次の日の朝。
心行くまで交わり続けた俺たちは、淫液の海に溺れていた。部屋も、俺たち自身も、とても人には見せられない状態だった、……らしい。
らしい、というのは、実際にその状態を覚えていないわけで。俺たちが意識を取り戻した頃には、すでに部屋は粗方片付けられていたからだ。
「はー……」
「はー……」
全ては心配して見に来てくれた女将さんのおかげだった。
彼女は好き放題盛って迷惑をかけた俺たちを咎めることもなく。ただ身体を案じながら、「とりあえずさっぱりしてきてはいかがでしょう」と、部屋に備え付けてある風呂へと案内してくれた。
俺も久織も全身がガクガクで、ドロドロで。そんな二人を着物が汚れるのも構わず支えて歩いてくれた女将さんには頭が上がらない。こうして風呂に浸かっている間にも、あんな液やこんな液で酷い有り様の部屋を清掃してくれていると思うと、恥ずかしいやら心苦しいやらでたまらない。
ただ、身勝手な話だが、第一発見者が女将さんで本当に良かったと思う。
せめて、沢山心付けを渡して帰ろうと言って。でもあの人は絶対受け取らないよねと、二人で笑いあった。
「生き返る……」
「そういえば温泉に入りに来たんだもんね、ボクたち」
「そういやそうだったな」
「これじゃただエッチしに来ただけみたいだね」
「いいんじゃないか。俺はそれで十分嬉しい」
「あ、ぼ、ボクだって嬉しいよ」
もし俺の覚悟が決まらないまま、優柔不断に時を過ごしていれば。
きっと、この胸の中で笑う大切な温もりは、永遠に失われていたのだろう。
そのことを想像すると身体が震える。
だが、だからこそ二度と失ってはいけない。
無意識に力を込めた腕に、大丈夫だと言うように久織の手が重なるのを感じながら、決意を新たにした。
「それにしても、沢山したし、沢山出したね」
「身体は大丈夫か?」
「大丈夫……じゃないけど、大丈夫。これは幸せな疲れだから」
「……そうか」
「それに、身体の奥の奥、心の奥の奥まで刻み込まれちゃったから。先生の、ご主人様のものだっていう印。もう二度と解けない、絶対服従の証」
そう言うや否や、俺の胸の中から抜け出し、身体を反転して向かい合わせになった久織。そのまま湯船の中で正座したかと思うと、微笑みを浮かべながら頭を湯の中へ沈めていった。
それはまるで平伏するように、というより、それそのものの姿勢で、湯に浸かった俺の足の指へと口づけをする。
それは久織なりの服従のパフォーマンスなのだろう。そう思って好きにさせていたが、30秒経っても、1分経っても浮き上がってこない彼女に俺のほうが焦りを覚え、慌てて身体を引き上げる。
「がはっ……! ごほ、ごほっ……!」
「馬鹿、何やってんだ!」
「えへっ、えふっ……! え、へへ、分かった? 覚えてて、ね。ボク、先生に、ぜーんぶあげたんだよ」
にこやかに笑うその表情は屈託ない。たった今、溺れてしまってもおかしくなかったというのに。
事実、溺れて死んでしまってもいいと思っているのだろう。俺のためなら。俺が、もしもそれを望んだなら、久織は躊躇わずそれをする。だからこそ、これは久織の覚悟の証明なのだ。
改めて彼女の強さを確認する。逃げではなく、純粋に相手を想うからこそ、その命すら捧げられる強さ。
「セックスの前に、言ったよね。全部、本当だよ。全部、先生のものだよ。ボクという存在、細胞の一つ一つ、心の機微一つ一つ、全部」
「久織……」
「本当にそれでいいのかって、思ってる? ……いいよ。だって、それくらい、ボクの中、好きで溢れてる。何でもしてあげたいって、思ってる。それにボクは、本当は思い悩んでたあの時、死んじゃうはずだったから。そこから救ってくれた先生のために、生きたいんだ。地獄から拾い上げてくれた先生のモノでありたいんだ」
「……」
「でも、もし先生が、ボクのこと嫌いになったら……。その時は、言ってね。ボクの心も、先生のものだから。頑張って『小鳥遊久織』を消すから。おなほーる、だっけ? それと同じような感じで使ってくれたらいいよ。それとも、別の人格が良ければ、ボク、『それ』に成るから」
「久織」
「だから……むぁ!?」
我慢できずに、その止まらない口を黙らせる。指で挟まれアヒルのような口になって面白いが、今は無視する。
「今しゃべったこと、二度と言うな」
「へん、へぇ……?」
「俺は久織が欲しいんだ。誰でもない。他の誰もいらない。心のない肉人形も、久織じゃないどこかの誰かも。いらない。欲しいのは、久織なんだ。久織だから、なんだ。だから……」
「しぇん……しぇ……」
だから、そんな悲しいことを言わないでくれ。
そう口にしようとした瞬間。
「朝まで盛った挙句お風呂でもイチャイチャしているなんて。羨ましいですわ……」
「うぉっ! お、女将さん!? 驚かさないでください……!」
思わぬ乱入者に慌てて言葉が霧散する。
「ぷぁっ! ふぅ。さ、五月女さん、どうしたの?」
「いえ、部屋の掃除も終わりましたので、お背中でも流して差し上げようかと」
「お、お気遣いありがとうございます……」
風呂場に入ってきたのは女将さんだった。
散々世話になっている手前、無下に追い出すわけにもいかない。
……まぁ、言いたいことは伝わっただろう。
そう判断して、素直に背中を流されることにした。
「では、こちらへ」
「はぁ……」
「む」
促されるがまま、洗い場へと移動する。
本来ならそういうサービスをする宿ではないのだろうが……。もはや今更だと深く考えないように頭を馬鹿にした。
「思った通り、逞しいお背中ですわ。全て委ね切ってしまいたくなります……」
「からかわないでください……」
「あら、わたくしは本気ですわ」
「……ボクのご主人様だからね」
「うふふ。男は甲斐性。妾の一人や二人、誤差の範囲ですわ」
「むぅ~」
「お前も膨れてないで……」
「あなた様も、ほら、大きなお胸のほうがお好みではないですか?」
「ちょ、女将さん、当たって……!」
「むぅ~~~っ!!」
「痛い、いたっ、馬鹿、すね毛を毟るな!」
これまで以上に気さくに話してくれる姿を見ながら。これは女将さんなりに応援してくれているのかもしれないと思った。
きっと、久織にしても、全てを包み隠さず話して相談できる、唯一の相手だったのだろう。そう考えると、今の状況は彼女なくしてはありえない。そのことにもう一度感謝の念を送る。
「この子に物足りなさを感じたら、いつでもいらしてください。精いっぱいご奉仕させていただきますわ」
「ま、まぁ、その時はよろしくお願いします」
「先生っ!」
「お、怒るな、お前も社交辞令くらい理解できるだろ!」
「あら、社交辞令なんですか? 寂しいです……」
「あ、いや、だからその……って、どうしろっていうんだ!」
「……ぷっ。くふふ」
「あはははっ。先生焦ってるね!」
「……。おまえら……」
「きゃーっ」
「邪魔者は退散しますわ。後はごゆっくり―」
「あ、五月女さんズルい!」
「こら待て! 仕置きしてやる!」
あれだけ覚悟だ何だと言ったところで、俺たちは人間だ。
これからも迷い、悩み、壁にぶち当たり。
前に進めず、立ち止まってしまうこともあるだろう。
……だが、それでいいと俺は思う。
その感情の機微こそが、人間である証であり。
それがあるからこそ、人の人生は味わい深いものになるのだろう。
「先生っ!」
突然、そして偶然手に入れてしまった、くだらなくも魔法のような能力は。
自分の弱さを暴き出し、道を踏み外さんと誘うようでもあった。
「何だ!」
それでも、俺は踏みとどまれた。
独りだと思っていたのに、独りではなかったから。
「えへへ、大好きだよ!」
そうだ。
人は、不思議な力に頼らなくとも。
誰かの背中を押すことができるのだと、気付けたから。
「……。って、誤魔化されるか!」
「わー、ダメだったーっ!?」
そうであるなら、俺はやはり続けるべきだろう。
迷い立ち止まる人の背中を押す、魔法遣いのようなカウンセラーという仕事を。
変態性癖は治りそうにないが、幸い俺には理解のあるパートナーがいる。
互いに受け止め支え合いながら、上手くやっていければいい。
隣でじゃれつき寄り添う彼女に届くように。
そう想った。
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