旅の途中、補給を兼ねて街へ寄った。
そこそこ大きな街だ。急ぐ旅でもないし、当面の拠点にしても良い。来る途中で狩った魔物の素材を換金しつつ、そんなことを話した。
「あ……」
ぶらぶらと街を見て回る。その途中で私はふと足を止めた。
「どうしたの~イナ?」
「ルトリシア。その、奴隷が……」
そこは奴隷を売る店だった。
雑貨や食料品と同じように、人が陳列され売られている。
この国では奴隷制度は合法で、何もおかしいことはない。ただここまで大っぴらに売られているのは初めて見たので、少し驚いてしまった。
「ああ~。この地方は多いらしいよ~」
「そうなんだ……」
「……」
小さい頃に接して以来、今まであまり縁のなかった存在。
首輪に繋がれこちらを見る光のない瞳に、私は胸の奥がざわつくのを感じた。
「店主さ~ん。ちょっとい~い?」
「え、ちょ……っ」
「はいよー。おや、女性の冒険者とは珍しい。奴隷が入用かい?」
「えっとね~」
「ルーティ……!?」
「まあまあ、ちょっと話聞くだけ~」
「もう……っ」
足を止めたのは私なのに、ルトリシアのほうが楽し気に店主と話し始めた。いや、奴隷を買うつもりはないけど……。
何となく疎外感を感じて、二人から離れる。かといって先に宿に戻る気にもなれず、それとなく店先の奴隷たちを眺めた。
「……」
奴隷になる理由は様々。犯罪や借金で……というのが多いけど、自分から奴隷になる人も中にはいるらしい。何でも、倒錯した欲望を満たしたいのだとか。にわかには信じられない。
目の前の少女を見ながら考える。一度奴隷になってしまえば、二度と人として扱われない。人権も財産も自由も失って、こうして物のように売られて。買われれば、その人の所有物となる。
「もし……」
そこに繋がれているのが、自分だったら。
そんな想像をした途端、胸の奥のざわつきが大きく波立つ。
その瞬間。
「えいっ!」
カチン、と。金属音がして、私は我に返った。
「……え?」
後ろを振り返ると、満面の笑みを浮かべるルトリシア。
違和感を覚えた首に手をやると、そこには冷たい感触があって。
「ちょ、まさか、首輪……っ!」
「あはは~、イナ、似合ってる~!」
「ルーティ! いくら冗談でもこれは……!」
確かに感じる。首を絞めつける圧迫感と、ずしりとした重み。途端に、さっきの想像が脳裏を駆け巡る。
奴隷。所有物。二度と人には戻れない。それに、首輪は隷属の証。破壊できず所有者でも外せない。一度嵌めれば最後、首輪に刻まれた契約魔法により生涯の服従を強制される。
嫌な汗が噴き出した。
「大丈夫~。ほら、ランプが青いでしょ~」
手鏡をこちらへ向けられた。そこに映っているのは、普段と同じ私の姿と、普段とは違う首輪。
つるりとした金属製で、鍵の機構もなくピタリと私の首に嵌っている。ただルトリシアの言う通り、前面に付いているランプは、青色に点灯していた。
「首輪って、登録しないと鍵掛からないから。自分で外せるよ~」
「……あ、本当だ」
言われるがまま首輪を弄ると、またカチンと音がして首輪は二つに割れた。
よく見ると、店の奴隷たちの首輪は皆赤いランプが点いている。
そっか、赤点灯じゃないと効果が出ないんだ……。
「あ、焦った……っ!」
「あははは~っ、イナすごい汗~!」
「笑い事じゃないんだけど!」
怒鳴りながら背中を向ける。まったく、やって良い冗談と悪い冗談がある。
自分の首に首輪が嵌められたと気付いた瞬間、生きた心地がしなかった。まだ心臓がバクバク言っている。そして改めて怖くなった。
登録しなきゃ、これはただの金属くず。
でも、登録してしまえば……。
「……っ」
人って、こんな簡単に奴隷になれるんだ……。
「ごめんって~」
「もう知らない」
「でもでも、イナだって、興味あるでしょ~?」
「何言って……わっ!?」
興味なんかあるわけない。そう反論しようとして、後ろからルトリシアに抱き締められる。
頭一つ分大きな身体が絡みついて。普段の間延びした声とは違う、蠱惑的な囁きが耳元で響く。
「だって、あんなに熱心に"あの子"のこと見てたもんね」
「……!」
それは、物珍しかったから。そう言おうとして、ルトリシアが言う"あの子"に、含みがあることに気付いた。
脳裏によみがえる、かつての記憶。村に来た商人が連れていた、奴隷のお姉さん。話をする機会があって、奴隷とはどういうものか聞いて。可哀想なはずなのに、どうしてか興奮がやまなくて。
「知ってるよ。イナに"そういう願望"があるってこと」
「な……!?」
「大丈夫。あたしは軽蔑しない。どんなイナでも受け入れる」
言葉はまたしても外に出ず、視線だけが誘導されるように赤い光を追う。
あの日感じた感情の昂り。結局意味は分からなかった。ただ"ドキドキした"という事実だけがあって。
そしてそれは今も……。
「このお店、"奴隷体験"ってのがあるんだって」
カチン。ついさっき聞いた音が鳴る。ついさっき感じた重みと圧迫感を覚える。
でもそれ以上に、私は湧き出る感情を処理するのに必死だった。
「だから、確かめようよ」
悪魔のように冷たい指が、私の下腹部を服の上からなぞる。
見る必要すらない。弁解の余地もない。それはきっと、この店を通り掛かって、その姿を見た時から。
私の下着はぐっしょりと濡れていた。
「イナが本当は、"ああなりたかった"ってこと」
「……ぁ」
自分でさえ言語化できていなかった感情が、勝手に意味付いていく。
そこに在るのに見ない振りをしていた願望が、少しずつ色付いていく。
▼
思っていた以上に奴隷の扱いは理不尽で、不条理で。そして整っていた。
人権や財産や自由がない"だけ"。制度として確立しているので、誰もその存在を気にせず、ただそういうモノとして扱うだけ。労働奴隷は労働力として。愛玩奴隷は愛玩物として。
「あの子、可愛いね。いくら?」
「悪い。あれはもう売却済みなんだ」
「あれ、でも首輪……ああ、そういうことか」
店先に展示された奴隷たち。私も今はその一部。
客がやってきては並んだ商品を品定めし、店主と交渉していく。小柄で女性的な魅力に乏しいと自認している私だけど、それでも幾人かから声が掛かった。
実際に売られるわけじゃない。分かっていても身体が強張る。もし本当に私が奴隷だったら。どこの誰とも知れない相手に買われ、飼われ、生涯を捧げることになる。
「ん……ぅっ♥」
今日で一週間。"奴隷体験"が終わる日。
「馴染んできたんじゃないか」
「そんな、こと……」
突然店主に声を掛けられ、慌てて濡れた指を拭う。
依然として首輪の違和感はあるものの、だんだん嵌めていることを忘れる瞬間が増えた。
それでも日に何度もランプの色を確認し、そのたびに「まだ戻れる」と安心することを繰り返していた。
「"体験"、ですから……」
あくまでそれだけ。言い聞かせるように呟く。
通りを見れば、あちこちに奴隷の姿がある。
首輪からのびるリード。チャリチャリと鳴る鎖。自分で歩くのではなく、移動のために牽かれるだけ。
一歩間違えれば、あれは未来の私。そう考えるだけで、あそこがジュクジュクと滲み出す。
「店主さ~ん。来たよ~!」
「……っ、ルトリシア……!」
待ちかねた相棒の声に、心が躍る。私、こんなに寂しいと思ってたんだ。
でもこれで体験は終わり。私は奴隷から人へ戻る。
促されるまま首輪を弄ると、カチンと音が鳴って二つに割れた。
「……」
首元が心許ない。……いや、そんなわけない。ただずっと嵌めていたから。それだけ。
ほら、心は安堵している。ちゃんと外れてよかった。奴隷にならずに済んだ。ううん、そもそも体験なんだから、奴隷になるも何もない。
私の願望……。馬鹿馬鹿しい。自分から奴隷になりたいなんて、そんなわけ。
「ほら見てイナ~。新しい首輪~」
「……っ!」
ルトリシアがまた違う首輪を持ってはしゃいでいる。
私の心臓が大きく跳ねた。その首輪には見覚えがある。見た目はほぼ一緒、でも契約内容が段違いに重い。
店でもそれを嵌めている奴隷はごく少数だった。
「えいっ」
「あ!」
「似合う~。これも試してみよ~よ!」
「か、鏡、貸して……!」
あの日のようにいつの間にか嵌められてしまって。慌てて鏡を見たらランプは青だった。
「はぁ~~っ……!」
「イナ焦りすぎ~」
「焦るよ!」
初めて首輪を嵌めた時と同じ……いやそれ以上の動悸。
それは、自分の未来をより具体的に想像できるようになったからこその、恐怖。
「本当にそれだけ?」
「ひゃうっ!?」
急に耳元で囁かれ、素っ頓狂な声を上げてしまう。
気付けば知らぬ間にまた後ろから抱き締められている。私を丸ごと覆い尽くし呑み込むように。
……この体勢はダメだ。力が抜ける。ルトリシアに、逆らえなくなる。
「せっかくだし、もうちょっと"体験"しよ?」
「だ……め……」
「お金なら心配ないよ。時間もたくさんある」
「そ……いう、こと……じゃ……」
「興味あるでしょ? もっと"濃い体験"」
「……っ」
ゴクリ。
こんなに通りは騒がしいのに。息を呑む音が明確に響いた。
この一週間以上の体験。それは、どれだけの昂りをくれるのだろう。
「ほら、ペンを持って」
「え……なん……」
「この首輪はすごく高いから、誓約書が要るんだって」
「そう……なん、だ……」
言われるがまま、震える手で自分の名前を書く。
震えているのは手だけじゃない。けどそれも含めてルトリシアが抱き締めてくれている。
『奴隷登録工程を開始。対象の生体および魔力構成を解析します』
「えっ……な、なに……!?」
「あはは。すごく"それっぽい"でしょ? あ、鏡見る?」
誓約書にサインした瞬間、魔法陣が浮かび上がり、私の嵌めている首輪に吸い込まれていった。
そしてどこか人工的な声がして。鏡の中の首輪、そのランプが、青のまま点滅を始めていた。
「な、なんで点滅、してるの……? どうなるのこれ……?」
「首輪が奴隷を認識して、登録してるんだよ」
「そ……んな、と、止めなきゃ……っ」
「いや~ドキドキだよね~」
急にいつもの猫撫で声。私は動けない。動かない。頭の処理が追い付かなくて。
これは、どっちなの?
冗談なの? 本気なの?
取り返しがつかないの? それも含めて体験なの?
分からない。分からないから、身体が反応してくれない。
「ねえ、イナ」
「はあ……っ、はあ……っ!」
「怖いよね。イナ、"このままだと奴隷になっちゃうよ"」
やめて。煽らないで。本物を匂わせないで。
そうすることで偽物だと安心させようとしないで。
『対象の生体および魔力構成を解析中。進捗66%』
「今だったらまだ外せるよ。なかったことにして、いつもの生活に戻れる」
「あ、ああ……っ」
「でも、"体験"は1回きり。これを逃すとあの興奮は二度と味わえない」
早鐘のように鼓動が鳴って、心臓が破れそう。
ルトリシアの囁く声が催眠のように脳内に侵入してきて、思考ができない。
『対象の生体および魔力構成を解析中。進捗87%』
「イナが選ぶんだよ。今すぐ首輪を外して、全てを冗談に変えるか」
ルトリシアの手と重なって、私の左手が首輪に導かれる。
『対象の生体および魔力構成を解析中。進捗94%』
「今だけの、破滅の快楽に身を委ねるか」
ルトリシアの手と重なって、私の右手が粘液まみれの秘所に導かれる。
『対象の生体および魔力構成を解析中。進捗99%』
「イナはどうしたい?」
「うぅ……っ、あううう~~~っ!」
分からない。どうしたらいいの。
何が本当? 何を信じたらいい?
私は、どうしたいの……?
『対象の生体および魔力構成を解析が完了しました』
分かるのは、左手の冷たい感触と。
右手の粘っこく温かい感触。
『対象を奴隷番号62024021として登録します』
そして首元から響く、カチン、という施錠音。
「あ~あ、登録されちゃった♥」
「あ゙、あ゙、あ゙あ゙~〜〜っ♥」
脳が焼き切れそうな苦悶の中、私の本能は破滅の快楽を選んだ。
首輪に掛けていた左手を離し、両手で女性器を弄り回す。奴隷登録されたという絶望が、未知の快感を次々と生み出す。
「ひ、ぐ……っうううう~~~ッッ!!♥」
気付いたらイっていた。それも一度だけじゃなく、何度も。深く、深く。
これまで感じたことのない、とてつもない快楽。きっともう二度と味わえない。こんな快楽を知ってしまったら、取り返しがつかなくなる。
だって、"人生を棒に振る体験"に勝る体験なんて、滅多にない。
「あはは、気持ちよさそう♥」
「あ゛ぁ~~~~ッッ♥」
知性の欠片もない獣。ただグポグポと蜜壺を掻き回し、グニュグニュと肉芽を擦り潰す生き物。
あまりのどす黒い多幸感に鼻血を垂らし、ただ快楽を貪る。
「ねえイナ。夢中なところ悪いけど、これ見て」
「あ、い゛♥ひぅっ……♥」
快楽を貪る手も止めず、性欲に濁った視界の中でそれを見る。
鏡。涎を垂らすだらしない顔が映っている。その下、細い首に似合わない無骨な首輪がある。
ランプの色が、赤くなっていた。
「あ、え……っ?♥」
「そういうわけで、イナは今日からあたしの奴隷ね~」
「な……ち、が……」
「もういいのかい?」
「うん。ごめんね店主さん、うるさくしちゃって~。これ首輪の代金と登録料~」
「構わねえよ。また何かあったら寄ってくれ」
「え……」
さっきまでの夢見心地はどこへやら。突然日常に戻る世界に、頭が追い付かない。
急速に現実へ引き戻される感覚。懐かしい汗が噴き出す。
「え……えへ、へ……」
熱いのに冷たい、嫌な汗だ。
「こ……これ、も、"体験"、だよ、ね……?」
「じゃあ役所行こっか。手続きは進めておいたから、あとは本人確認だけなんだ~」
「うそ、だよね……本物じゃ、ないよね……?」
「あ、最低等級の奴隷は服着れないんだった~。イナ、脱いで~」
「冗談、なんだよ、ね……ね、ルーティ……?」
「……」
背を向け歩き出そうとしたルトリシアがこちらを向く。
その顔は笑っていた。それに心底安心して、私は力なく笑い返した。
「もう~、イナったら~」
「えへ、へ……へ……♥」
だから見逃していた。
笑顔は笑顔でも、それは普段とは違う。
私の心臓をギュッと掴むような視線を孕んでいたことに。
「不服従は懲罰だよ~」
「あ゛ッッ⁉ お゛、ぎっ! ひぎぃ! あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」
突然正体不明の苦痛が首の後ろから全身へ広がる。立っていられず、思わず倒れ込んでなお痛みは逃がせず、のたうち回る。
まるで痛覚神経を纏めて束にして雑巾絞りされているような。根源的な恐怖を覚える痛み。
実際には多分数十秒、けど私には永遠とも思えるほどの時間が過ぎ、それが収まった頃。私はこれが冗談なんかじゃないと、身をもって実感した。
「いや……ひぎっ! 痛いのいや! ごめんなさい、ごめんなさい!」
「そうだよね~。痛いのは嫌だよね~」
「でも、なんで、ちが、こんなはずじゃ、間違い、これ間違いっ!」
「何で~? イナ、自分で選んだよね~」
「ウソッ、ウソだと思ってっ! 体験だって! だって、ルーティも……!」
「え~? あたしはちゃんと言ったよ~? 『このままだと奴隷になっちゃうよ』って」
「そんな、それ、煽り文句だって、思うっ! 普通っ!」
「知らないよ~。イナが勝手にそう思い込んだんでしょ~」
へたり込む私の前に屈んで、いつもの調子で私の激昂を受け流すルトリシア。
どこまでも日常的なその様子を見て、サッと血の気が引いた。
……私は、本当に取り返しのつかないことをしてしまったのだ。
「うあ、あ……」
「今の会話も、本当は懲罰なんだけど~。今は気分がいいから後にしてあげる~」
「ど、れ……わたし……どれい……」
「そうだよ~。あ~、どれだけこの日を待ち望んだか~」
「……え?」
「あたし、イナのこと大好きだから~。絶対誰にも取られたくないってずっと思ってたんだ~」
屈託のない笑顔。それは子どもの頃と変わらない。
奴隷のお姉さんを見たとき。話を聞いたとき。私だけじゃない。横にはルトリシアがいた。
その境遇に興奮を覚える私の横で、きっと彼女は"手段"を覚えていたのだ。
「……ぼう……けんしゃ……は……?」
「大丈夫大丈夫~。ちゃんと戦闘奴隷としても使役するから~」
「……?」
「これまでみたいに、頑張って魔物狩って稼いであたしに貢いでね~」
「みつ……ぐ……」
「それだけじゃないよ~。イナは一生、あたしのためだけに生きるの~」
ああ、そうか。
「あたしのことだけ考えて、悦ばせて、傅いて、服従して、こき使われて、奪い尽くされて、それでも崇拝して生きていくの」
本質は変わらないんだ。ルトリシア"様"も、私も。
「大丈夫。ちゃんと調教して、立派な奴隷にしてあげるから」
ただ、互いの願望が形になった。それだけ。
「そしたらまた、"いい子いい子~"してあげるからね~」
「え……へへ……へ……♥」
気付いたばかりの悦びを抱いて。
私は頭を撫でられながら、いつか見た奴隷のように笑った。
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