八百比丘尼の子

 八百比丘尼(やおびくに)はかつて人魚の肉を喰らい、不老長寿となった。
 彼女は1千年の寿命を得たが、それは決して幸せなことではない。歳をとらぬことを周囲に気味悪がられ、彼女は諸国巡礼の旅に出る。
 その美しさで方々の男と関係を持ち、子を生し、夫の死を見送った。
 ひとところに留まれぬ彼女は、成長した子もろともその地を捨て、また巡る。
 やがて噂は全国に広まり、どこにも行く当てのなくなった彼女は、誰もいない深い深い洞窟の中へと消え、二度と姿を見せなかった。

 そうして幾星霜。自らを八百比丘尼と騙る女たちが現れる。
 それらの正体は歩き巫女であった。その行為は伝説の布教活動であり、糊口をしのぐ芸活動でもあった。
 歩き巫女たちの中に、八百比丘尼がいた記録はない。

 しかし。
 彼女たちの中には、異様に長命で記憶力が高く、かまばらいや口寄せが達者で、とても年季の入った外法箱を持つ者たちがいた。

 歴史には残らない。取り上げられることもない。
 ただ人々の口伝の中にだけ生き、棲まい、受け継がれてきた記憶である。

 その者たちは、”八百比丘尼の子”。

 ただ永く生きることを運命付けられた、悲哀の子らである。

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「……というのが、貴女のルーツ。ママから聞いてなかった?」

 女性の声が遠くから聞こえる。いや、実際はすぐ近くで話しているけど、私の頭を覆う革のマスクのせいですべての音が遠くに聞こえる。

「……っ! ……っ、…………。……、……っ!?」
「ありゃ、今もしかして”死んでた”? さっき言ったこと聞こえてたかな」

 それに、声が遠かったのはマスクのせいだけじゃない。厳重に拘束された身体は身動き一つ許されず、肌が外気に触れる箇所はない。それは頭部も同じで、一切の隙間も奪うそれは空気の供給すら遮断し、この身体に酸素を与えない。呼吸困難に陥った私の意識は朦朧とし、やがて酸素欠乏により死を迎える。
 文字通りの、”死”。肉体は生命活動を停止し、意識は霧散し。けれど”私”は消えない。数秒後には再び心臓が動き出し、生命活動が再開し、意識が戻る。

「いやー、厄介だよねぇ、”不老不死”。あ、厳密には不死じゃなくて長寿だったか。まぁでも普通の人間の尺度でいえば1千年は十分不死だよね」
「……っ!? ……、……ーっ、っ、……っ!」

 蘇生し、でも状況は変わらない。死ぬ前と同じ、圧倒的な酸素不足。すぐに息苦しさが身体を襲い、耐え難い苦痛が脳を焼く。

「それに、寿命を迎えるまでは何があっても死ねない、っていう意味では不死とも言えるしね」

 傍にいるであろう女性がカラカラと笑う。全身をミイラのように雁字搦めにされた私はただその声を他人事のように聞きながら、ただ苦しさに耐え続ける。そして困惑する。
 なんで。どうして私がこんな目に、と。

「人間にとっては夢なんでしょう、不老不死って。よかったね。謳歌した? ”他人の母親の肉を喰って得た人生は”」

 でも、次の彼女の言葉で私は理解した。理解してしまった。

「貴女の祖先。でも世代的にはそれほど遠くないおばあちゃん。直接的に悪いのは、そのパパだけど。でも、食べたんだから同罪だよね。人魚の肉。殺して、捌いて、鍋で煮て食べた肉」

 全身に寒気と怖気が駆け巡る。
 彼女は、淡々と。どこまでも平坦な声で、ポツリと呟く。

「……あたしのママの肉」

 心臓を鷲掴みにされるような恐怖を感じる。
 その怒気と殺気に、ではなく。
 何の感情も感じ取れない、無機質な声色に。

『私にも子供がいる。私を殺せばあなたの子供に不幸が訪れる』

 思ってもみなかった、けれどどこかで察していた。
 いつかこんな日が来るんじゃないかと。母親から自分のルーツを聞かされたその日から。
 ”殺された人魚の子どもが、復讐に来るのではないか”と。

「あ、そうか、貴女はまだ生まれて十数年程度なんだっけ。でも貴女のママはすごく長く生きてるよね。さっきの様子だと、多分表面的な話しか聞かされてないんだろうけど」

 それはきっと、八百比丘尼の子らがずっと抱いていた恐怖。もしかしたら、八百比丘尼本人も。

「あたし、ハンターなんだよね。不老不死者を排除する、ハンター。西洋だと吸血鬼ハンターとかいるけど、そういうの。不老不死者って、いつの時代も為政者に疎まれるもんだからさ。まぁそのおかげでうちの家系も仕事に困らなかったってのは皮肉なもんだけどね」

 また意識が途切れる。そして蘇生する。逃れることのできない苦しみ。少しでもこの辛さから逃げようと暴れても、一本の棒のように包み拘束されたそれは微かに揺れるばかりで、状況は何も変わらない。
 必死に酸素を求める私の口元に彼女は優しく手を添えて、まるで愛しい子にするように革越しの唇を親指でなぞる。

「大丈夫。貴女のママも逃がさない。貴女と一緒に”埋めてあげる”」

 カッと頭に血が上る。お母さんにまで手を出すなんて。
 けれど、上った血はすぐに引いた。今、なんて……?

 ”埋める”?

「貴女達は寿命が来るまで死なないから。ハンターであるあたしたちでも殺せない。だけど、消すことはできる。人柱って聞いたことない? あれって、地鎮や祈願の意味もあるけど、合法的に貴女達みたいなのを消す目的でもあったんだよ」

 言葉の意味を理解して、全身が震えだす。

「あたしは陸に上がった人魚だから、もう不老不死じゃなくなったけど。でも、人間よりは何倍も長く生きる。だからその恐怖は分かるよ。生き埋めにされるのって怖いよね。窒息に、空腹。ピクリとも動けず、真っ暗の中、何も聞こえず、ただ孤独に死んでいく。それが延々と続くの。死んでしまう苦しみを、何度も、何度も。決して逃れることはできない。寿命が尽きる、1千年後まで」
「……っ!? ~~~っ!」

 声にならない声で叫ぶ。骨が軋むほど、いや、骨折してもなお暴れ続ける。極限に達した恐怖は脳のリミッターを外し、火事場の馬鹿力と呼ばれる身体の限界を超えた力で暴れる。

「怖いよねぇ。嫌だよねぇ。これから先、なが~~~い人生を、ず~~~っと土の中で過ごすだなんて。その間にこの世界はもっと豊かになって、楽しいことや気持ちいいことを享受して。もしかしたら人類は月や火星や宇宙のどこかに引っ越しちゃったりしてるかも」

 けれど、何も変わらない。おそらくこのために作られたのであろう拘束具は、文字通り命懸けの私の懇願をすべて封じ込め、そよ風ほどの影響も外界に与えなかった。

「でも、貴女はずっと埋まったまま。誰にも知られることなく、ただ独りで苦しみ続ける。死んで、生き返って。しんで、いきかえって。不老不死になったことを、心底後悔しながら。貴女の場合は遺伝だから、そういう家系に生まれたことを、かな」

 理不尽にもほどがある。確かにかつての祖先は彼女の母親に酷いことをしたのかもしれないけど。それに私は関係ない。不老不死を喜んだこともないし、それを望んだことだってない。

「あたしのことを恨んだっていいよ。それが貴女の救いになるなら。でもあまりお勧めはしないかなぁ。さっさと心殺した方が楽だよ。……あれ、生き返ったら心も元に戻るんだっけ」

 そんな言葉が聞こえると同時に、突然浮遊感を得る。

「ま、そんなわけで、さよなら。貴女は特別な子だし、こんな出会いじゃなければ友達になりたかったよ。なんて、お決まりすぎて寒いかな。けど、本心だよ」

 ある程度移動したところで、徐々に彼女の声が遠くなる。
 埋めるという言葉から察するに、私が横たわっている布ごと吊り下げられて、掘られた穴に降ろされているようだった。

「じゃあね。来世はまともな人生だといいね」

 そうして声は聞こえなくなった。その後、ぼとぼとと重たいものが断続的に降り注いで、次第に圧迫感が強くなる。やがて微かに感じていた外気の気配も消え去り、ひんやりとした無音の世界が私の全てになった。

「……! ……っ!!」

 私は叫び続けた。
 けれど、10年もすれば、声の出し方も忘れていった。

▼

「嫌な役を頼んだわね」

 誰もが目を奪われるような、美しい少女がポツリと言った。
 その声は容姿の割に酷くやつれていて、まるで何百年も生を重ねてきたかのような重みがあった。

「いいよ。これがあたしの仕事だし」

 対する妙齢の女性は、うなじにある鱗をコリコリと掻きながら応えた。

 二人の目の前にそびえる、杉の木。だいたい6mほどだろうか。木々が鬱蒼とした森の中で、そこだけが不思議と開けていた。

「……まだ、恨んでいるの?」
「まぁ、全くないと言えばウソになるけど。でも、恨んで、恨んで、恨み続けて。千二百年も経ったら、恨み疲れちゃった」
「……そう」
「それに、陸に上がって不老不死じゃなくなって、こうして歳を取るようになって。そしたら、恨みを覚えている暇もないの。すごいよね。寿命のある生き物って、こんなに感情が目まぐるしく変化するんだって、初めて知った」

 どこか楽しそうに、女性は言う。

「それで言ったら、貴女のほうはどうなの? 最初に聞いた時は耳を疑ったわよ。”すべての八百比丘尼の子らの悲哀を終わりにする”って。その手段が対象者全員の抹殺。気が狂ってるとしか思えない」
「……きっと、恨まれるでしょうね。けれど、ここで終わりにしなければ、また次の世代、その次の世代と、それこそ永遠に恨みの連鎖は続いていく。……私の子のように」

 少女は杉を見た。正しくは、その下、地下深くに埋められたものを。

「でも、これで終わる。一度の過ちで背負った負の遺産は、これで清算される。……あなたは」
「もういいって。疲れたって言ったでしょ。そうじゃなきゃ手なんて貸さない。それに貴女は、あたしに配慮してこんな手段を取ったんだって、勝手に解釈してるから」
「それは……」
「だから、あたしが勝手にそう思ったってだけだから、それでいいの。この話はもうおしまい」

 それでもなお何か言いかけた少女だったが、結局その口から言葉は出なかった。

「さて、残る”生き残り”は貴女一人。この後は手筈通りするけど、……本当にいいの?」
「もちろん。”子どもたち”を苦しめておいて、自分だけ地獄に落ちないのは許されない」
「貴女がいいなら、別にいいけど……。何も毎秒発狂するほどの苦痛を自分に課さなくてもいいんじゃない? この仕様じゃ、ほかのどの子よりも……」
「これは禊。そうでなくては意味がない。引き受けると決めたのだから。皆の恨みも、……あなたの恨みも」
「……」

 その後はお互い無言のまま、準備は進められる。
 ただ埋めるだけでは飽き足らず、まるで、というより拷問器具そのものが、全身至る所に装着される。それは常人であれば数秒と持たず発狂死するほどのもので、事実少女も装着途中から何度も事切れていたが、そのたび蘇生しては改めて苦痛を享受していた。

「……もう聞こえていないかもしれないけど」

 完全に拘束を終えた段階で、女性は堪らずといった様子で言葉を零した。

「あたしも今回の件で、貴女の子から、ううん、みんなから、恨まれてるだろうから」

 それは彼女の癖か、哀愁か。革越しの唇を親指でそっとなぞって。

「一緒に恨まれてあげる。それで本当に、チャラにしよう」

 黒い革を纏った少女の姿が土に隠れて、やがて消える。
 最後に残ったのは、人が埋まっていることなど想像もできないくらい、何の変哲もない地面と、一本の杉の苗木。

「……」

 彼女は、その光景を無数に見てきた。自らが作ってきた、命が土に還る証を。
 そして問う。自分はこれで、満足したのかと。

「……」

 悲願は達成された。恨んだ相手はもういない。
 ……いや、そもそも、恨むことはもう疲れたと言ったのは自分ではないか。

「……これで本当に良かったの、白(ハク)……」

 ついさっき地獄へと旅立った、自分が送り出した相手に、答えを求める。
 それがとんでもなく滑稽で、でも止められなかった。

「あたしが求めたものは、何だったの……もう、思い出せない……」

 涙が、零れる。ぽろぽろ、ぽろぽろと。
 地面へと落ちたそれは、土に吸い込まれることなく。淡い水色の石となって、まるで墓石のように木の根を飾った。

▼

 やがて杉の木は周囲のそれを凌ぐ大樹となり、神木と化した。
 全国で同じように杉の大樹が点在し、それらのそばには決まって小さな社が建っていた。

「あ、巫女さんすみません、聞いてもいいですか?」
「はいはい、なんでしょう」

 そのうちの一つ、白比丘尼を祀る社では、参拝客が巫女へ質問をしていた。

「ここって、何を祀ってるんですか?」
「ごめんなさい、神社仏閣を見るのは好きなんですけど、ここの由来とかは知らなくて」
「いえ、結構ですよ。あまり有名ではないので、知らないのも無理はありません」

 どうやらカップルらしき二人に、白髪の巫女は丁寧に説明していく。
 ここにはかつて、身を賭して贖罪に努めた気高きお方が眠っていると。

「へぇ~。そういえば、この杉の木も立派ですよね。こりゃ樹齢も相当なんじゃないですか」
「そうでもありません。年数でいえば、つい昨日のようなものです」
「え?」
「いえ、すみません。そうですね、樹齢もですが、きっとたくさん徳を積んでいるのでしょう」
「あーなるほど。ご神木ですもんね。まるで1千年は生きているかのような貫禄!」
「ありがたさ感じるよね~」

 分かったような分からないような表情で頷く参拝客。
 そんな彼らに言うでもなく、巫女は静かに言葉を続ける。

「杉は、神様が地上へ降りてくる際にお使いになります。そうであればもしかしたら、泣いている子らを哀れに思って、天国へと引き上げてくださるかもしれません」
「……えーと」
「あら、ごめんなさい。足止めしてしまって。ではごゆっくり」

 どこか哀愁を含ませた笑みを見せながら、巫女は立ち去っていく。

「……あの巫女さんも、すごい貫禄だったね」
「そうだな。若そうに見えるけど、歩き方も喋り方も堂に入ってるし」
「あ! 思い出した」
「な、なに?」
「あの人、白巫女さんだ。ネットの記事で見たことある」
「白巫女? たしかに巫女さんなのに袴まで真っ白だったから、変わってるなぁとは思ったけど」
「うん。さっきの説明で思い出したけど、なんかここに眠っている神様と昔”お友達”で、その死を偲んで白を纏っているとか」
「白比丘尼様と? でも神様とお友達ってさぁ。じゃああの人いったい何歳なんだよ」
「知らないよ。そもそもネットの噂話だし。白巫女ってわりに草履は真っ赤だったし」

 瞬間、びゅうっと風が吹いた。木々がさやさやと音を立てる。
 遠くで小さな背中がご神木を見上げ、そして祈りを捧げていた。

「……」
「……」
「……とりあえず、私たちも祈っとこうか」
「……そうだな」
「なんてお祈りする?」
「んー……、安らかにお眠りください、とか?」
「……わかった」

 何とはなしに手を合わせる二人。するとその頬に、涙が一筋伝った。

「え、あ、あれ……?」
「ど、どうしたの?」
「わかんない、けど、なんか、涙が……」

 流そうと思って流した涙ではなかった。けれど何となく、腑に落ちるものを感じた。

「なんとなく、だけど、”頑張ったね”って、そんな感じの感情が、溢れて……」
「……」
「ご、ごめん、変なこと言ってるよね……」
「……いや、なんかわかる気がする」
「え?」
「ごめん、俺も何となく、だけど……」
「……うん」

▼

 そうして月日は流れていく。

 人の一生は短い。多くの人が訪れ、けれど忘れ、死んでいく。
 それでも、白装束の巫女は、祈り続けた。
 不老不死でなくなり、歳をとるようになっても。
 人の数倍は長い人生をかけ、その命が終わるその時まで。

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