『封魂の儀』。
それは、祈りの儀式であり、恭順の儀式であり、昇華の儀式である。
定められた形式に則り、殉教者を封じ、捧げ、敬虔なるその意を表す。
そんな『建前』がもはや真理と化し、狂楽が伝統に化け、俗衆にまで浸透してはや幾星霜。
数こそ減ったが、未だ風習に囚われ続ける世界の、これは小さな国でのお話。
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ぺたり、ぺたりと歩む音。コツ、コツと付き添う音。
突き刺さるような視線を感じる。一つ、二つ。いや、そんなものじゃきかない。数十の双眸が、あたしの全身を舐め回すように捉えている。
ぶるり、と身体の震え。さっきから止まらない。自分の意志じゃどうしようもない。
これは、剥き出しの乳房や恥部を無遠慮に視姦されている恥辱?
それとも、これから我が身に起こるであろう未来への恐怖?
それとも。……それとも。
どうでもいい、とあたしは思う。どちらにせよ、身体の震えは止まらない。心臓が飛び出そうな鼓動は治まらない。
せめて、あたしのこの情けない弱さが、周囲に伝わりさえしなければ、いい。
「姫様」
あたしにだけ聞こえるように。メイド長であるクラリサさんが、そっと耳打ちしてくる。
「……っ、大丈夫」
だからあたしも、そっとクラリサさんの次の言葉を潰した。熱い溜息を必死に堪えて。
言わせちゃいけない。それを言われれば、あたしは、縋ってしまいそうになるから。
だからあたしは歩く。胸を張って歩く。全てを曝け出した、無力な姿で。
「……大丈、夫」
もう一度、言う。けどこれは独り言。誰に伝えるでもないその言葉はすぐに宙に消えた。
あたしは頼りない足取りを止める。
目の前にある祭壇。見覚えのある祭壇。といっても、何年も前に興味本位で覗きに来たことしかないけど。
それでも、目に焼き付くくらい立派で、美しい。神聖な場所。
その祭壇に置かれた、唯一あの日と違うもの。
蓋の開いた、小さな箱。
それにちらりと目をやって。気付かれないよう、あたしは喉を鳴らした。また、身体が震える。
けど、もう後戻りはできない。覚悟を決める。もう何度も決めたはずのそれを、もう一度。
もう一度。
何度でも。
「姫様」
「……うん」
周囲が不自然を感じる一歩手前で、クラリサさんが声をかけてくる。
あたしは短く返事をして、そして後ろを、歩いてきた道を振り返る。
教会。参列する人々。変わらず注がれる、視線。視線。視線。
思わず臆しそうになる。だから、お腹にギュッと力を入れる。息苦しい呼吸がさらに息苦しくなるけど、構わない。
視線を相対させる。数十の瞳と。この国の行く末と。
「それ……では……っ」
そして声を発する。誰もに聞こえるように。全身を震わせながら。
最後の言葉を口にする。
「『封魂の儀』を、始めます……!」
▼
とある世界のとある王国。その中央都市にあるお城の3階の会議室の端っこで。
普通で平凡で何の取り柄もない、平民出のただのメイドが、寒くもないのに身体を震わせていた。
「へ~、そんなことあるんですね。あっはっは。ねぇみんな。大変だねぇ」
「誰と話しているんですか。ここには貴女しかいません。そしてわたくしは貴女に言っているのですよ」
視線から逃れるように周りをぐるぐる見渡しながら助けを求めても、この部屋には腕組みしたこわーいメイド長と、その圧力にメキメキ押し潰されて泣きそうになっているメイドしかいない。
そして悲しいかな、その涙目で震えているちっぽけなメイドはあたしだ。何度壁にある鏡を見返してもあたしだ。現実は非情だ。
「そそ、そそそんななな、あ、あああたたしっししがっ!?」
「誰かがやらなければいけないことです。それにこれは名誉なことなのです、分かりますね?」
「分かりません」
「……そうですか。ならいっそ卵子に戻って一から勉強し直しますか、シノブ?」
「んなことできるわけないじゃんうぷぷ……ってうわわわうそうそごめんなさいごめんなさい! できますメイド長の豪腕ならその棒きれ使って人を精子と卵子に分解することだってできますだから止めて!」
「シノブ……」
「冗談。いっつ冗談。おーけー? だからゆっくりその腕をおろしてぷりーず。どうどう」
ミシミシと棒きれを握り鳴かせながら大上段に構えるクラリサさんを慌てて静止する。 絶対そんな使い方じゃないでしょそれ。子どものお仕置き用でしょ。……あれ、お仕置きにはなるのか。致命的な意味で。大男も裸足で逃げ出すよ。そういえばこの人騎士団上がりだったっけ。
「……ともかく、これはもう決定事項です。議会及び国王も承認済みです」
「おー……、お偉い方々に言われちゃ、もう覚悟決めるしかなさそうだね……」
「日時は明後日。それまでに身辺の整理を済ませなさい」
「えらく急な……なんでもないですはーい!」
事務的なメイド長に、軽く応える。綺麗に整った眉が持ち上がった気がするけど、今度は何も言わず溜息を吐いただけだった。あたしの態度が悪いのはいつものことだ。
……でも、そうか。いよいよもって、あたしも腹をくくる時が来たようだ。老人ばかりの議会も、持て余していたあたしの処遇を決められてホッとしているだろう。今回の件は、まさに渡りの船だったってわけだ。残念でもあり、どこか納得してしまっている自分もいる。
「これでこの国も、ようやく厄介なお荷物を降ろせるってわけだね」
「……っ」
だから、そう口走った。
その途端、クラリサさんが物凄い形相でこちらに近づいてきた。
いやいや、怖い怖い!
何ですかむぎゅ。
「……二度と、そのようなことは言わないでください」
「……っ! ……っ!」
万力のような力で頬を潰され、ひょっとこのような口になったあたしはただガクガクと頭を縦に振った。痛い。
「……いえ、わたくしが言えた義理ではありませんでしたね……」
「え、何ですか?」
けど、それもすぐに終わる。そっと手を離したクラリサさんは、あたしにも聞こえない声でボソボソと呟いていた。あたし何かしたっけ。
「何でもありません。……いいですか? あくまで、これは名誉なこと。あまり不遜な態度でいると」
「メイド長自ら、あたしを連行する?」
「……」
挑発するようなあたしの言葉に、クラリサさんは応えず。ただ目を伏せただけだった。
「……」
「……」
「……心配しなくてもさ。やるよ、あたし」
「……っ」
耐え切れず、あたしは口を開く。目の前のメイド服が怯えるように揺れた。
「この国にはお世話になったし」
「……世話、など……!」
「流れ者のあたしを拾ってくれて、さ。ご飯ももらえるし、寝るところもあるし、着る服だってある。このひらひらしたのはあたしには似合わないけどさ。仕事だってくれた」
そう言ってあたしは立ち上がった。今まで擦り傷だらけだった脚をすべて隠すような長いエプロンドレス。
初めの頃はよく踏んづけて転んだし、鬱陶しく思っていたけど。今じゃ昔着ていた薄着がはしたなく思えるほどだ。
「そして、ずっと面倒見てくれたメイド長。メイド長には、本当に感謝してる」
「……」
「ありがとう」
こうだったかな、貴婦人の一礼。拙い動きでそれを真似る。うわー、我ながら似合わないな。もう一生することはないだろう。ならいいか。
あれ、クラリサさん、震えてる? そんなに可笑しかったかな。それとも下手くそ過ぎて怒ってる?
「……。今回の件、教育係および執行係はわたくしがやります」
「おお、そりゃ安心」
「この役目だけは誰にも譲りません。絶対に」
「……そんなにあたしのことイジめたい?」
「旧知の仲だからといって、手加減はしませんので」
「怖い怖い。目が本気」
そんなに力込めて宣言しなくてもいいのに。でもま、そりゃそうか。大役だもんね。そういう意味ではあたしも同じだけど、まぁこっちには背負うものがないからね。気楽なもんだ。
……あ、クラリサさんの顔に泥を塗る訳にはいかないから、やることはやりますけどね。
「では、時間もないので説明しますよ。今回貴女に与えられた……」
それが例え。
「……『封魂の儀』の任を」
『自分を殺す』役目だとしても。
▼
あたしは、自分の生まれを知らない。
だけど、この国じゃない、どこか遠い国から来たんだということは分かる。
大勢の人で賑わう中央広場で、誰一人としてあたしと同じ肌の色、髪の色、瞳の色をした人はいなかった。そして、今まで出会った人の中にも。それは、明確な『余所者』の証左であって、記憶もおぼろげに辿り着いたこの国で、あたしはすぐに衛兵に捕らえられた。
「シノブ! 何してるの?」
「あ、姫だ。姫こそ何でここに?」
それが、こうしてこの国のお姫様とお話できる関係になったりするんだから、世の中どうなるか分かったもんじゃない。
「もちろんシノブとお話しに! あと、今は姫はやめてなの」
「分かりました、エンヴィラ様」
「敬語は禁止なの! 様も禁止なの!」
そういえば、あの時もこうして地下牢で話したんだっけ。捕らえられたあたしはすぐに殺されるものだとばかり思っていたけど、なぜか生かされていて。そのうちに姫……エンヴィラが遊びに来るようになって。
それから、酷い拷問も少しは優しくなって。クラリサさんが迎えに来たのはその少し後だったかな。クラリサさんのシゴキは拷問と同じくらい厳しかったけど、おかげで仕事仲間からも一目置いてもらえた。余所者なのに受け入れてもらえた。
毎日が充実していた。
「分かった。エンヴィラ。で、何のお話?」
「聞いたの。『替玉』のこと」
「あー……。さすがに耳が早い」
どういうわけか、あたしは生かされて、それどころかここで生活させてもらえた。……けど、やっぱり疎まれていたんだろう。
誰に、じゃなく。単純に、コミュニティの異物として。
この国は、というよりこの世界はすべからく排他的で、人種差別がキツい。他国との交流が少ないこの国みたいな辺境の地だと余計に。
だからあたしは、この国にとっての不純物だ。そんなものを体内に抱えておくのはよくない。そう判断されても仕方ないとあたしは割り切っている。
なので、今回の件も、あっさり納得できた。
なにせ丁度いいのだ。全てが丸く収まる。
『替玉』だって、ああなるほどって感じだ。生かされていた理由も、ここで繋がるってもんだ。だって、あたしとエンヴィラは、姿形がそっくりなんだから。
「私、みんなに、ちゃんと私がやるって、お願いしたの……」
「ほんと? ありがと。でも、ダメだったでしょ?」
「うん……」
「まぁ仕方ないよ。それより、もうそんなことしちゃダメ。あたしのためにエンヴィラの立場が悪くなったら、あたしが嫌だよ」
「シノブ……。でも……」
「シノブ、待たせました。……あら、姫様、ご機嫌麗しく」
「あ、メイド長」
沈んだ空気を斬り払うように、クラリサさんが現れた。
……よし、この話は終わり。
切り替えるようにあたしは立ち上がった。
「さ、エンヴィラは部屋に戻って」
「あ……、私、お部屋戻れないの」
「え、何で?」
「お父様が、『お前は今『封魂の儀』に向けて準備中だから、人目につかないようにしろ』、って言ってたの」
「ああ、そういうことね」
対外的には、『封魂の儀』はエンヴィラが行うことになってるからね。実際はあたしだけど。
「あれ、じゃあエンヴィラも地下牢暮らし?」
「そんなわけありません。今地下部屋の一室を改装中です。といっても牢番兵の宿直室に毛が生えた程度ですので、姫様にはご不便を強いますが……」
「ううん、十分なの。私、ご本さえあれば狭くても平気なの」
「尊大な御心に感謝を。その代わり、今後のお世話係は姫様と気心の知れた者だけを選んでおきましたので」
「うん、ありがとうなの」
実際は、綺麗事で覆い隠した事実上の幽閉だ。そう思っても、口にはしない。きっと誰よりエンヴィラ自身が一番分かっている。
「メイド長」
「何ですか。……ん、分かりました。姫様。お部屋の準備が整ったようです」
「分かったの。じゃあシノブ、私一旦お部屋に戻るの」
「はーい。これから好きなだけ本が読めるね」
「あはは。楽しみなの」
下っ端メイドが部屋の準備完了を告げ、エンヴィラが「また来るの」と言って地下牢から出て行く。
「さて、始めましょうか」
「その前にメイド長」
「何です?」
「あたしが姫様のことエンヴィラって呼び捨てにしても、怒りませんでしたね」
「ああ、そうですね。では今から怒ることにしましょう」
「藪蛇っ!」
礼節には人一倍厳しいメイド長。だけど、怒ると言った今も、表情は怒りではなく……少し寂し気で、悲し気、だった。
「……姫様は」
「はい?」
「お独りです。ずっと……。お生まれになった、その日から」
「……」
「だから、……なるべく、仲良くしてあげてほしくて」
「まぁ、そんなこと言われるまでもなくずっと仲良しですけど」
「……そうでしたね」
エンヴィラの出て行った扉を見つめながら、零すように呟くメイド長。
……あれ、なんか調子狂うな。
「メイド長って、そうしてしおらしくしてると美人ですね」
「それはどういう意味でしょうか」
「そのままの意味です……って、別にそれ以外がブスだなんて一言もアッー!」
▼
「まず『替玉』ですが、これは分かりますね? 貴女と姫様は容姿が似ています。そして、後から説明しますが、『封魂の儀』は……その、大変なお役目です。まだ精神的に幼い姫様には負担が大きすぎる。……いえ、取り繕うのは止めましょう。確実に『人としての生が終わる』。だから貴女が代わりになる」
「分かります」
「貴女にとっては酷な話ですが……」
「大丈夫です。覚悟はできてます。というか、あの日ここに捕まった時から、何となく」
「……そうですか」
授業を受ける子どもよろしく、ちょんと座って話を聞く。
対するメイド長は先生か。実際、姫様の教育係でもあるし、あたしも教育を受けた。あながち間違いじゃない。
「ちなみに、最近城下町で流行っている麺料理のおかわりのことではありませんよ」
「……メイド長、あたしのことバカにしてます?」
「念のためです」
「大丈夫ですってやだなぁ。……ふぅ危な……あたしてっきり……」
「聞こえていますよバカメイド」
あれお得だよねぇ。
「それで。その姫様の代わりにやってもらうのが、『封魂の儀』。平たく言えば宗教儀式、……ただの願掛けです」
「……平たく言いましたね」
「わたくしはあまり敬虔な方ではないので」
「珍しいですよね。騎士団員の人、みんな熱心な人多いのに」
「……生死を分かつ時、最後に信じられるのは自分だけ、ですので」
遠いところを見つめながら呟くクラリサさん。
あれ、これあんまり触らないほうがいいやつだ。いろいろあったんだなメイド長。
「で。姫様の代わりを立てるくらいだから、よっぽど、なんですよね」
「……そうです。大変です。いや、大変というか……。大変です」
「よく伝わりました」
クラリサさんが言い淀むくらいだから、相当なんだろう。
「やることは単純なんですが」
「そのほうがありがたいです。複雑な手順とか言われてもあたしできませんし」
「何で誇らしげなんですか。……まぁいいでしょう」
呆れた顔を溜息で掻き消して、クラリサさんは手袋に包まれた指を三つ立てる。
「手順は三つ。一つ目は、姫様として賛歌を捧げる」
「うわ一番苦手な奴」
「大事なところですよ。あくまで『姫様が儀式を行う』ことが肝要。それを見せつける必要があるのですから」
「分かってます。けど声似てるかな? あーあー」
何となく声を出してみるものの、自分の声は自分と他人とでは聞こえ方が違うらしい。まぁその辺は指導が入るだろうと楽観。
「……。二つ目は、封魂の棺に身を収める」
「棺?」
「訓練用ですが、これです」
そういってメイド長が示した先にあったのは、飾り気のない小さな箱。
丸い硬貨を大きくして少し厚みが増えたような、そんな形。色は無色透明。あんまり収納力はなさそうだなぁ。
……なんて考えて。
ドクン、と、心臓が跳ねた。
「訓練、用……?」
「本物よりは少し大きいですが」
「身を収める……?」
「そして、三つ目が」
「ウソでしょ……?」
「奉納」
……また一つ、心臓が跳ねた。
「ウソ……ですよね?」
「耐えてください。ひたすら。棺の中で」
「こんな小さな……! 無理だって!」
「お役目終了の、十年後まで」
「じゅ……っ!?」
意識はあるのに目の前が暗くなるなんてこと、本当にあるんだ……。
▼
「そんなの無理だって! こんな箱に詰め込まれて、ずっと放置されるなんて……!」
思わず声を荒げてしまう。だって、『こんなの』だって、知らなかった。
そりゃあもちろん、覚悟はした。この命を、失う覚悟は。
でも……。こんなの、生き地獄じゃない!
どっちが辛いのだろう。
ただ一瞬の内に終わる死と。
小さな箱に入れられて、身動き取れず、ただ無為な時間を過ごし生きるのと。
「そうですね。ですが、だからこそ意味があるのです」
取り乱すあたしに構わず、メイド長は淡々と儀式の必要性を説く。
全世界で最大の信者数を抱えるレストリア教。最高意思統一機関である中央教会。その規模と権力、影響力は大きい。
そして身内に優しく、敵に厳しいなど、排他的で知られる。逆らおうものなら、どうなることか。信仰地域の子どもたちは小さいうちから親に「逆らってはいけない」と教えられるほどだ。
そんなレストリア教を国教とするこの国では、中央教会に逆らうことは死に等しい。ただでさえ規模も小さく、経済的にもあまり豊かとはいえないこの国は、中央教会に切り捨てられれば生きていけないのだ。
そして、今の国際情勢。あたしが生まれる前に起こった宗教戦争は、未だに続いている。この国からもかなりの数の兵士が戦地に赴いている。信仰心を胸に抱いて。
であれば。
変わらぬ信仰を証明する『封魂の儀』を中止したとあれば。この国はすぐさま異端国家として孤立し、最後には滅亡する他ない。
「大変だからこそ、命を落とすほどの試練を乗り越えるからこそ、姫様は神に認められる。そして皆に崇められる。これは、その唯一の手段であり好機なのです」
「そんなの……そんな……」
そしてこれは、エンヴィラの立場を確立するための儀式でもある。
姫でありながら母親の出自により軽んじられ。精神的成長の遅れにより陰口を叩かれ。当然のように王家の血筋から除外されようとしているエンヴィラ。
そんな娘への、国王が与えた唯一のチャンス。それは分かってる。けど、でも……。
「……。なら、やめますか」
「え……?」
どうしようもない思いをこねくり回すあたしに、いつもとは違う、優しい声が届く。
「二人きりなので言いますが……。わたくしとしては、貴女は、逃げてもいいと思っています。元々、この国の者ではないですし」
「あ……」
ズキン、と胸に痛みが走る。
「な、なら、儀式は……?」
「『替玉』である貴女がいないとなれば、仕方ありません。儀式自体を中止にするか……」
「そんなこと……中止になんてしたら……」
「ならば本来の予定通り、姫様が執り行う他ありません」
「……っ」
まるで他人事のように言うクラリサさん。
「どうせ、成功したとしても。姫様は都合のいい人形として、祭り上げられ操られるだけです。人知れず抹殺されるか、傀儡だとしても生を望むか。それだけの、話です」
けど、だからこそ余計に現実感があった。
彼女の持つ葛藤と、答えが、解ってしまった。
「そんなの……ダメ……」
だから、こう言うしかない。
「エンヴィラに、そんなこと、させられるわけ、ないじゃない……」
「……。なら、どうするのです」
本当に、意地が悪い。どうしてもあたしに言わせるつもりだ。
でも、それぐらいでないと。
あたしは、揺らいだ覚悟を、もう一度引き締めた。
「……時間、ないんですよね。……何をすればいいですか?」
「やるのですね?」
「それがあの子のためになるのなら」
それがどんなにつらいことであろうとも。
それこそが、あたしがあの子にできる唯一だというのなら。
▼
「『封魂の儀』を、始めます……!」
空は快晴。厳かな教会に天より光が降り注ぐ。
口に出す言葉は明瞭。それくらいの意地はある。声が似ているかは最後まで分からなかったけど。あの子と一番お話したのは、あたしだ。
「賛歌を」
クラリサさんの合図により、一拍息を整え。
歌う。神を称える歌を。
歌う。己を捧げる歌を。
それは、あの子に届いているだろうか。
神になど届かなくとも、あの子にだけは届いてほしいなと思う。
「……ふぅ」
そうして、どうにか歌い終える。
所どころ怪しいところはあれど、まぁ及第点だろう。元よりエンヴィラに期待を寄せている貴族はいない。多少不格好であろうと、鼻で笑われて終いだ。
「封魂の棺をここへ」
例の丸い箱が運ばれてくる。あの日説明で見たものより、小さい。
想像よりももう一回り小さなそのサイズに、ごくりと喉が鳴る。
「これより、封魂のための準備を行います」
気付けばクラリサさんがすぐそばに。
少しだけ心強い。だけど、手にしているものを見て、凄く嫌な予感がする。
その、丸い球は、もしかして……。
「これは淫喰玉。宿主の淫気を吸い取り、栄養のある蜜を排出する魔具。……ごめんなさい。十年という長い時間を維持できる食料は、これしかありませんので」
嫌な予感が的中する。
以前同僚のメイドから聞いた冗談半分の噂話。曰く、人が生きていくうえで必要な要求事項、それを満たす悪魔的な道具、まさしく魔具があるのだと。
半永久的に、栄養価の高い蜜を出し。
排泄物を、極限にまで抑え。
対価はただ一つ、宿主の生み出す淫気、快楽物質だけという経済性。
『便利だけど……、とんでもなく、……気持ちいいらしいよ。良過ぎて、色狂いになるくらい』
「は……ぁ! あ、ぁ……っ」
急速に息が荒くなる。あそこが、じゅくじゅくと蜜を吹き出すのが分かる。
これは、すぐそこに在る未来、快楽に溺れるという確定事象が生み出す脳の誤作動か。
それとも、すぐそこに在る絶望、地獄に叩き落されることを期待するマゾヒズムか。
「入れますね」
「ふ、ぐ、ううううっああああ!?」
短い詠唱の後。クラリサさんの手のひらの上にあったその悪魔の球は、薄ぼんやりと光を放ちながら、すうっと姿を半透明にしながら。あたしの下腹部、女の子の場所、子宮へと、吸い込まれていき。
「あ、あ、あああ、あああああああああっ!!」
ぎゅうううっと、お腹が締め付けられる。捻じれ、収縮し、熱を持ち、冷たくなり、震え、ブチブチと何かが切れる音がした。
寄生。これは、寄生だ。余裕のない頭の中で考える。シミがないことが自慢だった白いお腹に、妖しく光る桃紫色の紋。それが定着していくにつれ、痛みは消え、代わりに身悶えしそうなほどの疼きと、快楽が広がっていく。
「はひっ、ひ……っ! ひあ……!」
息が、できない。急な変化に対応できない。
喉が詰まる。酸素が薄い。胸は荒く上下して、自分の身体じゃないみたい。
「装束を、ここに」
かろうじて声が聞こえる。かろうじて黒い服が見える。
服……?
いや、あれは服じゃない。罪人が身に着ける拘束衣に似ているけど、少しだけ違う。
三人がかりで運ばれてきたそれは、服と呼ぶにはやけに質量があって。
服ではありえない機構が、内側に施されていて。
「拘束衣がベースではありますが、何せ長期間の着用。内側に張り巡らされたこの触手たちが貴女の老廃物のことごとくを喰らい、代わりに聖液を吐き出します」
はは、笑えてくる。メイド長も、冗談が言えたんだ。
聖液、なんてもっともらしい発音で説明しているけど、つまるところそれは触手たちの精液なんだろう。
そして、そんな禍々しい生物の出す体液なんて、どういうものか、相場は決まっている。
「はひゃああああっ!? ひぎ、ぎあああがああが!」
数人に抱きかかえられ、着る、というよりは押し込むように、身体が触手拘束衣の中へと吸い込まれていく。
足裏に感じる柔らかさ。ぬめり。鼻をつく、むせ返るような淫臭。やがて膝を覆い、太ももを覆い、腰を覆う。
触れたところから、悲鳴が出るほどの刺激。ああ、これが快感か。気持ちいいというのも、強すぎると苦痛だな……。
「股間は空いていますので安心してください。貴女はこれから、子宮に埋められた淫喰玉から出る蜜を舐め啜ることで生き永らえるのですから」
それはどうも、お心遣いありがとうございます。
皮肉がないでもない。でも、やだな。メイド長がそんな顔だと、調子が、狂う。
「ひ、ひっ! ひあ、あ、ぃあ……! ~~~っ!?」
お腹を飾る淫紋。発情し切った胸。先っぽ。横腹。脇。腕。肩。
覆われる箇所が増えれば増えるたび、ゾワゾワとした快楽の電流はその量と強さを増して。
首を包み、空いた背中側が一斉に結合する。グジュグジュと、ビチャビチャと。触手たちは互いを食い合うかの如く結び付き合い、拘束衣を境目なく繋ぎ合わせていく。
「……締め上げてください」
「あ、ひっ……うぎ! ぐ、が……っ」
それだけでも、十分だというのに。
拘束衣が拘束衣たる所以である拘束具が、上半身を中心に固定されていく。
前で重ねた腕が左右に引っ張られ、身体を抱くようにして後ろへ留められる。
背中側に生えるベルトの群れが、それぞれに締めあげられ、圧迫感が増していく。
「……シノブ」
消し飛びそうな意識の中。
あたしにだけ聞こえる声で、クラリサさんが囁く。
「ごめんなさい……。でも、きっと、……きっと、わたくしが……」
その顔は見ないでも分かる。その震えた声が雄弁に語っている。
メイド長の、クラリサさんの、彼女の、想い。気持ち。
だからこそ、もういいのだ。
彼女が気に病む必要はない。これはきっとあたしの運命で。彼女は、たまたまその場に居合わせただけなのだから。
「ん……」
だから、微笑んだ。口は快楽で歪んだままだったけど。何とか目だけは。笑うことができたと思う。
「……。頭を」
それを見て。それを振り切るように。
メイド長の小さな声が合図になって。あたしの顔は覆われていく。口元だけ開いた、全頭マスク。例によって触手が蔓延り、うなじを、耳裏を、鼻頭を、こめかみを、舐っていく。
「あ……ひ……、ひ……っ」
嫌悪感が全身に鳥肌を作っていく。粘ついた触手が鼻の穴に入り、耳の穴を蹂躙し、眼球をなぞり、『聖液』を塗していく。
「…………!」
声が聞こえる。いや、音はもう聞こえない。グジュグジュという粘液が擦れ合う音だけ。ただ、聞こえる。振動が、伝わる。それは身近な感覚だ。
身体が持ち上がる。固い何かの中に降ろされる。きっと、棺だ。あの狭くて小さな棺。とても人一人入れそうにない箱。封魂の棺。
そこに収められる。円形の外周に沿って、身体を当て嵌めていく。身体の前が外側だ。背中から腰、お尻、脚。それぞれが海老反りになっていく。
「ぐ、ぎぎ、……ぎ……ぃ……っ!」
背骨が軋む。普通の人間ではあり得ない角度。たまに街に来ていた大道芸人が似たようなことをやっていたけど、まさか自分がそれをやるとは思わなかった。それも、拘束衣を着たままという枷を背負って。
「はぎ……いぎあああっ!」
少しずつ、少しずつ。箱に収まるように、骨を、身体を軋ませながら、円形に捻じ込まれていく。
当然このための訓練は受けさせられた。身体を軟化させるという薬も飲んだし、怪しげな魔女から魔法も掛けてもらった。
だけど、つらいものはつらいのだ。お尻が、頭の上に来る。身体が箱の外周を一周し、脚が上半身に重なる。それでもまだ折り畳むように身体は円を強制される。
「ひ……! ふ……、ぅ……っ!」
肺が広がらない。空気が取り込めない。メキメキと音がする。そのたびに誰かが回復魔法を掛けているのが感じられる。
「むぃぎいいいっ!!」
頭が上を向いた。数少ない露出している口が、温かく粘っこいものに触れる。その瞬間、下腹部を中心に痺れが起こった。ガクガクと不自由な身体を揺らして、あたしは絶頂する。覚えたばかりの『イク』という感覚を、不意打ちで喰らう。
「ぃぎっ!? いひ……! ひ! は! はひ!」
そうか、これはあそこだ。濡れそぼった女性器が、とうとう口へと辿り着いたのだ。
人間ではあり得ない姿勢。背中を反って股間を舐めるという異常。だけど、実際にあたしの身体はそれをしている。そして、そうしないと食事を得られず、死んでしまう。
「あ……んむ……れ、ろ……ひっ!」
予行練習、というわけじゃないけれど。きっと見ているであろうクラリサさんに知らせるために、はしたない食事風景を見せる。自分の性器を舐めて、快楽を捧げて、無様に生き永らえるための糧を得ようとする、その姿を。
大丈夫、あたしはちゃんと生きるから、と。
「……」
また少し振動。それを合図に、身体に新たな圧迫感が生まれる。
ボコボコと皮膚が触手ごと押される感覚。何かが箱の中で蠢いている。そんな感覚。
「…………」
ああ、これは『梱包材』だ。すごいな、メイド長。ここまでするんだ。
なんて、仕方なくやっているのは分かっている。ちょっと言ってみただけ。
「……っ! ぃ……っ!! あ……!」
呼吸するのに必死過ぎて、声も出てこない。
箱の中敷き詰められた蠢くものは、隙間なくぎゅうぎゅうと押し合いへし合い、僅かな隙間も奪っていく。
だけどそれは静の固定ではなくて、密集した中でも互いが移動し合い位置を変えていく動の固定だった。おかげで絶え間なく圧迫感は移動して、安息する暇を与えてくれない。
「……。……」
そして、最後の時が来たのだと悟る。
ふわり、と少しだけ風を感じて。何かが身体の側面を押し潰していく。
蓋だ。これはあたしをこの箱に閉じ込めるための蓋。
僅かな身じろぎも許さない極小の箱の中で。ひたすら生きるために快楽を得ることを強いられ。今すぐにでも出して欲しい極限状態を、これから十年も耐えなければいけないという絶望ごと。
あたしは、まさに魂すら封じ込められるように、皆のいる外の世界から隔絶された。
▼
メイド長であるクラリサの表情は暗かった。
自らの職務に絶対の自負を持つクラリサの精神力をもってしても、この状況を鉄面皮で乗り切ることはできなかったのだ。
「さぁメイド長。お客様方に説明を」
「……はい」
初老の男性、自らの雇い主、この国の頂点。つまりは国王と呼ばれる存在に命じられ、クラリサは目の前のテーブルにそっと手を乗せる。
「ここにございますのは、贅を凝らした調度品、ではございません。ですが、きっと皆様方に気に入って頂けるかと存じます」
「ほう、目の肥えた我々を満足させるというのか」
「面白い。早う説明せい」
芝居がかったクラリサの言葉に対し、囃し立てるような貴族たちの声。皆一様にニヤニヤと不快な笑みを浮かべ、彼女は今すぐにでも全員の喉笛を噛み千切ってやりたいほどだった。
だが、できない。それでは、『救えない』。だから、続ける。
「はい。まずはこちらのテーブルですが、天板の下、円形の空間が見えるでしょうか」
「ああ、よく見えるとも」
「おやおや、透明で清楚な天板に不釣り合いな、醜悪なものが見えますなぁ」
「……」
続ける。
「これなるは、隙間なく異形が蠢く棺。絶え間ない快楽と絶頂でその身を震わせ悶える肉人形。封魂の儀によりその身を供した、悲劇の娘の末路でございます」
「おお、これが……」
「噂には聞いていたが、これがそうなのか」
クラリサは微かに歯噛みをしながらそれを見やる。
悪趣味な貴族たちの視線に晒されているのは、あの日確かに自分が封印を施した、愛しき部下のメイドの末路だった。
一本足に、丸い天板。テーブルとしてはよくある形状のものだが、だからこそ異常は際立ち、見る者の目を楽しませる。
命を賭して行った儀式の結果が、見るも堪えない悪魔どもの享楽の道具だなどと。クラリサは信じたくなかった。
信じたく、なかった。
「こんな小さな箱に収まるものなのだな」
「さぞ窮屈であろうに。可哀そうになぁ」
「生涯をこの中で暮らすのだろう? 儂なら十秒と持たんよ」
「いやいや、そも貴殿は入ることすらできんではないか」
「はっは、違いない!」
下品な笑い声が鼓膜を震わす。クラリサは自分の鼓膜を破ろうかと思ったが、何とか踏みとどまった。
「ん? おい、何か光っていないか?」
「おう? ああ、確かに、桃紫色に光っているな」
「何だこれは? 光り方も一定ではないし、強さもまちまちだ」
「メイド長、説明を」
「……はい」
どうしてこうなったのだろう。クラリサは自問する。
それは自分の力が及ばなかったから。それもあるだろう。
それは自分の読みが甘かったから。それもあるだろう。
けれど、これは仕方のない事だったのだ。そう諦められたら、どれだけ楽だったか。
「この光は、この娘が性的快楽を得て、絶頂に達したときに発する光でございます。一定でないのは不定期に達しているから。強弱はそのまま絶頂の深さを表します」
「なんだ、つまりはこの人形、このような状況下でも卑しく身悶えておると」
「はい。そしてそれは子宮に埋め込まれた魔具の力により栄養価の高い蜜に変換され、それを糧としてこの娘は生き永らえております」
「はっはっは。これは滑稽だ。自ら生き恥を晒すことでしか生を貪れないとはな」
今度は拳を強く握る。今すぐその脂ぎった鼻頭を粉砕してやりたかったが、かろうじてクラリサは踏みとどまった。
「いやしかし、面白い噂を聞いたのですが」
「なんだ、南の。聞かせよ」
「ええ。何でもこの人形は王位継承順位の中でも最下位のエンヴィラ姫……」
「阿呆、そのくらいここにいる皆知っておるわ」
「ここからですよ。そのエンヴィラ姫本人……ではなく、替玉の娘だという噂が」
「な、そ、それはまことかっ!?」
「まさか、では、『これ』は……?」
ある貴族のタレコミにより、ざわつく室内。だがしかし、これも仕込みだ。あの貴族が噂を口にするのは、これからのお披露目を演出するもの。
「そこまで知られていては仕方ない。メイド長」
「はい」
さぁ、心を殺せ、クラリサ。僅かに出ていた感情すら押し殺し、冷血のメイド長は機械的な声を流し始める。
「仰る通り、この娘はエンヴィラ姫ではございません。儀式に供されるはずだったエンヴィラ姫を救おうとした『ある者』の策略により、代わりにその身を煉獄へと堕とされた哀れな娘です」
「なんと、ではこの人形はただの被害者だというのか」
「それは可哀そうに。さぞかしその『ある者』を恨んでいるでしょうなぁ」
「それはもう。何せ死ぬよりもつらい地獄に閉じ込められた挙句、こうして晒し者にされているのですからね」
ブチっという音とともに、クラリサの口端から血が滴る。その姿を見て貴族たちは一様に驚いた顔を見せたが、すぐに訳知り顔になり、醜悪な笑みを見せる。
「それで、その『ある者』とはいったい誰なのです?」
それでも素知らぬ風を装って問いかける貴族たちの意地の悪さに、クラリサはテーブルに手をつかないと倒れてしまいそうになるほどの眩暈を感じた。
「その不届き者の名を教えてやれ、メイド長」
「はい」
そして。
ああ、どうして。
「その者の名は」
思うのだ。
ああ、どうして。
「クラリサ、といいます」
こんなにも。
この世界は。
「エンヴィラの、種違いの姉でございます」
こうも、理不尽なのだろう。
「はっはっは! これは傑作だ!」
「いやいや、いと美しきかな、姉妹愛!」
「妹を助けるために、罪もなき他人を売ったのか!」
そうだ。
「それで、肝心の妹姫はどこに?」
「どこか辺境の国にでも逃げおおせたのでしょうか」
「くっく。それこそまさに、今宵のメインディッシュよ」
「ほう。国王よ、もったいぶるとは人が悪い」
「早う、早う。ここにきてお預けは無しですぞ」
これは、自分の罪だ。
「ふふ。急がなくとも、もう答えは目の前にある」
「ふむ? なぞかけですかな」
「どういうことだ?」
「だから、目の前にあろう。天板の下、丸く小さな棺に捕らえられた人形の、『その下』」
自分の罪だ。
自問自答がこだまする。
「こ、これが……まさか」
「そうきましたか」
「これは一本取られましたな」
「テーブルの『脚』。この中で蠢く小さな異形、これが……」
「エンヴィラ姫か!」
ガクリと視界が降下する。数秒経って、自分がその場でへたり込んだのだと分かった。
脚に力が入らない。腕に力が入らない。そのくせ唇を噛み締める力だけはあって。ぼたぼたと朱い雫がエプロンドレスに染みを作っていく。
「これは驚いた。二層構造とは」
「こちらは円ではなく長方形なのですね。二つ折りにされた小さな身体から、幼いホトが恥ずかし気にヒクついております」
「この箱の中に溜まった液体は何だ?」
「すぐ上を見れば分かるのでは。替玉の娘が出した排泄物に淫液、それに触手たちの分泌する聖液の混合物でしょう」
「ほう、とすれば妹姫は、下賤なる者の汚らしいお零れを啜りながら生き永らえておるのか」
「こちらも負けず劣らず窮屈な小ささですね。この牢獄の中で汚水に塗れながら一生を終えるのかと思うと涙が出ますよ」
「……」
どの口が、と笑い声をあげる人間の狂気に、とうとうクラリサの精神が音を上げた。
復讐の炎は猛く燃え盛り、されど人間としての本能が、彼女の精神を守ることを優先した。
とさり、と横倒しになるメイド長の姿を、貴族たちは嘲笑を交えて眺める。
「ふん、卑しい身分の存在で不相応な願いを持つからそうなる」
「相変わらず国王は手厳しいですな」
「しかし、この娘の殺気たるや。いつ襲い掛かられるのかとヒヤヒヤしました」
「安心召されよ。以前は騎士団にて男にも勝る武勇を欲しいままにした女だが、今では手足の腱を削られ、もはやそこらの町娘と変わらぬ」
「それはそれは。さぞかし口惜しく、憎しみも募っているでしょうなぁ」
「それに、この肉人形共は、メイド長の回復魔法なしではすぐに快楽で神経が焼き切れ、廃人となる。これらを大事に思うこ奴だからこそ、今の職務を投げ出すことはなかろう」
国王の語ることはすべて真実であり。だからこそクラリサは逃れることもできず、ただ罪の意識をもって、『テーブル』の管理を続ける。
「しかし、回復とはいえ魔法は魔法。先ほど説明にあった子宮の魔具は、おそらく淫喰玉でしょう。その淫喰玉の防衛本能によって、より淫気を溜め込もうと暴走するのでは?」
「ほう、詳しいな。……そうか、貴殿はそちらの血筋だったか。いかにも、こ奴が善意により回復魔法を掛ければ掛けるほど、肉人形共は狂気に逃げ込むこともできず、強制的に自我を保たされたまま、暴れ狂う淫喰玉によって責め倒される。『だからこそ面白い』のだろう?」
「……っ。あなた様は、酷いお方だ。国王」
「ふん。お互い様だ。ここにいる全員な」
悪魔が語る真実。本人たちの耳に届いていないのは、幸か不幸か。
されど、地獄には変わりない。そこに快楽と苦悩という差はあれど。どちらもつらく苦しい。
どこまでいっても、絶対強者の手のひらの上で踊り狂う家畜にしかなり得ないのだから。
「さて、三匹とも、十年耐えてくれるかな」
「ふむ? 本当に十年で解放するおつもりなのですかな」
「世迷い事を。十年というのは『今の余興』の期限よ。十年経てばまた新たな余興に供することとなる。まぁそれまでに吾が飽きれば……」
「飽きれば?」
「その時は、地下牢の石材にでもしてしまうか。捕虜たちへの良い見せしめになるだろうよ」
時代が生んだ狂王。その双眸に睨まれた彼女たちは、まさに運が悪かったとしか言いようがない。
決して救いのない地獄の中。理不尽な運命が精神力を削り切るその時まで。
彼女たちはただ滑稽に、その身と心と、魂までも擦り減らしながら命を捧げ続ける。
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