亀頭箱

 拝啓、大好きな大好きな優人(ゆうと)くんへ。

 私達が初めて出会った日、憶えていますか。
 あれはそう、地元でも有名だった進学校の、入学式。その舞台袖。
 何百といる生徒の中で、一番優秀でなければ務められない、新入生代表の挨拶。その男女の代表が、貴方と私でしたね。
 貴方のことは、よく知っていました。成績優秀なのはもちろん、運動神経も抜群で。なのにそれをひけらかすことなく、誰に対しても優しくて、人当たりがよくて。困っている人がいればすぐに手を差し伸べる、勇気のある人。
 何だか、まるでドラマや漫画に出てくる人みたいだなと思っていました。

 だから、二人で代表を努めたときは、とても緊張していたんです。
 貴方の凄さを伝える噂は枚挙に暇がなくて。だからこそ、それを聞いていた私は、それなりに気持ちの準備をしていたのに。実際会った貴方は、噂よりも何倍も格好良くて、素敵で。あ、顔がいいからってわけじゃなくて。もちろん、容姿も素敵だったけど。何ていうんだろう、雰囲気というか、オーラというか。そばにいるとホッとするような。人を虜にしてしまうような。……ごめんなさい、うまく言葉に出来ないです。

 とにかく、そんな貴方に出会えて、私の人生観は変わりました。ずっと、ずうっと、貴方の隣に……。ううん、せめて、貴方と釣り合いが取れるように、なりたいと思ったんです。

 皆に愛される貴方と違って、私は凡人。容姿も普通だし、誇れるような特技もない。友達も少ないし、所詮は教室の隅っこで細々と生きている脇役。
 たまたま勉強だけは出来て、女生徒代表の役目を受けたりもしたけど。本当はコンプレックスの塊で、なんで私はこんなにも足りないんだろうって、貴方と自分を比べては、自己嫌悪していました。

 だから、努力しました。今まで以上に努力しました。勉強だけじゃなくて、運動も、ファッションも、交友関係も。少しでも貴方に釣り合うようにって。苦手なことも、頑張りました。頑張ったんです。

 でも、でもね。頑張れば頑張るほど、貴方の背中が遠いことを思い知らされました。凡人が努力するだけでは、届かないことが、この世界にはたくさんあるんだって。だから、ごめんなさい。少しだけ、貴方を疎ましく思ってしまいました。妬んで、憎んで……。
 でもそんなことを思う自分をもっと嫌いになって。

 貴方のこと大好きなのは、本当。私の全てを捧げてもいいくらい。
 でも、好きって感情が100%じゃなくて。ほんの少しだけ、ほんの1%だけだけど、負の感情が、私の中にあったのも事実です。それは自分でも嫌になるほど汚くて、卑しくて。でもどうしようもなく私が私であるという人間らしい部分。それがあるから私は盲目になりきれなくて。でも、それがあるから私は私でいられた。
 私のまま、狂うことが出来た。

 ごめんなさい。謝るのは、卑怯なことかもしれないけど。私は、本当に貴方のことを好きで。ちょっとだけ妬ましくて。貴方が素敵すぎるから悪いのよ、なんて陳腐なセリフが言い訳として思い浮かぶくらいには未熟で、一途で、夢見がちで。

 ただただ、貴方が、欲しくなりました。

 だから、私は、貴方を。
 貴方の人生を。
 貴方の全てを。

 貰います。

▼

 原理は、よく分からなかった。でも、別に構わないと思った。

 田舎の寂れた商店街。開いているのか閉まっているのかも定かでない、剥げて文字も読めない看板を掲げた骨董品店。埃っぽく、人の気配もない。薄ら寒いものを感じる店内。そこで手にとったのが、幾何学模様の装飾が施された、手のひら大の箱だった。
 正方形で、表面はひやりと冷たい。模様は彫り込まれているようで、指を這わすと凸凹とした感触が伝わる。見た目ほど重くはなく、最近買い替えたスマートフォンと大差ない。値札はなく、幾らするのか分からない。
 というより、そもそもどうしてこの店にやってきたのか、それさえも分からない。どうしてか私は遠路はるばる電車を乗り継ぎこの地へとやってきて、縁もゆかりもないこの廃墟のような店へと足を運んでいた。その終着点が、この箱だった。

「それが、お前さんの業かえ」
「……。ええ」

 そんな、他人に話したら色んな意味で心配されそうな夢遊病体験をしたのが、半年前。
 私は今日、半年ぶりに、同じ店に、同じ場所に、同じ品物を持って、同じように立ち尽くしていた。

「えらく時間がかかったのぉ」
「なかなか踏ん切りがつかなくて。半年もかかりました」
「ま、それでもこうしてここにおる。これでお前さんも立派な『魔女』さ」

 ふぇ、ふぇ、ふぇ、と歯のない口が引きつるような笑い声を上げる。店主は、あの日と変わらずこの老婆だ。それはおそらく、私が生まれるより前からそうなんだろう。歳はもう推し量ることすら難しく、100歳を超えていると言われても納得するような容姿と、雰囲気。なのにその格好は海外セレブのそれのように、薄く透け、胸元が大きく開いたセクシーな衣装を身に纏っている。しわがれた皮膚は爬虫類の鱗のように硬そうで、垂れ下がった乳房は年月の経過を思わせる。
 それでも、妖艶だった。『魔女』という言葉がこれ程似合う人を、私は見たことがない。老婆が言った魔女という言葉。私をからかうものだと分かってはいても、この人が言うと冗談には聞こえなくなってくるほどだった。

「それで、あの、……お代は」
「ふぇ、ふぇ。そうさね。ここは昔から物々交換の骨董品屋。お前さんが手にしてるそいつも、どこかの誰かがここの品物と引き換えに置いていったもの。お前さんも、それに見合うものを置いていってくれればいい」
「見合うもの……ですか」

 老婆の提案に、少しの安心と、困惑。
 幾らかかってもいいように、私は全財産を持ってきていた。でも、それはいらないという。これからの生活に困る未来を回避できたことにホッとするも、代わりとなる対価に心当たりがなく、考え込む。

「……」
「……ま、若いお前さんでは、そうそう見合うものなど持ってないじゃろう」
「すみません……」
「よいよい、それくらいは想定済みじゃて。代わりの案くらい用意しておる」
「代わりの案……?」

 そう言って老婆は、一度店奥へと引っ込んでいった。まさか魂だ何だを要求されやしないだろうかと馬鹿馬鹿しいことを考えながら待っていると、彼女は小さな小瓶を手に戻ってきた。

「精封の小瓶じゃ」
「せいふうの、こびん?」
「簡単に言えば、この小瓶の中に精液を注ぐと、その遺伝子はこの世から隔絶され、輪廻の輪から外れる。……ま、早い話が男を種無しにする道具じゃよ」
「たね……っ!?」

 説明を聞いてゾッとする。そして、胸の中にジクジクとした昏い悦びが滲み出すのを感じる。
 話が本当かどうかはどうでもよかった。この老婆が言うなら本当なんだろう、そう思える事実が大事だった。
 一度小瓶に精液を入れてしまえば、その男性は生殖能力を失う。そんな魔法のような道具が、この世にあるのか。いや、この人なら持っていてもおかしくない。それ以上に怪しげな商品を所狭しと並べるこの店の店主であれば。

「とはいえ、本来の効果は魔除けじゃがな。今言ったのはあくまで副次的なもの。お前さんにとってはどうでもよいじゃろうが」
「……代わりの対価というのは、もしかしなくても、この小瓶に……」
「そう。こいつは男が死ねば魔除けの効果もなくなる。その点お前さんはそいつを大事にするじゃろうから、効果は永く続く。永く続けば商品としての値打ちも上がる。そうすればそいつを渡す対価にも見合うじゃろう」

 改めて手の中の箱を見る。そして、老婆を見る。
 その顔はしわくちゃで表情が読みにくい。それでも微笑んでいるのは分かった。弛んだ瞼で細くしか見えない眼球で、私の心を鋭く射抜きながら。

「分かりました。それでお願いします」
「ふぇ、ふぇ。よい買い物をしたのぉ、お前さん」

 そうして私は手に入れたのだ。
 なんら懐を痛めることもなく。社会的な制裁を受けることもなく。ただ、安全に、完全に。私の、欲望のままに。
 対価に、『彼』の未来と尊厳だけを明け渡して。

 私は、手に入れた。
 望んだ男性を封じ込める悪魔の道具、『亀頭箱』と。
 そこに未来永劫封じられることになる、『優人くん』を。

▼

 こんなにワクワクとした気持ちで朝目覚める日々が来るなんて、かつての私では想像できなかった。まるで、前から行きたかった旅行に行く当日のような。好きなアーティストのコンサート当日のような。気持ちが舞い上がって、抑えきれなくて、身体中がムズムズと焦れったくて、叫びたくなるような、笑い出したくなるような、何とも言えない高揚感。それが、ずっと続く。毎日、365日、ずっと続くのだ。

「おはよう、優人くん」

 それは何て素晴らしい日々だろう。私は芝居がかった動きと声で『箱』に触れ、挨拶する。
 当然、返事はない。だって彼は、封印されているんだから。この手のひら大の小さな箱の中に。自らの自由も尊厳も奪われて。ずっと。ずっと。

「うふふ、今日も元気ね」

 幾何学模様が彫り込まれた、正方形の箱。蓋を開ければ、そこには真っ赤に熟した果実が鎮座している。
 実際それは、梱包された贈答品の果物のようにも見えた。箱の中に敷き詰められた緩衝材の上に、ちょこんと載せられた赤い実。さくらんぼか、ミニトマトか。もう少し小さければ、ルビーかな、なんて。
 でもそれは、まぎれもなく男性器。それも、先端の亀頭部分だけ。女性のクリトリスと同様に、敏感で神経の詰まった性感帯。それが、チクチクとした綿の中で健気に、その身を捧げている。

 これが優人くん。これだけが、優人くん。
 身体もこの箱の中に封印されているらしいけど、どう見ても物理的に入る大きさじゃない。でも、どうでもよかった。
 『彼を所有している』。ただその事実があればいい。

「はい、おはようのチュー」

 箱を口元に近づけて、彼の鈴口と口づけをする。ほんのり感じる塩気と、暴力的な性臭。たったこれだけの接触で、亀頭は全体を真っ赤に染めて、短いサイクルで膨張と弛緩を繰り返す。
 興奮すると血が集まって亀頭が膨れ上がることを知ったのはいつだっただろう。初めは少しグロテスクに感じていたその姿も、今では必死におねだりする子供のようにも思えて、段々と可愛く感じるようになっていた。

「つんつん。ふふ、……あらら、もう我慢できないの?」

 赤ちゃんの頬にするように、指でイタズラをする。動きとしては僅かだけど、ピクピクと震えているのが分かる。そうして何度もしないうちに、ツツーっと鈴口から雫が垂れてきた。
 これも後から調べて分かったものの一つ。男性は、気持ちいいのが溜まっていくと、おちんちんが涙を流すんだってこと。

「おちんちん泣いちゃうの、だんだん早くなってきたね。優人くんがこんなに泣き虫だったなんて。可愛いなぁ」

 最初はそんな事も知らなかったから、雫がどんどん溢れてくる状況に慌て、驚いた。それからいろいろと調べて、それがカウパー氏腺液、いわゆる我慢汁ということを知った。
 出るものは仕方ない。でも問題は箱の中がグチョグチョになってしまうことだった。だから今は溢れないように尿道プラグで栓をするようにしている。これはおしっこの管理もできるようになって一石二鳥だった。
 最近はそれでも隙間から少しずつ漏れたりしてきているから、今度もう少し太いものを買ってあげようと思う。

「あ、プラグが浮き上がってきたよ。今日も勝負する? いいよ。ほら、はっけよーい。のこったのこった」

 イタズラをしていると、大抵ムズがってプラグを押し出そうとする。溢れそうなのは、気持ちいい涙かな、おしっこかな。それとも、生殖機能を失ってただの臭い汁になった精液かな。

「ほらほら、もっと頑張らないと、出せないよー」

 どちらにせよ、勝手に出させてなんかあげない。グッと持ち上がったプラグを、抜けないように押し戻す。顔を真赤にして押し出そうとする亀頭の頑張りに免じて、私は人差し指一本でちょいちょいって懸命な努力を無駄にしてあげる。
 上がって、下がって。押し出して、押し戻して。何だかセックスで彼を犯しているようにも思えて、結構気に入っている遊びだ。

「はい、おしまい。残念だったね。今日は出かけなくちゃだから、ここでおあずけ」

 けど、いつまでも遊んでばかりもいられない。私は、『彼』に釣り合うように、頑張り続けなきゃいけないから。
 最後にプラグをグッと押し込む。プチュッと指と潤んだ鈴口が触れ合う。押し込まれたプラグはその姿が見えなくなるまで尿道の中に埋没する。その状態で、私は箱の蓋を閉めた。

「帰ってきたらいっぱい遊んであげるからね」

 箱の中は狭くて、いくらプラグを押し出しても抜けることはない。だからお漏らしとかもしないし、安心して放置できる。
 しかも、老婆に聞いた話だと、蓋が閉まっているときは絶対に精液を出せないらしい。ということは、彼は私がいないと一生気持ちいいお漏らしは出来ないってことだ。
 それはとても素晴らしいことだと思う。私は彼がいなくても気持ちよくなれるけど、彼は私がいないと気持ちよくなれない。それって、とてもいい。その事実だけで、絶頂してしまいそう。彼の生殺与奪権は、私が握っているのだ。その万能感といったらどうだ。鼻歌の一つでも歌ってしまいたくなる。

「……うふふ」

 帰ってきたら何をしよう。全てが詰まった小さな箱をカバンに忍ばせながら、私は降って湧いたこの奇妙な境遇を謳歌していた。

▼

『美耶古市の麒麟児と呼ばれ、早くから将来を期待されていた桜川優人さんが突如消息を絶った事件。あれから、依然として行方は掴めていません。警察が捜査を打ち切った後も、民間による捜査が続けられていますが、有力な手がかりは見つからず、地元住民の間でも悲観的な声が広がっています』

 そろそろ、次のステップに進んでもいいかもしれない。私好みに改造してもいいかもしれない。他人事のように朝のテレビニュースを聞き流しながら、カップに僅かに残ったコーヒーを飲み干す。
 別に、焦りや不安はない。ただ、ふと思い立った。せっかくもらったこの幸せ。もっと貪欲に貪ってもいいのではないか。そう思った。それこそが、これまで周りの期待に応えるため自分を押し殺してきた、可哀想な『藤高美奈子(ふじたかみなこ)』へのご褒美なのではないか、と。

『ええ、本当に彼は優秀な生徒でした。我が校の歴史を見ても、類を見ないほどです。勉学はもちろん、運動もでき、性格もよかった。きっといつか大きな成功を収めるだろうと確信していました。だからこそ、今回の件は残念としか言いようがありません』

 そうと決まれば、善は急げだ。ティースプーンで亀頭を弄る手を止める。あれから数えるほどしかお漏らしさせてあげてないから、少し触っただけですぐに泣いてしまうようになった。その雫をスプーンに集めて、啜る。
 どうしてか、彼の命を啜っているような気持ちになった。

▼

「もっと素敵な姿にしてあげるからね」

 箱の中の亀頭に語りかける。手術前の子供に対するそれのように微笑みながら。
 気持ちを出すために着たナース服は、誰も見ていないからこそできる私の精一杯のコスプレだ。必要なのは手袋とマスクと肌を露出しない服装なので、わざわざコスプレする必要もないし、そもそも女医のほうが適切だった気がしないでもないけど、まぁそこは気分なので仕方ない。

「まずはこれ。とっても高いお薬。気持ちよくなるお薬。媚薬ね」

 媚薬というといくつか種類があるけど、これは局所的に神経を過敏にする薬。打つ場所が場所だから、結果として性感が増幅されて大変なことになる。実験として自分のクリトリスに軽く塗ってみたけど、風がすうっと撫でるだけで飛び上がるほど敏感になって、下着も履けず、しばらく外出どころか生活すらままならなかった。

「これを注射器にして10本分。入れていくからね」

 塗布だけで大変な目に遭う媚薬を、注射器で亀頭に流し込んでいく。細い針が元から敏感な肉を貫き、悪魔の薬が細胞を犯していく。

「4本目……。5本目……」

 1本、また1本と、場所を変えながら打つ。当然ながら声も何も聞こえないけど、悲鳴の代わりか亀頭は収縮を繰り返している。

「そんなに血流を良くしたら、どんどんお薬が回っちゃうよ。……はい、10本終わり」

 マッドサイエンティストっぽく、注射針をペロリと舐めてキメたかったけど、後でとんでもないことになってしまうので我慢。
 ともあれ、予定の量を入れ終える。早速効いているのか、亀頭は細かいシワまで伸び切るほど膨張して、テラテラと蛍光灯の光を反射している。きっとプラグがなければ失禁していただろう。そのプラグも亀頭にピアス穴を空けたおかげで抜けずに留まっている。

「次は表面ね。今度も媚薬だけど、これは敏感になるのと同時に、古い粘膜を溶かしてくれるお薬。つまり、ここが剥きたての茹で卵みたいにツルンってなるの」

 そう言って亀頭に指を這わせる。その刺激のせいか、それとも少し先の未来を想像したせいか。いやいやと怖がるように亀頭がプルプルと震える。

「だーいじょうぶ。今よりもすこーし敏感になるだけ。何も触れなくても空気の流れだけで気が狂ったように暴れだす程度だから」

 今までの古くて邪魔な粘膜さようなら。新しい無垢で無防備で弱点しかない粘膜こんにちは。
 劇薬とも言えるそれを、刷毛でまんべんなく塗りたくる。何重にも、何重にも。そのたびに亀頭は痙攣するように震え、彼の気持ちを代弁しているようにも見えた。

「さて、後は馴染ませるだけだけど……」

 言いながら、念のために手袋を重ねて装着する。万が一にも素肌で触ってしまったら大変なことになるから要注意だ。そんなものを性感帯に塗りつける私が言えた義理じゃないけど。

「ここまで頑張ってくれたことだし、ご褒美あげようかな」

 尿道プラグを留めるピアスを外し、内圧で抜けるに任せる。押し出されようとするプラグが、少し上がっては引っ込みを繰り返す。その姿は、「本当に抜いてくれる? 嘘じゃない? 意地悪しない?」と私にビクビクとお伺いを立てているように見えて、とても可愛い。
 けど彼もそのうち我慢できなくなって、ぐぐぐとプラグの先端が押し上がったかと思うと、重力に負けてポトリと銀色に輝く棒が吐き出された。

「あはは、上手上手」

 無事にプラグが抜けて、何だか出産を見ているようだ。でも続いて出てきた白濁液は射精というにはあまりに情けなくて、長い射精禁止期間でそのやり方を忘れてしまったかのように、とぷり、とぷりと漏れ出すだけだった。

「射精、どんなだったか忘れちゃった? それとも、お薬キメすぎて馬鹿になっちゃったかな」

 喝を入れようと、白い涙を零す亀頭をむんずと手のひらで覆う。手袋越しに、ビクビクと震えているのが分かる。射精らしい射精ではないけれど、まだトクトクと吐精が続いているのが分かる。
 本人はこれで気持ちいいのかな。そんな疑問を抱いたけれど、そういえば頭がおかしくなるくらい媚薬まみれなんだから、精液が通過しているだけで死にそうなほど気持ちいいんだろうなと思い直した。

「でもやっぱり、勢いよくビューって出せたほうがいいよね。私が思い出させてあげる」

 まだ本人にとっての射精は続いているけど構わない。左手で箱を固定して、右の手のひらで思い切り亀頭を擦り上げる。塗布した媚薬と我慢汁と精液を潤滑油にして、ゴム手袋の膣の中でムッギュムッギュと揉みしだく。

「……。ふふ、何だか優人くんの悲鳴が聞こえるみたい」

 箱に閉じ込められていなかったら、どんな顔をしていただろう。どんな声をあげて、どんな身悶え方をしていただろう。きっと、リミッターが外れた機械のようにがむしゃらに暴れまわろうとするだろう。
 手足を拘束する拘束具を引きちぎりそうなほど暴れて。関節が脱臼するまで暴れて。声が枯れるまで叫んでは、繋がれたベッドを破壊しそうなほど暴れて。
 でもそれは、私の想像の中だけの光景。実際には誰も知ることはない。見えるのは、儚く健気に震える亀頭だけ。

「きゃっ!? ……ふふ、そうそう、思い出してきた?」

 右手の中で、水飛沫が上がる。男性も潮を吹くのだ。それも、一緒に遊ぶ中で知ったこと。一人では途中で止めてしまうような、我慢出来ないくらいの敏感亀頭擦りを続けて、ようやく辿り着く快楽の果て。それが潮吹き。
 それは尊くて愛おしくて、これ以上ない無様な敗北宣言。

「まぁ、思い出したところで、もうセックスすることもないんだけど……。でも可哀想だから、せめて、私のお手手やあんよとエッチなことしようね」

 箱を太ももの間に挟んで、両手で捏ねるように擦り上げる。指や手のひらを使ったお手手マ○コ。ぬるりとした粘液とともに、絞るように握るだけで、間欠泉のように潮が吹き出す。

「だいぶ古い粘膜も剥がれてきたね。後ひと押し、頑張ろう」

 最初見たときよりはるかに肥大化した亀頭の上に、たった今脱ぎたての白いパンストを被せた。
 潮吹きによって私も間接的に媚薬を浴びて、中和剤を飲んでいるのに動悸が凄いことになっている。改めて拷問のようなとんでもない責めをしているなと思いつつも、ハイになった感情は止まらず、被せたパンストでゴッシゴッシと亀頭を洗う。

「あっはは、凄い凄い! 今まで以上にビクビクいって……きゃっ! 潮吹きも止まらないね!」

 ザラザラとした繊維が、薬で溶けて脆くなった古い粘膜をボロボロと削り落としていく。微かな守りも失った亀頭は、その剥き出しになった弱い弱い粘膜を、擦り切れて怪我をする寸前の暴力的な刺激でもって幾度となく責め立てられるのだ。

「……っ! もう、何度目かな。さすがに量が少なくなってきたね」

 そうして、亀頭がピカピカになるまで磨いた頃には、辺り一面が飛沫でびしゃびしゃになっていた。
 普通であれば、失神しているであろう責め。そんな辛い責めでも、彼は逃げ出すことはおろか、声一つ上げることを許されない。
 何故なら、箱の中に閉じ込められているから。

「辛いよね……」

 私だったら耐えられない。気が狂う。ここから出してくれるなら、こんな責めを受けなくてよくなるなら、きっとどんなことだってする。お金も、絆も、尊厳も、全てを放り出して、土下座して懇願するだろう。

「でも、駄目だよ。まだまだ足りない。私は貴方を愛したいから。誰も見向きしなくなるまでぶっ壊して、ぶっ壊して、ぶっ壊して! 世界中の皆が見捨てた、道端のゴミのようになった貴方を、私だけが愛してあげたいから」

 きっと懇願は通らない。分かっている。だって、懇願することすら出来ないから。ただ一つ露出した、もはや指先が触れるだけで情けなく屈服汁を吹き出す弱点そのものの性感帯だけで、何を懇願するというのだろう。
 もはや弄ばれ続けるしかない。その部位を、その感情を、その性を、生を。所有者の思うがままに。意思や尊厳なんて、関係ない。全てを被虐のスパイスへと利用されて。

「これから、媚薬が浸透するまで1日3回。効果が定着するまで、それを2週間。効果が永続化するまで、3ヶ月。ずっと繰り返してあげる。お薬と亀頭責め、何度も何度も。そうしたら、いつでも、私の好きなタイミングで、すぐに絶頂できるようになる。情けないお漏らし亀頭のできあがり。絶対に絶頂できない箱の中と使い分けて、入念に貴方を破壊してあげるね」

 それはきっと僥倖だ。
 私が天国へと昇れば昇るほど、彼は地獄へと堕ち続けていく。
 こんなに素晴らしいことはない。こんなに素晴らしい人生はない。
 たとえ死後の世界で、正反対の道を歩まされるとしても。

「……私、本当に大好きだった。貴方のこと、大好きだった。もちろん、今も。けど、少しだけ、ほんの少しだけ、妬ましかった。私にない才能を持つ貴方が妬ましかった。ほんの少しだけ、だったのにね。付け込まれたっていうのかな。気付けば貴方をこんな小さな箱に封じ込めて、酷いことをして。……ああ、そうだった。貴方が入るはずだった大学の主席、私がとったの。貴方が手伝うはずだった研究も、この間私の名前で論文を出したわ。貴方をスカウトしていた芸能事務所からモデルデビューもしたし、部活でもインターハイまでは出場できた」

 きっと、後悔はしない。

「頑張ったよ。私。貴方に釣り合うように。貴方の居場所を奪うような形になったのは、妬む気持ちが本当だったから。ざまあみろって。私にもできるんだって。……でも、今はもうそんな気持ちもない。もう、何もない。あるのはただ、『私だけの優人くん』を愛したいという気持ちだけ。こんな私、おかしいかな……?」

 だから『その時』までは振る舞おう。
 暴君として振る舞おう。
 いっぱい責めて、虐めて、弄って、酷いことして。
 山芋を塗って放置したり。犬の群れの中に投げ込んだり。ヒヤシンスのように水性栽培して観察したり。玄関の土間に埋め込んだり。
 思いつく限りのことをしよう。

「私、愛するから。いっぱいいっぱい、愛するから。私なりのやり方で。私が思うやり方で。そうしたらいつか。いつか、天罰が下るから」

 その時までは。

「その時までは、いっぱい楽しもうね。そして、……叱りに来てくれたら嬉しいな」

 祈りを込めるように、それを両手で握りしめる。
 吹き出した飛沫は、聖水となって私の肌を焼いていった。

▼

 あれから何年経っただろう。
 不老不死だと思っていたあの老婆も、私が80歳を超えた辺りであの世へ旅立った。
 それでも人間とは思えない時間を生きたあの人は、本当に魔女だったのだろうか。
 今はもう誰にも分からない。

「……」

 そういえば、あの老婆が言っていた。
 お前さんの業は深すぎる。このままではどうなるか分からない、と。
 別に構わないと思った。むしろ、望むところだと思った。
 このまま何も起こらずに全てが終わるならば、いっそのこと。
 何かの間違いで、どうにかなってしまえばいいのにと。

「……」

 そうして私は息絶えた。
 その手にあの箱を握り締めて。
 いろんな事があった人生だけど、生涯手放すことはなかったその箱。
 私は、愛を貫けただろうか。

「……ああ」

 それにしても、ここは、どこだろう。
 たしかに死んだ。私は死んだ。そのはずだ。
 なのに意識ははっきりとあり。手足や身体の感覚は鮮明だ。
 それにこれはどうしたことか。
 年老い衰えた身体ではなく、あの甘酸っぱくも尊い時間を過ごした若かりし日の身体に戻っているように思えた。

「やっと……」

 だからこそ、これが証明なんだろう。
 ついに私は辿り着いたのだ。
 あの日に夢見た、あの人との……。

「ふぎぃいいいいいいいいっ!?」

 思考の途中、押し潰されるような感覚に視界がスパークする。
 いや、最初から視界なんてない。あるのはただ深い闇だけ。
 なのに、強すぎる刺激に視界が白黒する感覚だけは、明確に感じられた。

「あぎゃああああああああっ!!」

 悲鳴。咆哮。確かに叫んでいるはずなのに、その音波は何も震わせることなく、ただ己の骨を通じて自分だけに聞こえる。
 感じるのは痛み?
 それとも。

「あぎぐううあがあああああっ、がぎぎぎああ!」

 出処はすぐに知れた。
 これは、まさか、そんな……。

「久しぶりだ。随分と久しぶりだ。君にとってはそうでないかもしれないけど。僕にとっては久しぶりだ。声の出し方を忘れてしまうほど」

 脳内に直接響く、懐かしい声。

「約束通り、来たよ。君を叱りに」
「ひぎっ!? ぃいいあぎいいいあああおおおおっ!」
「どういう状況か、直接見たほうが早いかな。ほら」

 強烈な刺激……いや、これは快感だ。強すぎる快感だ。あまりに強すぎて、痛みにすら感じる。
 ああ、そうだ。送られてきたイメージは、私の記憶にある学生時代の彼の姿と。その手に握られた、幾何学模様の彫りが入った小さな箱。
 私のクリトリスが入った箱だ。

「わ、わたっ、わたし……っ」
「そうだよ。これは君だ。今度は君だ。君の番だ。あの日からずっと。命絶えるその日まで。何十年と、僕が味わってきた地獄を、君が味わう番だ」

 声が聞こえる。視界が途切れる。この『世界』には何もない。『私』は確かに在るのに。何もないのだ。

「ようやくここまできた。容赦はしない。僕は愛さない。愛してなんかやらない。復讐。そうだ、復讐だ。これまで虐げられてきた恨みを思い知れ」

 何もないのに、感覚だけはある。剥き出しになった感覚だけはある。
 それは卑しく、無様に曝け出されたクリトリスの感覚だ。それだけ。たったそれだけ。私という存在は、たった小指の先程の小さくて驚くほど敏感な弱点ただ一つに変換された。

「その中は凄いぞ。自分という存在が剥き出しの性器だけになる。これまでの全てを否定されて、下品な性器という存在に塗り替えられるんだ。性器が全てになる。性器に与えられる刺激が全てになる。するとどうなると思う? 狂うんだ。そりゃそうだろ。頭がおかしくなる。バカになる。自分の全て、存在意義の全てを、他人に指一本で蹂躙されるんだ。そんな情けない話あるか。そんな屈辱的で、無力で、敗北感に満ちた気持ちがあるか。それがずっと続くんだ。死ぬまでずっと! 狂わなきゃ、やってられないだろう!」

 震える。震える。心が。身体が。
 それはこれまでのことを思ってだろうか。これからのことを思ってだろうか。

「でもな、駄目なんだ。狂っても、狂っても。その箱は、『正常な精神』を記憶してる。そいつをインストールし直すんだ。何度も、何度も。そのたびに新鮮で狂ってない心が蘇って、また狂うまで壊れ続ける。終わらない。地獄が、終わらないんだ。辛いという感情すら消え失せる」
「うぎぃ! ぎゃぎぎぎぎぎぎ!」

 素直に明け渡すしかなかった。事ここに至って。私に出来ることはない。安い思い上がりすら許されない。受け入れる以外の選択肢はない。
 怖い。どうして。なぜ。そんな甘えた気持ちを、抱くことすらおこがましい。それだけのことをしてきた。私は、それだけのことをしてきたのだ。
 これは、その断罪だった。

「でも僕には希望があった。肉体的な死があった。狂うことも出来ず、病気になることもない。死ぬことは出来なかったけど、寿命だけは別だった。だからこうして『刑期』を終えることが出来た。……でも、ここでは違う」

 痛い。気持ちいい。痛い。気持ちいい。
 私にあるのはそれだけ。今感じられるのはそれだけ。
 彼は私を許さないだろう。人間らしく幸せを感じることを認めないだろう。
 もしも感情をもってもいいとしたら、きっとそれは心が引き裂かれそうなほどの苦悩と、痛苦と。

「君に朗報だ。ここは死後の世界。魂の世界。本当の意味で、……終わりなどない」
「ぃいいいいいぐううううううっうううっ!!」

 とてつもなく歪んだ、惨めで哀れな100年越しのマゾヒズムだけだろう。

「さぁ、お仕置きを始めよう。君にされたこと、全部憶えてるよ。一つひとつ試していこうか。走馬灯を見るように」

 そうして二人のアルバムを見るように。

「ここでは仕事も、睡眠も、空腹も、時の流れさえもない。ただ無間だ。だから終わりなく、絶え間なく君を責める。責め続ける。……でも、もしも、そうだね。体感で、君に受けた責めと同じくらいの時間を復讐し終えたと感じたら、そのときは」

 果てしない地獄を、ただ、甘受しよう。

「君の言う『愛』を持って、引き続き責め続けるとしよう」

 それこそが、成就したこの恋の、唯一つの楽しみ方なのだから。

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