「こんにちはー」
今日も今日とてサークル活動。
本格的な夏は過ぎたとはいえ、まだまだ残暑厳しいお日柄。外を走る運動部の声は高く響き、人気の減った校舎は放課後独特の解放感と停滞感を感じさせる。
我らが”ビザ研”は厳密には部として認可されていないので、いわゆる部室というかサークル室は少々辺鄙なところにある。内容も他と比べてかなり特殊というか、アレな活動が多いので、ある意味そのほうが都合がいいのだろう。
縄や枷で拘束されているならまだいいほうで、風子先輩がボディペイントだけの全裸で校舎内を歩き回っていたり、風子先輩が大きな水槽の中でチョコレートやはちみつまみれでもがいていたり、風子先輩が圧縮袋の中で真空パックされてカエルみたいになっていたり。
よくぞこんな内容で申請が通ったものだと感心半分、呆れ半分。
……あれ、なんか風子先輩ばっかりだな。
「ふぅ。……っこおおおぉぉぉっ!?」
なんて風子先輩のことを考えていたら変な声が出た。
「え、な、なにこれ……!」
「あぅ」
でもこれは仕方ないと思う。
無防備に部屋へ入って黒い塊がうぞうぞと蠢いていたら、誰だって奇声を上げる。
「……もしかして、風子先輩……?」
「あぅ」
ただ、私も一端のビザ研部員。すぐにこれが何かわかる。
『ヒトイヌ』
人を獣に貶める残酷な拘束だ。
「……」
拘束自体は単純。手足を折り畳んだ状態で袋状の革やラバーを被せ、拘束する。
たったそれだけで、人は立ち上がることも精密な動作も奪われ、惨めに地べたを這いずる他なくなる。
とはいえ目の前の風子先輩はそんな簡易的なものではなく、全身を革で覆われていた。
全頭マスクにスーツ、身体中を締め上げるベルトは、見る者に過剰な拘束感を感じさせる。
ちょんと足で小突けば、なすすべもなく倒伏させられ、相手に無抵抗な姿を晒す。
そんなちっぽけな存在に変えられた風子先輩が、その小さな身体をえっちらおっちら動かして、私の足元へとやってくる。
「風子、先輩……?」
「あぅ」
「はうあああああっ!?」
そしてその哀れな生き物は、つるつるの頭を私の脚に媚びるように何度も擦り付け、あまつさえ唯一露出した赤い舌をチロチロと動かしながらローファーに口づけをするのだ。
「ん」
「ん、じゃなくてええぇぇぇ……」
おそらく、これも姫華先輩の”調教”なのだろう。それはわかっていても、そのあんまりにもあんまりな倒錯的光景に私の沸点はすぐに限界を迎え、かといってどうしていいかもわからずに、ただただ身体をくねくねしながら身悶えていた。
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「なんでまたそんな姿に……」
「うんははいおゆんひ」
「へ? ……ああ、これ開口具噛んでるんですね。取れ……はしないかさすがに」
ひとしきり子犬状態の風子先輩を堪能した後、ある程度冷静になった私は至極当然な疑問を解消しようとしていた。
「手足の拘束も……鍵が必要かー。ある程度遊びがあるとはいえ、どこの拘束もギチギチだし……。辛くないですか?」
「あえあ」
「……何となくですけど、慣れたって言ってます?」
こくりと頷く風子先輩。仕草自体は頭を撫でまわしたいくらいに可愛いけれど、言っていることはとんでもない。
姫華先輩がマスター。風子先輩はスレイブ。このビザ研での定番の役割分担。
でも実際は、何か違う。上手く言えないけれど、この二人は、どこかそういうのじゃない。
何というか、”本物”のような気がするのだ。あくまで感覚でしかないけれど、きっとそう。
「……そういえばここビザ研でしたね」
確信めいた思いと相反する言葉をあえて口にする。
「こんちゃー」
「あ、光音」
「あれ、陽子だけ……じゃないか、何そのでっかい赤べこみたいなの」
「風子先輩」
「知ってる、わかってて聞いた。相変わらずえげつないねー」
ソファに座った私の膝の上に風子先輩を載せたところで、光音が入ってくる。
さらっと流すあたり経験値の差が表れている。
「あー、今年の文化祭、それにするんだ」
「文化祭?」
「そ、文化祭。もうすぐでしょ」
鞄を机に置きながら、光音は指を立ててしたり顔。
対する私は困惑顔。いやもちろん文化祭はわかるんだけれど。それと”これ”にどういう関係があるというのか。
「文化祭といえば、出し物出店展示物。文化部の成果発表の場でもある。それはおーけー?」
「うん」
「じゃあ我らがビザ研は何をするのでしょう」
「……。……うそでしょ?」
光音のこれ以上なくわかりやすいQ.E.D.に、思考が止まる。
……もしかしなくても、文化祭に”ヒトイヌ”を出そうとしてる?
「……いやいや。姫華先輩もさすがにそこまで奔放じゃないでしょ……。ないよね?」
「そういえば陽子は編入組だから知らないか」
「どういうこと?」
「春先のサークル勧誘会、ここ皆ボンデージファッションでね」
「……うん」
「バキュームベッドに固定されたこっこ先輩を触ってみようってデモンストレーションがあって」
「よくわかりました」
今までの活動内容的に、不思議ではないことなのかもしれない。
でも、それはあくまで自主的な活動の場であって、学院主催の正式なイベントでそれをするなんて聞いてないんですけど!
「んで身動きできないこっこ先輩の敏感な部分を皆が寄ってたかって弄繰り回して悶え狂うその姿を見てると」
「わかったってば!」
薄々気が付いていたけれど、姫華先輩の影響力はとんでもない。
こんなサークルを立ち上げられるだけで驚きだけれど、活動内容を一般公開してなお存在を許されているなんて。
姫華先輩の力の大きさか、はたまたこの学院の懐が大きいのか。何か裏というか底知れぬものを感じる。
……というか普通に犯罪では?
「まぁ、我らがボスが何を言い出しても不思議じゃないってこと」
「あら、ひどいわ光音ちゃん。まるでわたくしが暴君みたいな言い方~」
「ああっと、お疲れ様ですヒメ先輩。他意は無いですから」
「フォローはしてくれないのね~」
「意地悪ですよ」
「うふふ~」
噂をすればなんとやら。姫華先輩が部屋の中へ入ってくる。
「お疲れ様です。さっきまで風子先輩一人だったんですけど、大丈夫なんですかこれ?」
「何かあったら百桃が飛んでいくから大丈夫よ~。この部屋カメラ付いてるし」
「え、ここカメラ付いてるんですか」
「それより、みんな揃ってるわね~。丁度よかった」
辺りをキョロキョロ見渡す光音をよそに、姫華先輩が後ろに控えるメイドさん……もとい百桃先輩に合図を送る。
優雅な所作で前に出た百桃先輩は、その手に持ったボストンバッグを机に置き、チャックを開けた。
「カメラはまた探すとして……。これは……革?」
「そう。今風子が着ているのと同じものよ~」
「ということは、やっぱりこれって……」
「あら、気付いた? 今年の文化祭、これにしようと思って~」
今日の夕飯を決めたようなテンションで言う姫華先輩を見ながら、本当にそうだったんだ……と、こっそり嘆息した。
「大丈夫なんですか? 風子先輩、結構きつそうですけど……」
「大丈夫よ~。風子は慣れてるから」
「でも、みんなの前でこの姿は、さすがに風子先輩も」
「……? 風子は、ヒトイヌでは出ないわよ~?」
「え?」
「え?」
話が噛み合わず、お互いに首をかしげる私と姫華先輩。
「風子は別の展示物になってもらうから~」
「……じゃあ、”これ”は?」
「ヒトイヌになるのは、陽子ちゃん♪」
「え?」
「ね?」
言葉が理解できず、逆方向に首をかしげる私。
楽しそうに私と同じく首をかしげる姫華先輩。
「……。……光音ぇ」
「ご愁傷様」
視線だけ向けた先、一縷の望みを託した哀願は、無情にもお優しい親友様の一言で粉砕された。
「無理ですよぉ! 私なんかじゃ、こんな拘束……!」
言いながら、膝に乗せた風子先輩を見る。
胎児のように丸まった姿は、その小ささも相まって背徳的な可愛さはある。ただ、身じろぎする度ギチギチと窮屈そうに革が鳴き、呼吸は浅く息苦しそうだ。今こうして他人である私が撫でまわしても、本人に逃れる術はなく、なすがまま。生殺しの不自由に囚われて、生殺与奪を誰かに委ねる破滅感が、具現化して目の前で存在を主張する。
「大丈夫大丈夫。陽子ちゃんもビザ研の一員なんだから~」
「あの、いや、なんというか、もうちょっと段階を踏んでというか……!」
「あたしも精一杯サポートするからさ」
「あれぇ!? 光音そっち側なの!?」
「そりゃそうでしょ」
どのみち、無関係でいられるとは思っていなかった。
私もビザ研に所属している以上、ある程度経験はさせてもらっている。先輩たちに比べれば軽いものだけれど、こういった世界に関わりのない一般人よりは足を踏み込んでいるように思う。
ただ、いつも風子先輩がされているような内容は、それでもまだどこか遠い世界のことのように思っていた。
それが、いきなりこんな形でお鉢が回ってくるなんて。
「まぁ陽子がしっかり馴染めるよう、いつも通りあたしが陽子のマスターをやるから」
「光音ちゃんがマスターなら、陽子ちゃんも安心でしょ~?」
「……うん、まぁ、それなら……いい……かも……」
いやいや何もよくないとは思いつつも、変にごねると姫華先輩がマスターになってしまいそうで、強く反発することは止めた。
「なら決まりね~」
「本当にやるんですか……?」
「もう申請も出してあるから~」
「仕事が早い……」
「やー、楽しみだなぁ」
「光音、絶対グルでしょ」
「……やー、楽しみだなぁ」
「目を見て言いなさい目を」
どうせ裏で姫華先輩に買収されたんだろう。
自分がその役目から逃れるためか、はたまた単純に私をイジメて楽しみたいか。光音の性格的に、後者な気がする。
「早速明日から準備を始めないとね」
「準備って……もう?」
「何言ってんの。年に一度の晴れ舞台なんだから。下手なもの出せないでしょ」
「意識高……」
呟く私の顎がくいと持ち上げられ、光音と視線が交差する。
「『リードを持つ人に絶対服従』か、『惨めな姿を見られる羞恥心』か、『人としての自由と尊厳を手放す破滅感』か。陽子はどんなテーマが良いと思う?」
「な……、何でも……いいから……」
「それとも、『全部』?」
「お願いだから、優しくして……ね……?」
「りょーかい。文化祭までに、あたしが優しく、徹底的に、調教してあげるからね」
吸い込まれそうな、なんて言葉にすると安っぽいけれど。
そのブラウンの瞳は私の心臓までも掴んで離さないようだった。
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