。ぶつかり合う余波が、離れて見ている僕のところにまで流れつき、着ていたローブに傷を付ける。

 まいったな、これ学園の備品なのに。適当じゃなく本気で障壁を張る。野次馬の生徒たちを守る障壁も、二重に掛け直す。

「ああああああああああああっ!!」

 聞こえてくるのはスティラ君の雄叫び。学園始まって以来の天才と名高いレストリア君を、学年首位から引きずり降ろした子。いやはや、末恐ろしい。あのロッドが訓練用じゃなければと思うと、ゾッとする。
 喩えるならば。レストリア君はその圧倒的な魔力の量と質で他を寄せ付けない、いわば神話の巨人だが、スティラ君のそれはまるで精巧な絵画のようだ。あれほど緻密な術式を組める魔女はそうはいない。潤沢な魔力を持つわけではないが、あの技量はそれを補って余りある。

「そ、んなっ……!?」

 ゴ、ゴ、ゴ、ゴ、ゴ……! と。
 考えこむ僕を現実に引き戻すかのように、轟音が響き渡る。
 見ればそれは、レストリア君が築いた岩土の城塞が崩れていく音だった。張られた障壁をすり抜けた風が、その圧力でもって岩土を粉砕していく。その威力は計り知れない。四散した流れ弾ならぬ流れ風は暴れ狂い、引っかき傷のように地面もろとも抉り去っていく。
 開始早々のレストリア君の爆炎も相当なものだったが……。また一つ僕が喰らいたくない魔法リストに名前が追加された。

「はぁっ……! はぁ、は……ぁっ」

 そうして風の奔流が収まった頃には、レストリア君を守っていた城塞は全て崩れ去っていた。僕の目から見ても並の魔法ではびくともしない強度だったはずだが……相手が並じゃなかったということか。

「これで、少しは涼しくなったんじゃ、……ない? あん、たの使う魔法、……は、ふぅ……暑苦しい、から」
「ふ、ふふ……。お気遣い、感謝いたしますわ」

 これまでスティラ君は訓練でも遠慮している節があったが、確かにこれでは同世代相手だと不足だろう。魔力操作の講義も、これでは児戯に等しい。そういう意味では今回この戦闘が見れて良かったとも言える。
 誇っていい才能だ、スティラ君。やがては君も優秀な『深淵の魔女』となれる。その資格がある。間違いなく。

「……ん。さぁ、砂場遊びは終わり。大人しく、ママの所に帰ったら?」
「その前に、泣き喚くスティラさんの手を引いて、親御さんの所に送り届けませんとね」
「口が減らない、わね」
「お互い様ですわ」

 だが相手は、学園史上最強の天才だ。今後、間違いなく歴史に名を残す神の傑作だ。
 守りの盾を破壊したとはいえ、レストリア君の魔力は未だ果てしない。対するスティラ君に、どれほど余裕が残されているのか。なるべく僕も止めに入ることはしたくないが。

「早めに降参してよね。今日は特売に並ばないといけないんだから」
「つくづく庶民ですわね。それほど早く帰りたいのであれば、スティラさんが降参なさいませっ!」
「誰がっ!」

 さあ、どうする。スティラ君。

▼

「ふっ! はあっ! だっ!」
「……っ! はっ! ぃやっ!」

 練る。注ぐ。放つ。防ぐ。走る。
 手は止めない。足も止めない。思考は止まらない。
 より速く。より正確に。より効果的に。魔法を打ち込む。防御する。
 どうすれば相手を追い詰められるか。一秒ごとに変化する状況を見極め、位置を探り、再計算を繰り返し、詰めを模索する。

「『ケルベロス』」
「く……この!」

 単純な魔力の放出に紛れて、魔法が襲いかかる。見れば見るほどメチャクチャだ。術式自体はそれほど洗練されたものではないのに、有り余る魔力でもって非効率の壁をぶち破る。

「『カナイの旋風』っ!」

 大体何だこの『ケルベロス』とか。首を落としても襲ってくる化け物を細切れにして吹き飛ばしながら、心のなかで悪態をつく。
 炎で犬ころを創りだすまではいいけれど、そいつが意思を持って襲ってくるなんて常識外れもいいところだ。もはや『召喚』のそれに近い。どれほどの魔力を消費しているのか、想像もつかない。
 だのに彼女は疲れた顔すら見せず、大人が小枝を振り回すがごとく次々と魔力を練り、魔法を繰り出す。燃料タンクでも内蔵しているんじゃないかと思うくらいの、人間離れした芸当。学園史上最強と呼ばれるのも分かる。あちこちからお呼びが掛かるのも。嫌でも理解するというものだ。

「今なら、優しい命令で済ませてあげますわよ?」
「馬鹿言わないでっ」

 これほどまでに、自信満々な理由も。納得せざるを得ないじゃない。ったく、もう!

「わたくし、感心いたしました。あの岩の城塞、今まで崩されたことなんてなかったのですもの。やはりわたくしの目は正しかったということですわね」
「そりゃ、どうも!」

 打ち込んで、弾かれて。打ち込まれて、何とか防いで。
 少しずつ増えていく生傷。ローブのほつれ。対する彼女は、せいぜい先ほどの暴風で付いた土埃が残る程度。
 いくら攻撃を重ねたところで、そのたびに焦りが増えていくだけ。

「だからわたくし、考えを改めました。ライバルであるだけでは、それだけの関係で終わるには、あなたという存在はもったいないと」
「……どういうこと?」

 消耗する魔力。もう、結構な時間が経ってしまった。長くは持たない。ジリ貧という言葉がどんどんと頭の中で肥大化する。
 元よりその差は分かっていたこと。ならばどうすれば勝てるか。子供が大人に挑むがごとくの、この結果の見えた戦いの先で。私が勝利を掴むには、どうすればいいのか。

「この決闘が終わった時、わたくしはスティラさん、あなたに命令します」
「もう勝ったつもり? 夢見がちな乙女は流行らないわよ」
「いいえ、これは確定事項ですわ」

 彼女の自信に満ち溢れた言葉とともに。私はそれまでの思考ごと、突如発生した岩壁に阻まれた。
 そしてそれを破壊して抜けようとするより早く。

「しまっ……!?」

 姿勢を崩した私の眼前に、ロッドが突き付けられた。

「わたくしのものになりなさい。『スティラ』」

 それは、まさしく降参勧告だった。

▼

「……」

 空気が、時間が止まる。いや、止まっているのは私たちか。
 相変わらず時間は流れ、野次馬たちは固唾を呑んでこちらを見守る。

「悪いようにはしませんわ。少しばかり試練に耐えて貰う必要がありますけれど」
「……」
「さあ、『スティラ』」

 勝負は、決した。
 輝きを増す眼前のロッド。結晶化した魔力に、私の顔が映り込む。
 膝をつき見上げる私と、薄く笑いながら見下ろすレストリア。それは、周囲に結果を伝えるに十分な構図だった。

「……はぁ。やっぱり強いわ、あんた」

 敵わない、か。
 張り詰めた糸が、弛緩していくのが分かる。

「……私、これでも一応作戦とか考えていたんだけどねぇ」
「……」

 その中で、私は話す。油断なく突き付けられたロッドの先を見つめながら。

「ほら、悔しいけれど、魔力勝負じゃお話にならないじゃない? だから、少しでも足掻こう、とか」

 レストリアは、桁違いだ。それが、よく分かった。田舎で神童と呼ばれる程度じゃ、本物の傑物には敵わない。確かに他の学問では私のほうが上かもしれないけれど。肝心要の部分で、いくつもの壁を感じた。覆しようのない差を感じた。

「いろいろ、考えたつもりだったんだけどなぁ。あんたを前にしたら、全部吹っ飛んじゃった」
「悲観する必要はありませんわ。そもそも、わたくしと対峙して無事でいられたというだけで、誇るべき勲章ですもの」
「あはは……。大した自信だこと」

 だから、案外悪くないのかもと思った。私とレストリア、二人が組むこと。もともと、きっかけさえあれば仲直りできると、そうなったらいいなと、思っていた。
 それに、お互い得意な部分を補い合えば、きっとどんな困難も吹き飛ばして進んでいける。

 それも悪くないな、と思った。

「まぁ。だからさ……」

 せっかくだから、その案に乗ってみようと、そう思った。

「『私のものになってよ、レストリア』」
「なっ……!?」

 パチンと、指を鳴らし。突き付けられたロッドの先が、降ろされていく。
 いや、違う。構えたレストリアの腕は、そのままだ。降りていくのは、ズレていくのは、先端ばかり。魔力を溜め込み、放出するための機関部。ロッドの命とも言える先端の宝玉部が、鋭利な刃物で切られたかのような断面を見せながら滑り落ちていく。

「まさか、上手くいくとは思っていなかったけれどね」
「何を……!?」
「別に何もしてないけれど、強いて言えば、日頃の行い、かな」

 やったことといえば、最大火力の風魔法。それを、思い切りぶつけただけ。
 願ったのは、ロッドの切断。障壁をすり抜けた流れ弾が、偶然ロッドに当たることを期待して。
 それは、作戦などと呼ぶことも恥ずかしい、運に任せた博打。けれど、降参に持ち込むための、唯一の細い糸。

「最初は失敗したと思ったのだけれどね。亀裂が入っているのが見えたから」
「……わたくしがロッドに負荷をかけて、臨界点を超えるのを待っていたと」
「ま、そういうこと」

 それでも、願いは叶った。作戦は成った。腕を下ろす彼女に代わり、私は立ち上がり自らのロッドを突き付ける。

「少しズルっぽいけれど、運も実力の内って感じかしらね」
「……ふふ。いいえ、これはちゃんとあなたの実力ですわ」
「そう? ならそういうことにしておこうかしら」
「ええ。だから、誇ってくださいな」

 お互いに笑う。
 レストリアは頭の落ちたロッドを投げ捨て、今一度深く笑う。
 その笑みは、今まで見た中で一番余分な感情がなくて。

 ……だからこそ、嫌な予感がした。

「そんなあなただからこそ、わたくしも誇らしく思います」
「……レストリア?」
「魔力を使い果たすほどの戦い。その初めての相手があなたでよかったと」
「何を……っ!?」

 不穏な空気にロッドを握る手が汗ばむ。それは、手にしたはずの勝利を手放すまいと縋るようで。
 急速に全身を襲う予感に、総毛立つ。どう見ても、降参を告げる雰囲気じゃ、ない。

「……っ」

 だけど、彼女のロッドはすでに破壊した。魔法は使えないはず。単に魔力を放出したって、ロッドの増幅がなければ威力も薄い。障壁を張れば余裕で耐えられる……。

「……そんなっ!?」

 いや、魔力を使い果たすと、彼女は言った。底知れない魔力。減衰を上回る量を流し込めば、その威力は……。

 ……この距離、間に合わない!

「『鳳凰』」
「ま――」

 待って、と言うより先に。
 猛烈な魔力の奔流が、私の意識を、世界を白く染めていった。

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