「あーあ、今日はきぃちゃん虐待でもしようかなぁ」
「……それって宣言してするようなことですか」
朝っぱらから何を言い出すのか。
「買い物でも行こうかなぁ」と同じニュアンスでのたまうお姉さまに思わず白い目を向ける。
「だって」
「だって、って……。はい、コーヒーです」
「ありがと。……ん、最近ちょっとぬるいのが続いてたしさ。ここらでちょっと引き締めを」
「はぁ……」
ぬるい……?
広い庭を裸の四つん這いで延々走り回ったり、犬かきをマスターするために重り付けてプールに放り込まれて溺れかけたり、発情期を作る(?)とかいって一週間くらいえっちいことされ続けて頭おかしくなりかけたりしたのが、ぬるい?
リクライニングチェアを軽く揺らすお姉さまの隣にペタンと座り、思わず虚空を眺める。
「……。私はそうは思わないですけど……」
「言うじゃない。ご主人さまに逆らうの?」
少しだけ凄みを利かせた低い声のお姉さまが、試すような表情をこちらに向ける。
……うう、それを言われると弱い。
「そ、そういうわけじゃ……。ごめんなさい」
だから謝る。
ご主人さまに意見してちょっと生意気だったかも。
「……。あっはは。遠慮がなくなってきたとはいっても、相変わらず根本が真面目ねぇ」
そう思って言った言葉に、相好を崩すお姉さま。
むぅ、また間違ったかな……。
「『人間』でいるときは、もっと馴れ馴れしくてもいいのに。前からそう言ってるつもりだけど、なかなか変わらないものね。三つ子の魂百まで、ってやつかな」
そういってまたからからと笑うお姉さま。
うーん。性格なんてそうそう変わらないよね。
「……そうですね。こればっかりは」
「まぁそれがきぃちゃんの魅力なんだけど」
『そういう行為』の最中はともかく、普段は友達みたいな感覚で。
そう言ってもらえるのは嬉しいけど、実際それができるかと言われれば、難しい。
だって、ご主人さまとしてだけでなく、人としても尊敬しているんだから。
まぁ、お姉さまは結構冗談が好きだから、そのときは生意気に突っ込んだりしちゃう。
それだけでも自分では充分馴れ馴れしいつもりなんだけどなぁ。
多分根本的な問題なんだろう。
「それにしても三つ子の魂って、よく言ったものよね。周り見てても昔っから変わらない奴ばっかり」
「わかります。私も友達とか見てるとそう思いますし」
「そう考えると、小さい時からびっちり調教しておけば、まさに自分好みのわんちゃんが出来上がるってわけよね」
なんとなく学校で犬の躾けを受ける子どもたちが思い浮かんだ。
みんな揃って『お手』とか習っている光景を思うとゾッとする。
『世界に通用するわんこ』とか育てるのだろうか。
「……それこそまさに鬼畜の所業ってやつじゃ」
「ああ……、きぃちゃんを赤ちゃんの時からあたしが育てなおしたいなぁ」
「あ、はは……」
それか『狼少女』みたいな感じなのかも。
うっとりトリップするお姉さまに何とも言えない愛想笑いを返す。
実際とんでもない話だと思いながらも、それはそれでアリだと思ってる自分が怖い。
生まれた時から犬になることを決められた人生。
何の疑いもなく犬として生活する人生。
……やばい、興奮するかも。
そんな変なことを考える自分に苦笑しながら、両手の中のコーヒーを啜る。
「……。んー……。……ねぇ、きぃちゃん」
そんな私を見て、考え事をしていたお姉さまが不意に口を開く。
「?」
「子どもつくろっか」
「ぶーーーーっっ!?!?」
啜っていたコーヒーを盛大に噴出した。
「うわっちゃっちゃ!?」
「げほっ! ごほ、おっほ! ……あ! ご、ごめんなさい!」
そして噴出した先にいたお姉さまにもろにひっかけてしまった。
存外にベトベトになってしまったお姉さまを拭くために慌ててタオルを取りに行く。
ああ……部屋着とはいえきれいな洋服が台無しだ……。
「……ねぇきぃちゃん」
「……はい」
拭われるがままのお姉さまが私の名前を呼ぶ。
感情のない声が怖い。
「さっきの話、どう思う?」
「……え?」
「ここらで引き締めをって話」
「あ」
たった今私の逃げ道はなくなった。
「……必要だと思います」
「そう。じゃあ準備しようか」
私のバカ。
▼
『人間』のときは、服を着させてもらってる。
オシャレとかそういうのに結構無頓着だった私が絶対買わない(そして買えない)ような、お姉さま好みの可愛らしい服。
それをきれいに畳んで、横に置く。
裸になる羞恥心を忘れない処置、それは今日も効果を発揮しているようだ。
「貴子、お手」
「わん」
お座りの姿勢から右手を差し出す。
そこに被せられる肉球手袋。
その見た目はパーティグッズのようにコミカルな犬の手。
でも手を入れるとそれは見た目に反して私の手を不自由なものにする。
手の差し込み口に待ち受けるのは、もふもふな生地ではなく、グーに握ったまま指を広げることを許さない革袋。
「おかわり」
「わん」
左手と合わせて手首のベルトを締められてしまえば、自分で外すことはもうできない。
「降参」
「わん」
ごろんと仰向けになって、おむつを替えるような姿勢になる。
足にも同じように犬足を付けられる。
多分こっちは見た目の問題だと思う。
それでも抓むような動作はできなくなる。
「力抜きなさい」
「ひゃんっ」
そしてお尻にローションを垂らされて、同じくローションにまみれたお姉さまの指がお尻の穴をほぐしていく。
「あっあっ……!」
知らず声が漏れる。
ムズムズとした感覚がゾクリと妖しい電流を背中に流し始めたところで、尻尾付きアナルプラグをぬっぷと差し込まれる。
「はっ……ん!」
「四つん這い」
「あ、わ、わん……っ」
お尻に意識を持って行かれそうになりながら、何とか四つん這いの姿勢をとる。
お尻を高く上げた状態。伸ばした膝がプルプルと震える。
アナルプラグの感触を振り切るように顔を上げてお姉さまを見つめる。
「許しが出るまでお尻を振って媚びなさい」
「わんっ」
そう言ってお姉さまは鞭を構える。
一瞬痛みを想像して息をのむ。
でも、私に恐怖することは許されていない。
ただ粗相をした罰を受け、許しを請い、媚びるだけ。
「はっはっ……!」
だから私は命令通りお尻を振り、尻尾を揺らし、舌を出して荒い息を吐き出しながら、媚びた視線をお姉さまに送る。
ヒュッ!
パシーンッ!
「きゃうっ!?」
お姉さまの腕が揺れたと思った瞬間、耳に聞こえる風切り音と破裂音。
そして一瞬遅れてやってくる、身を捩りたいほどの熱と痛み。
背中を縦断する痛みに皮膚がひきつれ、一気に脂汗が滲み出す。
手袋の中握った拳は見えないけどきっと白くなってる。
でも、それはお姉さまにとっては関係ない。
だから私は先ほどと変わらずただお尻を振り続ける。
痛みに悶える命令は受けてない。
バチンッ!
「ひぐっ!」
腰からお尻のあたりにかけて新たな痛みが生まれる。
ご褒美になる甘い鞭じゃなく、懲罰用の鞭。
バシッ!
ピシャン!
「あぐっ!? きゃんっ!」
痛みから全身に立つ鳥肌の感覚を必死で抑え込み、ただ許しを得るためお姉さまを見つめる。
卑しく、浅ましく、ひたすら自分が下等な生き物であると。
目の前の痛みを振るう方こそが絶対の存在なのだと。
鞭の一発一発、惨めな格好をした自分の身体に落ちるたび、生き物の本能と呼べる部分でそのことを理解し、脳に刻印していく。
バシン! バシン! バシンッ!
「ひゃ……! う! わ、うっ! わん! わん、わんわん!」
許して下さい許して下さい許して下さい!
あまりの痛みにもはや罰せられる理由すらあいまいになり、許されること、それだけが全てになる。
自分の全てが悪いのだと錯乱する。
この方に許してもらえるなら何でもすると、必死で媚を売る。
そうさせるだけの威力が、この痛みにはある。
きっと真っ赤であろう背中。お尻。
痛みの上に痛みが落ちる、痛み。
余計なことを考える余地もなくなり、頭の中を占めるのは、痛みと謝罪の言葉だけ。
「わん……わん……わん……」
視界が、歪む。
頭がふわふわして、全身が熱くて、気を抜けば手足が潰れて崩れ落ちそうになる。
そうしてどれくらいの時間が過ぎたのだろうか。
尻尾を振り、鞭をもらい、痛みに耐え、媚びた鳴き声を漏らす。
思考が単純化し、自分の居場所さえあやふやになったところで、ようやく鞭が止んだことに気付いた。
「反省してる?」
無表情で発せられるその言葉に恐怖を覚えそうになり、慌てて心を立て直す。
「わんっ! わんわんっ!」
動きの鈍くなった体を必死に奮い立たせる。
「チャンスをあげる」
そう言ってお姉さまが右足を私の前に出す。
「わんっ!」
謝らせてもらえる!
こんなに悪い子なのに、謝るチャンスをもらえる!
そのことが洞窟に差し込む太陽の光のように尊く、ありがたいもののように思える。
恵んでもらえたそのチャンスを逃すまいと、私は必死でお姉さまの足に服従のキスをする。
何度も、何度も、謝罪と感謝の思いを込めて。
何度も、何度も。
何度も、何度も。
「反省した?」
やがて、お姉さまの声が聞こえ、私は視線を上げる。
そしてその言葉に、精一杯の誠意をこめて。
「わんっ!」
と答える。
すると、それまで無表情だったお姉さまはフッと柔らかい表情をして。
「そう。なら今度からもっといい子になるのよ」
と言って先ほどとは違う鞭を手にする。
「……じゃあ、お仕置きを耐えた貴子に、ご褒美、ね」
ご褒美鞭だ!
お姉さまの言葉と、だらりと垂れた鞭に、私の身体が歓喜に震える。
「さっきまでので身体中が敏感になってるから、気持ちいいわよ」
思考能力の低下した頭に、『気持ちいい』という言葉がするりと入りこんでくる。
そしてその数瞬後、さっきよりも高く柔らかい音が連続的に聞こえた。
「あっ!? ひゃぅーっ!」
まるで剥き身の肉に直接振るわれたように、身体中に格別の痛痒さと痺れが走る。
思わず仰け反り震える中、呆けた頭はお姉さまの言葉を思い出し、それらをひっくるめて気持ちいいと認識する。
「あぅっ! あっあっ!」
ブシュブシュと愛液が吹き出てるのに気付く。
直接性感帯を愛撫されたわけでもないのに、私の身体は鞭が振るわれるたびに昇りつめていく。
攫われそうになる意識を何とか押し留め、お姉さまの笑顔と許してもらえた喜びを噛み締めながら、目の前の足の甲に口づけをする。
「イキなさい」
「わふっ! ふっ、ぎゅううううっ!!」
そして最後にお許しの言葉を聞いて。
ごちゃ混ぜになった刺激を全部『気持ちいい』に変換して、惨めったらしく私はイッた。
「はふっ……! ふ……っ!」
「ほら、そのまま来なさい。幸せな散歩させてあげる」
絶頂後の脱力感に崩れ落ちたい身体を必死で支える。
そんな未だ快感に震える私の顔を持ちあげられ、首輪が付けられると、そこに接続したリードを持ってお姉さまが外の庭へと移動する。
ぼやけた頭で何とかその言葉を理解し、リードを牽かれるまま私も外に出る。
今イッたばかりで億劫な身体。
それでも逆らおうなどという気はさらさら起きない。
お姉さまの斜め後ろにぴったりとつけて、本来の手よりも数倍大きい犬手袋をぺったぺったと動かしていく。
「気持ちいい?」
バシッ!
「ひゃうっ!」
イッたばかりでなおさら敏感な身体に一閃。
気持ちいいかと問われ、私は迷わず「わんっ」と肯定を返した。
「良かったわね、気持ちよくて」
「わんっ」
「気持ちいいの好き?」
「わんっ」
「幸せ?」
「わんっ」
「そう。良かったわね、幸せな散歩ができて」
「わんっ」
気持ちいい。嬉しい。散歩できて幸せ。
裸で、四つん這いで、犬の恰好で外を歩いているにもかかわらず、私はうきうきとした気分でお姉さまにつき従う。
歩きながら、時折ふと今の状況を疑問視する感情が沸き上がる。
でもその度、今の自分の気持ちを再確認する。
気持ちいい。嬉しい。
散歩している今は、幸せ。
だから何も問題ない。
やがて現状に微かな疑問を感じることもなくなり、犬散歩イコール幸せの図式が頭の中にこびりついていく。
「さ、そこの木のふもとで、マーキングしなさい。見ててあげるわ」
「わんっ!」
指示された木のもとへ歩み寄り、足を上げて尿道を緩める。
数秒経っておしっこが飛び出し、解放感に心も緩む。
「幸せ?」
「わんっ」
気持ちいい。幸せ。
排泄による快感。迷いなく幸せだと答える。
「マーキング気持ちいいね」
「わんっ」
「許してもらえてよかったね」
「わんっ」
「許してもらえたら気持ちいいね」
「わんっ」
「許してもらえたら幸せだね」
「わんっ」
そうだ。
許してもらえたから、気持ちいいんだ。幸せなんだ。
悪いことをした罰、鞭の痛みを思い出し、ぶるっと身体が震える。
でもその後お姉さまの足にご奉仕して、許してもらえた。
その嬉しさとおしっこの気持ち良さとで、またイッた。
ほら、気持ちいい。
許してもらえて、お散歩させてもらえて、気持ちいい。
気持ちいいと、幸せ。
だから今幸せ。
お姉さまといると幸せ。
そして私は、きぃちゃんと呼ばれ人間に戻るまで、ふわふわと『幸せ』な時間を過ごした。
▼
「あの、冷静に考えたら……」
「何?」
「そもそもお姉さまが、狙い澄ましたかのようなタイミングで『子どもつくろっか』、とか、とんでもないことを言いだしたせいでもありますよね」
「……」
ちょっと遅いお昼を食べながら、お姉さまと二人。
背中が痛むのであえて裸でピザを頬張りながら、若干ジト目でお姉さまを見やる。
「……そうかしら」
「なんで顔をそらすんですか」
ピーピーと、お約束に反して抜群に上手い口笛を吹きながらごまかすお姉さま。
その姿に軽いため息を一つ、よく冷えたコーラで喉をうるおす。
というかピザにコーラって、いや確かに最高の組み合わせだけど、これ確実に太るパターン入ってません?
カロリーゼロタイプは慰めになるのか。
「それに私たち、女どうしなのに」
「あら、卵子だけでも子どもは作れるのよ?」
「うええ!?」
「研究所にコネがないわけでもないし。技術的にも不可能ではないわ。さすがに今すぐどうこうってわけにはいかないけどね」
「でも……。さすがに怖いです」
「ま、夢の一つってところかな。人なのに犬として一生を過ごす。しかも何の疑問も抱かず。人としての常識を残して羞恥心煽るのもオツだけど、本人の人としての概念すら破壊するのもゾクゾクするわ」
ニヤリと笑うお姉さま。どこまで本気なんだか……。
「まぁ今も充分楽しませてもらってるから不満はないけどね」
「……? なんですか、それ」
訝しげな私に、お姉さまはニヤッと。
「お昼食べたらもう一回散歩行く? 貴子」
その言葉に私はスイッチが入ったかのように湧き上がる喜びを隠すこともせず。
「わんっ!」
と元気よく返事した。
「ほらね」
「あ」
そして、お姉さまのしたり顔に我に返る。
「散歩好きだもんねー、きぃちゃん」
「し、知りません」
「散歩って聞くだけでキュンとしちゃうでしょ」
「ししし知りませんっ!」
「動揺しすぎよ」
だって、あれは、犬の私の話なんだから!
そう思いながらも、胸がドキドキしていることを自分だけには隠し通せない。
ああ、どんどんと変態な私が私を支配していく……。
背中がピリッと痛んで、微かに甘い快感を残す。
もう……。
犬の話ばっかりするから、頭がごちゃごちゃに……。
「あ、そういえば結局きぃちゃん虐待できてないわね」
「それはもういいですって!」
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