幕間2

 あの日からのあたしの生活は、平穏そのもの。
 ただ他の人と違うのは、生活するうえで少し変わったルールがあるということだけ。

 例えばそれは、檻という狭い空間の中で一日の大半を過ごすことだったり。
 いつでも何かしらの拘束を受けていて、繭子の許しなしには何もできないことだったり。
 囚人のそれよりも厳重に、食欲や性欲、睡眠欲などあらゆるものを管理されることだったり。

 枷の外れた繭子は、最初は少しずつ、けれど次第に大胆に、あたしに枷を付けていった。

 一見、自由のない生活。
 繭子という絶対の存在の下で、繭子という檻の中に厳重に閉じ込められる感覚。

 だけど不思議なことに、あたし自身はそれほど不自由を感じていなかった。
 確かに一人では外どころか部屋の中も自由に歩けないし、ご飯だって食べられない。
 繭子によって禁止されていることも多いし、ルールを破ると酷いお仕置きを受ける。

 でも逆にそのルールさえ守っていれば、あとはあたしの自由にしていいということでもある。
 できることはそう多くないけど、暇なら暇で人間何かしら考えつくものだ。

 寝てることも多いけど、檻の格子の数を数えたり、窓から見える風景をぼんやり見つめたり。
 繭子の靴下を檻の隅に置いて、どのくらいの距離から嗅ぎ付けることができるか挑戦したり。
 ひたすら繭子の喜びそうなことを考え続けたり、とか。

 最近はいい機会だと思って健康のために腹筋やストレッチをやっている。
 すべき用事が何もないので、これがすごくはかどるのだ。
 これが繭子が喜ぶことにつながるかもと考えると、より身が入るというもの。

 それに加え、繭子から与えられる『刺激』が、繭子への依存を加速させる。
 読んでいいよと本を渡されたら、それが例えドロドロの官能小説だろうと喜んで読むし、
 オナニーの許可が出ようものなら指がふやけるまで楽しむ。
 何もかもを縛られた生活じゃない。ちゃんと自由は『与えられている』。

 だから、あたしはちっとも不幸じゃない。
 そう『普通』に考えられるように、あたしは成った。

 かつて、あたしは一端に将来に不安を持って、社会の歯車の一つになることを恐れていた。
 社会というシステムの中に組み込まれ、プログラムされたような人生を送ることを恐れていた。

 しばらく結婚する気もなかったから、食べていくために働かないといけない。
 当たり前だ。働かざるもの食うべからずなのだから。
 生きていくために必要な食料は、常識的な意味で言えば働かないと手に入らない。
 それは、人間に限らず、動物だって、昆虫だって、みんな一緒。

 そこまで考えて、ふと気づく。……そう、一緒なのだ、結局。
 『人間』と言われる生き物は、自分を特別視してごまかしてはいるけど、つまるところ『生きるために食べ、食べるために働く』。
 その普遍的なシステムから逃れられない。
 そしてそのシステムを円滑に回す社会という名の枠組みに閉じ込められ、生きている。

 そうして社会のルールに支配され生きるのと、繭子のルールに支配され生きるのと。
 自分の手には負えない大きなものに支配され、その手のひらの上で踊るという意味において、その二つにどれほどの違いがあるというのだろう。

 真に自由な生き物なんていやしない。
 あるのは純然たるシステムと、ルールと、それをどう捉えるかという個々人の色眼鏡だけ。

 あたしたちのやっていることがどれだけ異質で奇怪で理解不能なことと思われても。
 あたしたちの思うところは誰とも変わりなく、ただそこにある不自由を受け入れるだけ。
 そしてその中にしかない自由を使って、幸せになること。ただそれだけだ。

 そしてその中であたしは、自分の幸せを考えた時に、繭子が幸せじゃないときっとあたし自身も幸せになれないのだと思うのだ。

 だからあたしはすべてを受け入れ、飲み込み、繭子の幸せを願う。
 そうして間接的に自分を含め、二人で幸せになれるよう願う。
 そのためなら何だってできる。覚悟だって決まる。常識だって変えられる。

 みんな目指すものに大差はない。そこに至る過程がそれぞれ違うだけ。
 その閉じ込んだ世界で、あたしたちはあたしたちなりのやり方で、生きていく。

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