第七話『独白』

 例えば、とある小さな国があったとして。

 そこは何の変哲もない田舎の国。
 売り出せるような特産物があるでもなく、強力な軍事力があるでもない。
 古来から代々続く王室、そんな細々とした伝統だけが唯一の誇れるもの。
 けれどそれも、世界の中央列強から見れば何の価値も無いもの。

 そんな弱小国に、その土地に、希少な高純度の宝玉結晶脈が見つかれば。
 魔力で支配された武力構図のこの時代に、市場にほとんど出回らないような質の高いロッドを、大量に作れる量が埋蔵されているとしたら。

 そしてそれが表沙汰になれば……。

「……争いが起きる」

 私は感情のない言葉を落とした。

「……」

 それは歴史から見れば、よくあるつまらない話だった。
 溢れるがままに任せた『作り話』は、雨のように、部屋に波紋を創る。
 レストリアはそれを黙って見ていた。
 
「近いうちに、必ず……」

 よくある話。だからこそ容易に想像できる。
 火を見るよりも明らかな、物語の帰結。
 今はまだ、何とか隠し通せてはいるけれど。きっと、それも長くは持たない。
 今日明日どうにかなるほど差し迫ってはいないけれど、何年も悠長にしていられるほどの余裕もない。
 それだけは確実。

 このことを考える度、私の頭の中はグチャグチャな迷路のようになって、現実逃避をし始める。

 例えば、で済めば、どれだけよかったか。
 例えば。例えば。例えば。
 あるいは。もしかしたら。そもそも。

 絵本の読み過ぎだよって、笑って。笑い飛ばせたら。

「そうなったら、ひとたまりもない! 今のままじゃ、絶対に……!」

 けれど想像して、また震える。
 大挙して押し寄せる軍勢に、為す術無く蹂躙される人。村。小さく弱い国に振りかかる火の粉。
 それに抗えない。それが弱いということだから。持たざる者の末路だから。

 そして、私『たち』は弱いから。持たざる者だから。
 それが現実だ。

「私は……私が知っている人たちが、血を流すところを……見たく、ない……」

 行き場のない感情は、また例えばに頼りだす。

 例えば、強力な戦力を持っていれば。例えば、優秀な外交力があれば。
 でもそんな夢物語はすぐに立ち消えた。
 例えば、友好国と連携してはどうか。例えば、手土産を持って大国に取り入るのは。
 そんな他力本願は、自ら「何かありますよ」と宣言しているようなものだ。

「でも、『自分の国』を守るには、どうすればいいか……。みんな俯くばかりで」

 議論は堂々巡り。リスクをとれず、手をこまねいて、身動きが取れない。そんな国の姿が、脳裏に焼き付いている。

 何か出来ることはないか。『私』が、出来ることはないか。
 人一人絞め殺せない細い腕だけれど。そんな私でも。

 それを考えた時から、私は動き始めたのだ。

「……だから『魔女』」

 それは、言葉の響きすらすでに魔法めいていた。

 『深淵の魔女』の力は強大だ。それこそ一人で戦況を操れるほどに。
 だからこそ、何度も議題に上がった。誰の脳裏にも浮かんだ。救世主の如く国の前に立つその姿を。
 けれど、現実は甘くなく。囲い込むには多額の報酬が必要で。そんな財源が、弱小国にあるはずもなくて。

「だったら、私が……。『深淵の魔女』に、なるしかない。私が……!」

 幸いにして、私には魔女としての資質はあった。そして他にめぼしい人物はいなかった。
 だから決断した。
 どこまで出来るか分からないけれど。国を守るためにはもはや、それしか思いつかなくて。

「……」

 強くなるしかない。準備するしかない。やがて襲い来るであろう脅威をその手で振り払うために。
 それこそが、学園に来た理由。私が目指す道。悩んだ末の結論。

 そうして、必死に魔女としての才を磨いたのだ。
 それこそ、学園の頂点を奪い取るほどに。

「だから、あんたの使い魔になっているヒマは、ないの……!」

 これまで溜め込んだものを吐き出す。
 言葉も。
 感情も。
 何もかも。

「……っ」

 かすかな残響が部屋を満たし、消えて。

 そして額に刻まれる代償。
 薄ぼんやりと光を放ちながら描かれた、真ん中から割れた国の紋章。

「……!?」

 私の『独白』を静かに聴いていたレストリアが、驚きに目を見開く。

 くっきりと定着した、それは裏切り者の証。
 なりふり構わない、私の覚悟の証。

 禁を破った者に対し自動発動する魔法は、音も無く静かにその仕事を済ませた。

「……」

 けれど今は、それに構う余裕もなく。
 溢れた涙は、ぽつりぽつりとレストリアの頬に降り注ぐ。

 握ったその手は、とっくに力を失っていた。

▼

「……そういうことでしたの」

 ようやく口を閉ざした私を、変わらぬ表情で見つめ続けるレストリア。
 すっかり脱力し、ろくに力の入っていない私の身体を振り払うでもなく。
 ただただ受け止めているばかりの彼女は、まるで独り言を呟くように言葉を口にした。

「時期外れの転入。聞き馴染みの無い出身地。単なる夢見がちな田舎者かと思えば、本人の資質は極めて優秀。なのにそれを誇ろうとしない。つくづく変わった方だと思っていましたが……」
「夢見がちな田舎者……」
「今から思えば、確かにあなたは『競争』に興味がなさそうでしたわね」

 学園での出来事を思い出すように。彼女はただ、ゆっくりと瞼を閉じる。

 細い首。作り物のように美しい顔。あらゆる『競争』に対して勝利してきたであろう絶対強者。
 けれどそんなことを微塵も感じさせない穏やかな表情。口調。

「……」

 一瞬、見えたそれはきっと『ただのレストリア』で。
 私は思わず息を忘れる。

「いじらしいですわね」

 そしてそれはすぐに霧散し。
 すぐに悪戯っぽく笑った目元が、瞳が、私を捉える。

「っ!?」

 唐突な浮遊感。急降下。
 一瞬の虚を突かれた私の身体が、視界が、全部が上を向く。背中に衝撃と痛みが走る。
 目の前に見えるものは変わらず。けれど、見下ろしていたはずのレストリアを、今は見上げて。
 数分前の体勢は、形勢は、あっけなく逆転していた。

「我欲で鞍を替えるこの時代に、その奉公精神はご立派ですわ。もっとも、そのせいで多少視野が狭いようですけれど」
「っ……悪かったわね……」
「いいえ。悪いことなど。わたくしはそういうところも気に入っていますもの」
「わ、ひゃっ!?」

 馬乗りになった彼女の身体が、覆い被さるように接近してくる。
 向かい合った顔と顔。吐息が触れるほどに近い。逃れようとしても、頭を包むように覆った両の手がそれを許さず。

 まるで、口づけでもするかのような体勢。
 視線すら逸らせない。
 これまでの調教の日々が、私の無意識に侵入して抵抗する意思を奪い去っていく。
 微かに甘い香りが鼻をかすめ。その声が、恋人にする愛の囁きのように耳を浸す。

「なおさら、あなたが欲しくなりましたわ」
「ひっ!? あ、あ! な、なに……を!?」
「今更、なにを、などと」

 突然の、そしてすっかり慣れ親しんでしまった感覚が蘇る。
 それは粘着質な音でもって、今までを塗り替えようとする。

 股間の触手貞操帯が、蠢き始めた……っ!

「こうして自ら転がり落ちてきてくれたのですもの。美味しく頂いて差し上げるのが礼儀ですわ」
「ちょ、あ……あ、ぅ! い……っ、ば、ば……か!」

 楽しそうに笑うレストリアが、さらに触手の動きを激しくする。
 常に一定の発情状態を強いられている陰部は、僅かな時間で淫らな気持ちを再燃させる。

「は……くっ! あ……ん、んん……!」

 ぐちゃり、ぐちゃりと無数の触手が膣を、肛門をほじくるたび、私の腰はガクガクと震え、思わずレストリアの腕にしがみついてしまう。

 自ら転がり落ちたつもりなんて……ない。
 情に訴えかけるという、情けなく頼りない手段ではあったけれど。
 何とかこの状況を打破したいという思いで、私は……。

「ぅ……く……っ」

 でも、どこかで。
 心のどこかで。

 全てを投げ出して、身を任せたい……。

 そう、思ってしまった。
 そのことが私の気持ちに影を落としていた。

「こんなに眉を寄せて。あなたに難しい顔は似合いませんわ」
「うる……さいっ! だ……からって……っ!? んっあああああ!」

 ようやく落ち着いたはずの種火が、再び大きくなっていくのが分かる。
 三つの穴の奥底まで抉り込むように侵入した触手たちが、もぞもぞとその体を捻り、振り乱して。イボや繊毛を肉壁へと擦り付けるように暴れる。

「いやっ!? そ……こ、や、ぁああ!」

 咄嗟に掻き出したくなる衝動に駆られ、けれど抑えこまれた状態ではどうすることも出来ず。
 そもそも、貞操帯としての役割も果たす相手に、元から私が出来ることもなくて。

 レストリアの腕を掴み、離して。床に爪を立て、ギュッと拳を握って。
 そんな行き場のない感情をただ身の内に溜め込み続ける。

「とめ、ひっ! と、めて、えええっ!」
「そう、そうやってグズグズに惚けているほうが可愛らしいですわよ」
「う、あ、ああ! ぃ、い、イクっ!」

 強い刺激をようやく純粋な快楽と捉えて、爆発的な昂ぶりが股間と脳を中心に広がっていく。
 全身に力が入り、脚が引き攣りそうなほどピンと伸びる。頭の中が真っ白になる。
 激流に身を任せ、果てようとしたところで。

「 ……っ!? い、け、ないい……!」

 あれだけ動いていた触手が動きを弱め、さあ……と波が引いていく。

「あああ……」

 何度と無く味わわされてきた寸止め。けれど、何度やられても慣れない虚しさ。
 自分ではどうしようもないもどかしさと快感が、全身を苛む。
 それを上から封じ込めて、レストリアは他意なく微笑む。

「もう、難しい顔をするのはお止めなさいな」
「あひっ……! ま、また……!」
「これからは、わたくしの側で、感情のままに」
「イク! い……くう! ……あ、あああっ! な、なん……で……!」
「泣いたり、笑ったり、気持ちよくなったり、切なくなったり」
「あ、あああ……。も、もう……!」

 繰り返し、繰り返し。一向に慣れない。性感の制御。支配。絶頂の寸止め。
 繰り返されるほど、どんどん強く大きくなっていく。快感を溜め込む器も、イケない切なさも。絶頂への渇望感も。
 単純なはずなのに。芸の無い短絡的な責めなのに。十分に開発されてしまった身体に、それは抜群の効果を生み出し、私を追い詰める。

「そうして、何も考えずに生きる。それもいいと思いますわよ?」
「はぁ……っ! ぅ、く……! そ、そう、かも……ね。……で、も」

 徐々に余裕がなくなっていく。そんな私を優しく包むような、囁き。
 それに溺れちゃダメだって、それだけは何とか理性が教えてくれる。

「つ……かい、ま……なんて……」

 思い出す、彼女の要求。

『わたくし専用の使い魔になりなさい』

 使い魔になんてなりたくない。
 それは、本能的な恐怖だった。

 魔女が使い魔になるなんてほぼ前例がないけれど。
 その扱いは、これまでの様子を鑑みれば自ずと分かる。
 きっと私の扱いは、高位精霊に対するそれじゃない。
 そこにあるのは、『支配の魔法』を基盤とした、絶対的な主従関係。

 つまりは、レストリアの……愛玩奴隷。

「あ……んた……っ! の、ど……っれ……なん……っ」

 奴隷なんて……嫌だ……。
 それに……。私には、やるべきことがある。
 それを……やらなきゃ。だから、使い魔になんて……なっている、暇……。

「ひあああああっ!?」

 ああ、もどかしい。こんなに気持ちいいのに。
 気持ちいいのに、つらい。
 私の意思に反して、触手貞操帯に包まれた腰はガクガクと快楽を求めて痙攣している。
 イキたいのにイケない。その理不尽に脳みそが焼き切れそうになる。

「奴隷だなんて、言葉が悪いですわ。でも、そういうのも悪くないと思いますわよ」

 なんで、イカせてもらえないんだろう。
 それは、レストリアが許可をくれないから。
 なんで、許可をもらえないんだろう。
 それは、私が言うことを聞かないから。

 段々思考が混濁してくる。

「つらいことも、悲しいことも忘れて」

 そういえば、どうして私は……。
 やるべきことって、何だろう。

「ただ快楽に震えればいいのですもの」

 ……そうだ、国を守るんだ。
 魔女になって、強くなって。敵を打ち払って。
 それで……。

「……どうしても嫌なら仕方ありませんわね」
「……ふぇ?」
「強制するつもりはありませんのよ。初めから。ただ、拒否をしたその時は、……わたくしが、直々にあなたの国を滅ぼしますわ」

 レストリアの言葉が、妙に明瞭に頭の中を反響する。

「せいぜい頑張って、わたくしを止めてくださいな」

 レストリアが、私の国を滅ぼす?
 それを止めるために、戦う?

「う、そ……」
「嘘ではありませんわ。わたくしはあなたを手に入れる。そのためなら、国の一つや二つ、滅ぼします」

 言い放たれたレストリアの言葉に、力みも緊張もなかった。
 ただ、できることをこなすだけ。それは宣言ですらなく、『予定』だった。

「あ……」

 それに対して、私は。
 私は、必死になって、努力して、ようやく手に入れた力で。
 ……敵わないと知った、レストリアと戦うの?

「ああ……」

 そう考えた時、何かが崩れる音がした。
 私の身体は一段と強く震えた。

「あああ……」

 それは、恐怖だ。
 強大な敵に向かう恐怖。絶望する未来が見える恐怖。死を想像する恐怖。
 少し前までは、そんなこと考えもしなかったのに。
 ここでの生活は、これまでの経験は、すっかりと私の『本能』にまで根付いていた。

 そして頭に響くメイドさんの言葉。

『ペットが飼い主に噛み付くなんて、とんでもない』

「ですが、あなたが素直に使い魔になるというのなら」
「ぅ、あ……?」
「わたくしは、あなたの国へ行きましょう。わたくしが『深淵の魔女』として、あなたごと国を貰い受けますわ」
「ああ、あ……」

 そういうこと、だったんだ……。
 私はようやく理解した。納得した。受け入れた。
 もはや私に……いや、最初から私に、選択肢など無いという現実を。

 ……いや、一応選択肢は用意されているんだ。

 逆らって、叩きのめされた上に支配されるか。
 従って、優しく飼い殺されながら支配されるか。

 どちらを選んでも掌の上で踊らされる、絶望的で分かりやすい選択肢が。

「う……っく……」

 ああ……。ああ……。
 ぼやけた頭の中、ゆっくりと染み渡るこの感情はなんというのか。

 そして、いつ運命は決まったんだろう。

 このお屋敷に攫われて来た時?
 決闘に負けた時?
 自分の国が滅びるかもしれないと知った時?

「心配しなくても、ちゃんと守りますわ。それが主人の役目ですもの。『グレイドウィン皇国』の『スティラ姫』」
「……っ!? な、なん……!」

 ……自分が、姫として生を受けた時?

「この一ヶ月、ただ遊んでいたわけではないということですわ。といっても、先ほどのお話は初耳でしたけれど」

 いずれにしろ、『私』の所有権は、私にない。
 生まれてからずっと。たった今だって。

 そして、これからだって。

 そのことにやっと気付いた。

「はぁ……はぁ……ふ、くっ……! くはっ……あ……!」
「さて、そろそろ限界ですわね」

 もう自分の感情もよく分からなくなってきた。

 いいように翻弄された悔しさ?
 完全に退路を断たれた絶望?
 レストリアに負けた敗北感?

 国がなんとかなるかもしれないという安堵感?
 背負ってきたものをようやく降ろせる解放感?
 全てをレストリアが受け止めてくれる安心感?

 湧き上がった全ての感情が、触手の動きに粉砕され、溶けて、媚薬のように身体中に染みこんでいく。
 止めどなく流れる涙だけが、すべての感情を包括して、私を表現する。

「果てたいのならば、どうするべきか。今更説明は要りませんわよね」

 レストリアはそう言って、私の身体を解放して。
 ゆっくりと、優雅に。近くの椅子に腰を下ろした。
 そして私の目の前に、足先を向けて。

「……」

 震える手で身体を起こす。
 目の前には、優しく、そして自信に満ち溢れた微笑み。
 対する私は、グズグズに泣き腫らした顔で、それを見上げて。

「……っ」

 その瞬間、少し心が軽くなった。こんなこと言うと語弊があるかもしれないけれど。
 けれど、軽くなったんだ。
 いろんな感情が、一つの概念で処理できたから。

「私……」

 見つけたのは、本当に単純なことだった。
 それを認められなくて、足掻いてみたけれど。
 結局、事実からは逃れられなくて。

「スティラ・オールグレイズ……ううん、『スティラ・グレイドウィン』は……」

 ならばもう、受け入れてしまう他ないじゃない。

「『レストリア・ウィルストングス』をマスター……として、……使い魔……契約に、同意……します……」

 細く美しい脚に、心からの服従と誓いの口づけを。
 そして、私が自分の意志で流す、最後の涙を。

「……いい子ね。これはご褒美ですわ」
「ふ、あっ!? ひ、ぃあっ、あ、あ、あっ! あああああああっ!!」

 お父さん。お母さん。アイリィ。

 私、負けちゃった。

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