この国のどこかに、『歓迎の館』と呼ばれるお屋敷があるそうだ。
何でも、訪れた客人をお屋敷総出でもって歓迎するらしい。
それだけ聞くと「サービスの良いホテル」のようなものかと思うが、その存在にどことなく違和感を覚えた私は、いつしか催眠術に掛かったかのようにそのお屋敷を探していた。
今から思えば、誰から聞いたのか。どうしてこんなにも熱心に探したのか。何故、自分はそのお屋敷のことを知っているのか。少し考えればおかしいと思うようなことを、不自然なまでに失念していた。
そして私は、幸か不幸か辿り着く。
訪れたものを両手を広げ迎え入れる『歓迎の館』へと。
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私を迎えてくれたのは、どこか違う国に紛れ込んだのかと思わせる西洋建築の建物。
白に近いグレーを基調とした壁面。決して煌びやかではないけれど、落ち着いた佇まい。横に伸びた長方形、2階建てのそれは、数十人レベルで住むことができるだろうと想像させる。
背後にタクシーのエンジン音が遠ざかっていくのを聞きながら、私はただ「はー……」と重要文化財の建物を見に来た観光客気分で溜め息をついた。
「こう見えても結構古いんです。といっても手入れはきちんとしておりますからご安心を」
「いや、そんなつもりでは……」
そして、目の前の女性。
クラシックな侍女服に身を包み、髪を後ろでまとめた妙齢のメイドさんは、一片の隙もない接客スマイルをとても自然な様子でこちらへ向けていた。
「ともあれ、お待ちしておりました。南様」
「えー、その、……よろしくお願いします」
タクシーの窓から見える景色が緑だけになって一時間とちょっと。
やがて見えてきた敷地を囲う塀の途中、屋敷の正面に配置された門。
その前でピクリとも動かず直立不動で待っていてくれ、迎えてくれたのが、このメイド長だ。
その第一印象は、動かぬ門番ガーゴイル。
こうして笑いかけてくれたことでそのイメージはある程度払しょくできたが、どこか浮世離れした捉えどころのない人だなという評価を変えるほどではなかった。
「ふふ。きっと貴女様にとって良いひとときをお過ごし頂けると信じておりますわ」
そう言って微笑むそれはまさに淑女という言葉がふさわしい。
私もこれまでの人生で培ってきた外面の良さで返しながら、内心は言いようのない不安でいっぱいだった。
(こんな優しそうな人が……まさか)
それは、私がここに辿り着くまでに得た情報。
都市伝説レベルの根も葉もない噂だが、どうしても私はそれが本当に思えて仕方なかった。
そして、それが本当だった場合、この女性の朗らかな態度は、非常に違和感を覚えるものになるのだ。
いっそ、狂気に囚われているといっても過言ではないくらい。
「さ、お客様をまともにご案内できないとあってはメイド長失格です。こちらへどうぞ」
「あ、はい、……お邪魔します」
門を開け、踵を返し屋敷へと向かう彼女の背を追う。
僅かばかりの恐怖心と、大いなる好奇心でもって、歩を進める。
そして玄関の扉の前へと来たとき。
私は、自分の勘がまだまだ捨てたものじゃないと悟るのだった。
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「あの……これ……」
「この屋敷のメイドたちです。彼女たちも貴女様のご来館を歓迎しておりますよ」
そういって紹介されたが、私はすぐさま脳内で「嘘だ」と否定していた。
何故なら、幼い裸体を惜しげもなく晒し、まるで鹿の頭の壁飾りのように扉に埋め込まれた少女が、メイドとして私を歓迎しているはずがない。
「……かん、げい」
「ええ。……ほら、貴女たち、お客様よ」
観音開きの扉、左右それぞれに一人ずつ配置されたメイドと紹介された少女たち。メイド長の言葉が聞こえたのか、急に痙攣するように身体を震わせた。
肩からもぎ取られたのか腕のない上半身を、埋め込まれて見えない下半身の分まで左右に揺らす。その度、カラン、コロン、と、胸の先端を貫き固定されたベルが鳴る。
それは聞く人によっては客人を迎え入れるファンファーレにも聞こえるのかもしれない。
私には彼女たちの悲鳴にしか聞こえなかったが。
「このように。では、中へ」
そしてひとしきり歓待の音が響き渡ったところで、メイド長が屋敷の中へと私を誘う。
扉に近づき見た彼女たちの表情は、客人をもてなす笑顔そのもの。
ただその表情は微かに震えている。
後で聞いたが、この子たちは双子の姉妹で、客人が一人来るたびに一度だけ絶頂を迎えることを許されるらしい。
それまでは延々ともどかしい刺激に焦らされ、地獄のような寸止め状態のまま来客を待っているとのことだ。
そう思うとこの笑顔は、不純な動機が混じっているとはいえ確かに本心だろう。
ただその瞳の奥には、隠し切れていない深い悲しみと絶望が入り混じっていることに気付いて、私は何ともいえず胸の苦しい思いをした。
「……え?」
しかし、そんな思いを嘲笑うかのように。エントランスではさらなる衝撃が私を迎えてくれた。
それを見た途端身体が硬直し、呆然とする。
そんな私を尻目に、メイド長はその中心まで歩いていく。
そしてこちらを振り返り、一礼。
「ようこそ、『歓迎の館』へ。その名の通り、館一同心より歓迎いたしますわ」
噂に導かれるまま、足を踏み入れた私。
それを出迎えてくれたのは、優雅に頭を下げたメイド長と、扉に埋め込まれた哀れな双子の姉妹。
そして、不自由な姿勢のまま秘所を晒して透明な床下に埋められた、今にも絶望で泣き出しそうな十数人のメイドたちだった。
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「……な、ん……え?」
とっさに、現状を把握できなかった。
陽の光差し込む開放的なエントランス。奥に見える二階へと続く階段。
左右には長く伸びる廊下が見え、整った内装と合わせて、ここが庶民が持つことなど叶わない、立派なお屋敷であると主張している。
だが、そんな主張が吹っ飛んでしまうくらい、目の前の景色が異様過ぎた。
向かい合う私とメイド長。その足元に広がる床はアクリルだろうか。
文字通りその床の下にいるのは、さまざまな顔をした少女たち。
各々が、表情とは反対に恥じらいをどこかへ忘れてしまったような、手首と足首を頭の後ろで一纏めにされたあられもない姿でそこにある。
しかしそれぞれが羞恥や恐怖や絶望に染まっていることから、この少女たちが決して人形なんかではなく、意志を持った人間なのだと教えてくれる。
「……」
よく見れば少女と少女の間には切れ込みのようなものが見える。おそらく少女は一人一つずつアクリルブロックに詰め込まれ、それが床に敷き詰められているのだと理解した。
人が入るにはとても狭い空間の中、一糸まとわぬ姿で性器を晒し、客人が来るたびにこうして羞恥に身を焦がしているのだろう。
曇りなく透過するアクリル越しに見える床下の鑑賞物たちは、どこか水族館の魚を連想させた。
「この子たちは見習いなんです。未だお客様をおもてなしする心を養えていませんので、こうして実地訓練を兼ねて教育をしているのです」
先ほど門の前で見せたそれとなんら変わらない微笑みに、うすら寒いものを感じる。
そして同時に、仕入れてきた噂話のことごとくが現実になるのではないか、と、焦りにも似た恐怖心が沸々と私の心を侵食していた。
扉の少女たちを見た時、もしかしたらここは、『そういう世界』なのかもしれないと思った。
外から見る私にすれば異常な価値観だが、このお屋敷に住む人たちからすれば『日常』なのだと。
文化の違いや、宗教の違い、何でもいい、とにかく違う世界の話なのだと思い込もうとした。
だけど、眼下に敷き詰められた少女たちの顔は、明らかに『こちらの世界』に生きる者の表情だ。
そのことが、私に恐ろしいほどのプレッシャーを掛ける。
……これはフィクションではない。
画面の向こう。紙面の向こう。空想の向こうにあるフィクションだと、笑い飛ばせない事実に恐怖する。
「ほら、貴女たちも、いい加減学習しなさいな」
そんな思考の海から引き揚げるように聞こえてきたメイド長の声と、コツン、とヒールの踵がアクリルを叩く音が耳の中反響する。
すると一斉に見習いの少女たちは恐怖に顔を歪め、そして必死に媚びるようにこちらへと笑顔を見せる。
「……水?」
原因は音もなく忍び寄る水だった。
それぞれに与えられた、アクリルで区切られた僅かな空間。
それを蹂躙するかのように水が注ぎ込まれ、窮屈な姿勢で詰め込まれた身体を浸していく。
これから訪れる地獄から逃れるためだろうか。先ほどよりもなお必死の形相で、滑稽なほど引き攣った笑顔をアピールする少女たち。
しかしそれも束の間、ちゃぷちゃぷと揺れていた水面は消え去り、つまりはそれは空間全てに水が満ちたことを知らせていた。
「……! ……っ!?」
相変わらず閑静なエントランス。一般人が入りこめない山の中にある屋敷では、自然以外に音を響かせるものなどほとんど存在しない。
だが、ここには、無音の叫びという音を奏でる生き物がいる。
あまりの狭さに折り畳まれた格好から抜け出せず、隠すべき秘所を丸出しにしたまま。水泡を撒き散らしもがき苦しむその顔に、先ほどまでの引き攣った笑顔すらない。
自分の足元、アクリルによってたった数センチ隔たれた先に、地獄があった。
「未熟な者ばかりで恐縮ですわ。……あら?」
至らぬ部下の代わりに、というように頭を下げ、そして何かを発見したのか、声を上げるメイド長。
その声と視線につられて見た先、私は表に出さないまでも驚愕の念を覚えた。
そこには、もうすぐ二分近くになる水責めの最中にもかかわらず、こちらに向け震えながらも花のような笑顔を見せる少女がいた。
「貴女は……ああ、37番ね」
命の危険すら感じるはずのこの状況で、笑顔を見せる彼女の胆力に感服した。
「あの、……これ、教育だって、仰ってましたよね……?」
「……。……ええ、その通りです」
「なら、この子、その、……合格なんじゃないかって、私は、思うんですが……」
だからこそつい言ってしまった言葉だったが、言ってから私はすぐさま後悔を感じていた。
あくまでこのお屋敷のシステムに他人が口を出すべきではないという思い。
そしてなにより、発言することによって自分が『関わって』しまったという思い。
このあと自分にどう跳ね返ってくるのか分からない状況で、迂闊に口を出した数秒前の自分を殴ってやりたい気分だった。
「……そうですね。そもそも、お客様をお迎えするための心得を学んでいたところ。そのお客様から合格を頂いたとあっては、そのように計らうほかありません」
そんな私の懸念を拭い去るように、メイド長はにこりと笑った。
そしてなにやらリモコンのようなものを操作したかと思うと、件の少女の入ったケースだけがカコンと抜け落ち、スーッと地下へ向かって姿を消した。
「これは提案ですが、あの子を貴女様がここに滞在する間のお世話役に、と考えますが、いかがでしょうか」
それを聞いて「それ見たことか」と先ほどの自分を蹴飛ばす。でも、もしかしたら私のそばにいる間は、
あの子もこういう目には遭わないかもしれない。そう極めて前向きに考えることにして、了承した。
「ではまずお部屋にご案内します。こちらへ」
そしてエントランスから右の廊下へ歩み出す。
後ろ髪引かれる思いで振り返ると、床下の少女たちは、未だに水の中を漂っていた。
彼女たちがなるべく早く解放されることを願いながら、先行する背を追いかけた。
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案内された部屋は、これまで見てきたお屋敷のレベルから考えるとまだまともな、せいぜいセミスイートレベルの落ち着いたところだった。
それでも十分豪奢で身に余る贅沢だったが、余計なことを考えるのをやめた。
なにより先ほどまでの先制パンチですでに疲労困憊の精神をこれ以上働かせたくなかった。
持ってきたトランクケースをボスッとベッドに投げ置き、自分の身体も同じように投げ出す。
少し硬めのマットレスの上で数度軽く跳ねながら、どこか大きすぎる気がする枕に顔を埋める。
「あ゛~~~っ」
ここにきて初めて気の抜けた声を漏らす。
決してポーカーフェイスが得意なわけじゃない。
それでも得意じゃないなりに、必要以上の動揺は見せまいと気を張っていたが、あのメイド長相手だときっと無駄な努力だっただろう。
それに、自分の意地以外に特にそうしなければいけない理由もない。
疲れるだけだし、もう少し自然体でいこうと決めた。
「……ん、揺れてる? ……それに、何か人の気配が……」
微かな振動と人の気配を感じ取り、顔を上げ辺りを見渡す。
だが、見た限りでは特に変わったことはない。
おそらく小さな地震か、どこか別の部屋で作業でもしているのだろう。
気配がするのも、きっと神経過敏になっているせい。そう結論付けて、枕にしてはやけに重たいそれを胸に抱え込むように抱き締める。
細かい振動は止まない。だが、気にするほどでもない。
むしろ心地良ささえ感じながら、知らず瞼を閉じていた。
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気付けば寝てしまっていたようだ。
慌てて身体を起こし時計を見るが、横になってから十分ほどしか経っていなかった。
そのことに安堵の溜め息をつきながら、ベッドから降りる。
「そういえば、食堂に来てほしいと言ってたっけ」
時間的には夕方。空を見れば傾き沈みだした太陽が同じくそれを知らせる。
自分の食習慣からすれば、夕飯にするにはまだ少し早い時間。
ただ今日に限って言えば、緊張のあまりお昼もろくに食べていないため、ちょうどいいタイミングとも言えた。
「……行きますか」
備え付けられた鏡で軽く髪を梳かし、貴重品だけポケットに突っ込んで部屋を出る。
預かった鍵でドアをロックしながら、ふと大事なことに思い至った。
「……そういえば食堂の場所聞いてない」
致命的なことを失念していた。
極論を言えば、このお屋敷の端から端まで歩けばいつかは辿り着くだろう。
だからといって誰が好き好んで迷子になどなるものか。
無駄足を踏みたくない。そう思って頭を抱えた時。
「あ、あの……っ!」
「ふぁい?」
突然聞こえた可愛らしいソプラノボイスに、とっさに反応できずに何とも間抜けな声が漏れた。
そのことを心の中で「うあああ」と恥じながら、視線をそちらへと向ける。
果たしてそこにいたのは、メイド長のシックなそれとは違い、小さく幼い彼女をさらに幼く見せるようなフリフリのメイド服に身を包んだ少女。
その顔はどこかで見た記憶があった。しかもかなり最近。
「……えーと、もしかして、あのエントランスの……?」
「は、はいっ! あの、その節は本当に、あ、ありがとう、ございました……っ!」
仕事着というよりはコスプレ……いや、子どものお遊戯会にも見える。エプロンドレスのスカートを握りしめ、マナー研修でしか見たことないような腰の角度のお辞儀をされた。
あまり他人から純粋な謝意を受けたことがないため、どうしていいか分からず「あー、うん、まぁ」と訳の分からない言葉を生産した。
「その、それで、ですね。わたし、お客様の、南様の、お世話役に、お世話役を、任されまして、その……」
「あー、はいはい。分かったから落ち着いてしゃべって。ね?」
「は、い。すみません……」
単に緊張しているのか、話し下手なのか。
それとも、粗相があればあのメイド長に何かされるのか。
可哀想なほどビクビクと怯えながら話しかけてくる少女に、思わずほっこりと気が緩むのを感じながら諭すように言う。
ただ、こんな良い子があんな酷い目に遭っていたのだと思うと、心のどこかでズキンと痛むものがあった。
「あ、そうです! わたし、お客様を食堂にご案内するように言われてて……!」
「ほんと? ちょうどよかった。場所分かんなかったから、誰かに聞こうと思ってたの」
「あ、じゃ、じゃあ、ちょうどよかったです! つ、ついてきて下さいっ!」
そう言ってカチコチぎこちない動きを見せながら私を誘導する少女。
この様子を見るに、さっきの予想は全部当てはまっているような気がした。
▼
「そういえばさ……。貴女、……えーっと、そういえば名前、聞いてなかったね」
「え、わ、わたし、ですか? 37番、ですけど……」
「それ、名前じゃなくて番号だよね? んー、フルネームがダメなら、上か下だけでも、それかいっそニックネームでもいいんだけど」
「……え……と、名前は、37番、です。それ以外は、ない、です……」
食堂へと向かう道中。
ずっと黙ったままというのも気まずいので、何か話をしようと思ったのだけど……。
呼びかける名前を聞いたところで、早くも私たちの間にある壁が立ちはだかった。
つまりは、外の人間である私と、お屋敷のシステムの中に生きる彼女との、常識の乖離。
ただ、なまじ彼女が寂しそうな顔をするため、『ここはそういうところ』と自分を説得するのに多大な労力を必要とした。
「でもそれじゃ呼びにくいね。37番……さん、なな……み、な、……みー、な、……うん、ちょっと安直だけど、ミーナ、これでどう?」
とはいえ、いたいけな少女相手に『37番』と呼べるほど神経図太くできていないので、代わりの名前を考えることにする。
「へっ? あの、どう、と言われても……」
「嫌だった? もっと違う名前のほうが良い?」
そして出した案に、戸惑うような反応が返ってきたので、さすがに安直過ぎて気に食わなかったかと次の案を考える。
しかし、彼女の反応はどうも私が思っていたのとは違っていたようだ。
「い、いえっ! そんなこと……! ただ、こんなふうに親しく呼んでもらえるような名前を頂いたことがなかったので……」
「あー……。ということは、採用?」
「はいっ! ありがとうございますっ!」
そう感謝の意を告げた、これまで37番だった少女は、「ミーナ、ミーナ……」と、何度も下を向いて呟いていた。
その姿がやけに微笑ましく、そして哀しかった。
▼
ミーナと食堂に向かっている時には、極力意識しないようにしていた。
廊下の所々に置かれているオブジェ。そのことごとくが、人の気配を感じるものだった。
門番のように立ち尽くす西洋甲冑。
人体を模した妙なモニュメントの数々。
並んだ石像からくぐもった呻き声が聞こえてきたときは、もうお化けより先に哀れな少女の姿を思い浮かべるようになっていた。
「何というか……嫌だな、とか、逃げよう、とか、思ったりしない?」
ある意味禁句かもしれないその問いを、どうしても我慢できずに聞いた。
「辛いなって、思うことはありますけど……。こういうお仕事だと、教育されてますし……。……それに、どんな仕事だって辛いことはありますよね……?」
「……ああ、うん、まぁ……」
「わたしは、ここに拾ってもらって、メイド長に教育してもらって。恩返ししなきゃって、そういうのもあったりしますけど……」
今日何度目かの曖昧な相槌を打ちながら、この子の言う教育とは調教という意味ではないかと思い始めていた。
もちろんそれをこの子が理解しているとは思えない。
とはいえわざわざそれを教えるほど私は命知らずではないので、特に何を言うでもなく再び歩くことに意識を向ける。
「……あ、この子、友達なんです。脚がすごくきれいだったので、それでこうやって」
しばらく歩いていると、沈黙に耐えかねたのかミーナが一点を指さす。
指された先、博物館に置いてあるような台座の上には、まるでシンクロナイズドスイミングのように二本の脚だけが突き出ていた。
ミーナは友達といったが、どう見ても石像だし、そもそも上半身が見当たらない。
もしや『ボールが友達』というのと同じレベルの話なのだろうか。
「……友達?」
「はい。わたしよりも後にここへ来たんですけどね。なんでも防腐処理と石膏で脚を固めて、お腹から上は台座の中に埋まってるみたいです。でもちゃんと生きてるんですよ。触ってあげて下さい」
一瞬でも「子どもらしいところもあるんだな」と思った私が愚かだった。
数字の6のような形で固められた脚のモニュメントに近づく。
あまり信じたくない話だったが、意地の悪いことに股間部だけが元の肌色を保っていた。
おそらく体調管理のためなのだろうが、本人からすれば辱め以外の何物でもない。
脚は触ってもコツコツと石膏の固い感触しか返さない。
おそるおそるその秘部を指で撫でると、返事をするようにブシュッと愛液を吹き返してきた。水が沸く岩場を撫でている思いだった。
「この子、158番も、こうしてお客様を歓迎しているんですよ。他の子もそうですけど、このタイプのお仕事は一日中ずっとこのままですし、お客様を歓迎できることが嬉しくてたまらないんです。ですから、気が向かれたらで結構ですし、なるべくみんなと接していただけると嬉しいです」
こうやって姿勢を固定されたまま解放されないのだと聞いて、見事な脚線美を見ながら嫌な汗が噴き出した。
歓迎できることが嬉しいとミーナは言ったが、それはそうだろう。
この子たちにとっては、外界との数少ない接触が『お客様』であるのだから。
人間、物理的精神的問わず刺激がないと狂ってしまうのはよく聞く話だ。
おそらく必要最低限の接触、食事や排泄、少々のメンテナンスを除けば、この子たちに与えられる刺激はほんの僅かに違いない。
ずっと同じ姿勢のまま、何もすることもなくできることもなく、一日の二十時間以上を無為に過ごす。
まだ何十年と残された、自由に生きられたであろう人生を、まるでゴミ屑のように捨てられて、このモニュメントはここにあるのだ。
そう思うと、途端に目の前のこれが、とても儚く、危うい魅力を持っているように感じられた。
ただ、できることならこんなところで芸術の魅力の一端に触れたくはなかった。
「……ん。なるべく気に掛けるようにするわ。呆気にとられて何もできないことの方が多そうだけど」
「ありがとうございます。そのお気持ちだけでも嬉しいです。わたしたち、普段からこういう生活をしているせいか、誰かから気に掛けてもらえることがすごく嬉しくて……。気配にもすごく敏感ですから、見えてなくても、聞こえてなくても、喜んでもらえていたら雰囲気で分かります。……あ、食堂見えてきました」
環境が人を変える、その極端な例を目の当たりにしながら、ミーナの言うとおり前方に扉を確認した。
「ごめん、最後に、ちなみになんだけど……。貴女さっきから話を聞いていると、結構古株なんじゃない? でも最初の、あのエントランスってさ、聞く限りじゃ新人研修だよね?」
距離的に最後の会話かな、と思いながら、さっきから気になっていた質問を投げかける。
メイド長の話では、エントランスでのあれは未熟者の教育だと言っていた。それに私にとっては当たり前だが怯えた表情の子が多かったので、あそこにいるのは全員経験の浅い子たちばかりだと思ったのだ。
まぁあの内容だと、並みの新人では突破できないとも思うのだが。
「あ、あれはですね……。お恥ずかしい話なんですが、その、初心を忘れないように、あの、自主訓練といいますか……」
「…………はぁ……?」
「あ、わ、笑わないでくださいね? それと、後輩たちの維持管理のために、自分でも経験を積んでおかないと、とか、そんな感じです、はい……」
「………………いやぁ、立派だと思う、よ……」
色んな意味で笑えない。
思いっきり棒読みで称賛の声を上げながら、引き攣った顔のまま食堂への扉をくぐった。
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「お待ちしておりました。どうぞこちらへ」
部屋に入るなり、いつからそうしていたのか背筋をピンと立てたメイド長に椅子へと案内される。
「ど、どうも……」
一般的な住宅の敷地と同じくらいの広さの食堂。
映画でしか見たことないような長い机に、いくつも椅子が並ぶ光景は、まさに貴族の食事を思い起こさせる。
自分に根付いた庶民的感覚を握りしめながら、勧められた椅子に掛けようとして、身体が固まった。
そもそも、扉だ石像だ何だと今まで見てきたのだから、これも予想していてしかるべきだった。
『人間椅子』と言えば、ある意味業界的メジャーとでも言えるのかもしれない。
だが実際に椅子としての人生を送らされている人間を見て、躊躇いなく座ることのできる人間がどれほどいるだろうか。
「……」
それは、最低限フレームによって補強がなされていたが、人が椅子に座る格好そのまま、異様に伸びた胴体が背もたれと化し、癒着した太ももが座面となっていた。
膝から下は左右斜めに下ろされ文字通り椅子の脚となり、お尻から生えたもう二本の補助フレームとともに椅子の体裁を保っていた。
両腕は肘掛けの如く左右に配置され、人の腕とは思えないほど平べったくされている。
全身が真っ黒なのは入れ墨だそうで、例の如く笑顔のまま動かない顔と合わせて狂気とも言える異様な雰囲気を漂わせていた。
「どうかされましたか?」
「いえ……」
実際には気が動転して意識を手放しそうだったが、何とか自分を宥めすかし、心の中で「ごめん」と呟きながら腰を下ろした。
「うわっ……」
座った途端、見た目に反してとても柔らかい座り心地に驚く。
筋肉の有無を疑うような沈み込む感触に、おっかなびっくりだった身体を全て預ける。
低反発マットレスもかくやというフィット感に、人肌の温もり。
罪悪感や倫理観を無視すれば、家に一脚欲しいくらいだった。
「この子もお客様をおもてなしできて喜んでおりますわ」
耳元に聞こえる微かな嗚咽の気配を感じながら、愛想笑いを返す。
「さて、ではディナーの準備をさせていただきます」
そういって下がっていくメイド長。
そういえばミーナは、と思い見渡すと、メイド長の手伝いをしているようだった。
後ろからワゴンが近づいてくる気配を感じながら、せめて料理くらいはまともなものが出てきてほしいと切に願った。
▼
「本日は旬の野菜と、いいお肉が入りましたので、それを中心に」
私の懸念をよそに、出てきた料理はいたってまともだった。
いや、まともだなんていう言葉は失礼極まりなく、お屋敷の格式に合ったフレンチのフルコースだった。
前菜に始まり、サラダやお魚、お肉、果てはデザートに至るまで。高級ホテルのディナーのそれと比べても遜色ない味と完成度。
正直庶民の私には、あれがどう、これがどうと評論家のような感想は言えないけれど、美味しいかそうでないかで言えば、間違いなく美味しかった。
「お口に合いますでしょうか?」
「それは、まぁ、味は文句ないです……けど……」
そう、味は文句ないのだ。
だからこそ、普通に食べさせてほしかった。
運ばれてきた次の料理を見て、血の気が引く。
「次はロニョンのソテーを」
……何が悲しくて『手足のない女の子の器』で食べないといけないのか。
自分の中のどのお肉の形にも当てはまらない丸みを帯びた料理が出てくる。
器は、手足を失い一糸纏わぬ姿で横たわる小さな少女。
そのお腹はまるでくり抜かれたように空洞になっていて、そこに嵌め込まれた透明のお皿の上に料理が盛り付けられている。
そうすると必然的にお皿の周りの景色が臓器や肉なんかで真っ赤に染まり、どう贔屓目に見ても食欲をそそるものではなかった。
そもそも、このお皿が嵌め込まれた場所に元々あった、小腸や大腸、肉に脂肪その他諸々はどこにいったのだろうか。
手前に秘所が曝け出されている関係で、お皿の端の下に子宮は見えるが、それはおそらく客人の要望に合わせてわざと残されているのだろう。
「ご希望であれば生で」というメイド長の言葉に丁重にお断りを入れる。
この器のコンセプトからするに、カニバリズム趣向を満たすものなのだろう。
「……はぁ」
そして私にカニバリズムの適性があったのかといえば、それは分からない。
少なくともこのときの私は、器は異常でも、出された料理はきっと大丈夫だという根拠のない信頼でもってそれを口へと運んだ。
実際美味しかったのだ。野菜もお魚も。
だからこのお肉も問題ない。
そう思い込ませ、それ以上深く考えることを止めた。
そうしないと目の前のテーブルを汚してしまいそうだったから。
何かとんでもない感情を揺り起こしてしまいそうだったから。
「すね肉のシチューです」
(美味しい。ほら、美味しいじゃない)
埋め込まれた子。固められた子。教育を受ける子。
身をほぐし、啜りながら、今まで出会った子たちを思う。
(こんなに美味しいのよ?)
この器の子もまた、その犠牲になった。
『ただ器にされただけ』で、『それ以上』はない。
喉奥に感じる吐き気を抑えるのに必死で「出てこないで」と懇願する。
(そのはず……きっと、そう……)
だが、取り除かれた器の少女の臓器、失った手足。
目に見える情報が頭の奥でリフレインする。
(考えたらだめ……!)
ロニョンのソテー。ハーブソーセージ。すね肉のシチュー。
都市伝説。噂。これまで見た真実。笑うメイド長。
(止めて! 繋げないで……っ!)
それらの単語が頭の中をぐるぐる回り、次第に意味のない言葉の羅列へと変わる。
(気のせいだ(食べた)何も関係ない(食べた)関係ない(食べた!)関係ない……っ!)
「……お客様?」
すでに一線を越えているとはいえ、さらにその奥。
カチャン、という金属音を聞いたのを最後に。
私の脳は人類という種としての禁忌に触れることを、拒否した。
▼
「……あの、南様っ!」
「へっ!? ……あ、ああ、ミーナちゃん……か……」
気が付いたら、廊下を歩いていた。
食堂へ向かう道とは違う廊下。そして違うポーズのモニュメントたちを視界に納める。
ミーナの言葉を思い出して、見かけるたびにどこか触ってスキンシップを取った。
「あの、さ。私、食事してなかったっけ?」
「? ええ、召し上がってましたよ。お口に合いましたか?」
「そう……そうよね。うん。……味、……は、美味しかった。美味しかったわ」
「そうですか。それはよかったです」
今一つ先ほどの食事の光景が思い出せない。
確かに美味しかったという記憶はあるのだが。
「……と、そういえば、お手洗いどこかな?」
「あ、はい。こちらです」
まぁ美味しかったのならそれでいいか。
そう楽観的に考え、お手洗いに入る。
「……あー、食べ過ぎたのかなぁ……」
下着を下ろし、便座に腰掛けたところで、少し張ったお腹をさする。
もう少し運動しないといけないか、などと決まり文句を呟きながら、つまんだお腹のお肉を料理のせいにする。
「あ、今日は出るかも……」
それほど酷い方ではないが、例に漏れず便秘気味である私。
これ幸いとお腹に力を込める。
「んんん……!」
奮闘することしばし。
シンとしたトイレの中を水の流れる音で誤魔化しながら、お腹の中に住む悪魔たちを追い出していく。
「はふ~っ。……ん?」
久しぶりの解放感に息を大きく吐きながら、ふと顔を上げた先に妙なものを見付ける。
いや、物自体は非常に見慣れたものだが、こんな場所にあることに違和感を感じた。
「……テレビ?」
そこにあったのは、小型のテレビだった。
「もしかして頑張る女性のための暇つぶしアイテム?」
こんなのが普及してたら余計にお手洗いが混みそうだ。
そんな益体のないことを考えながら、せっかくなので電源を入れる。
「電源ボタンは……っと、これか。……って、え?」
そして画面に映し出されたのは、暗い空間。
てっきり、この時間だとバラエティかな、と考えていた私は拍子抜けした。
しかしその空間に動くものを見付け、妙な違和感を感じて目を凝らし覗きこむ。
「……これって……もしかしなくても、そういうことよね……」
果たして見えてきたのは、横に4つほど並んだ白い物体。
それは等間隔に設置され、上から伸びたチューブを咥えている。
身動きとれないように拘束されたそれらは、暗いとはいえ確かに人の形に見えた。
「……え、ちょ!? まさか、今の私の……っ!?」
上に伸びる4つのチューブを改めて見て、慌てて声を荒げてしまう。
急速に嫌な予感が全身に染み渡る。
すると視線の先、画面に映る拘束された白い物体のうちの一つが咥えたチューブが揺れ、上から流れてきた液体で茶色に染まる。
そしてそれは私の予想を裏切らず、白い物体の中へと注ぎこまれていく。
「う、そ……」
画面から音は聞こえない。
ただ、近くにいれば液体が流れる音と、ゴクゴクと喉を鳴らす音が聞こえるはずだった。
それが何なのか、何を意味するのかは、僅かとはいえこのお屋敷を見てきた者としてはよく分かる。
「下水、処理……ってこと……この子たちが……」
きっとそうしなければ窒息してしまうのだろう。
今回犠牲になった子は必死な様子で次々流れ込むそれを飲み下していく。
さっきまでのテレビだなんだと浮ついていた気分はどこかへ吹き飛び、自分の汚物を強制的に飲み込ませたのだという罪悪感に支配される。
正直、不可抗力だと思わなくもない。
ただ、きっとあの子たちはずっとああやって拘束された状態で、自分の意思も尊厳も破壊され強制的に汚物処理に使われ、そしてその光景を別の空間で見世物のように見られている。
その彼女たちの屈辱や理不尽さを考えれば、言い逃れなどする自分が酷く矮小に思えた。
「……ごめん」
幾度か逡巡しながら、結局掛ける言葉も見つからず、画面の向こうに向かって一言謝罪し、電源を落とした。
すっきりするために入ったはずなのに、入ったとき以上にモヤモヤしながら。外で待っていてくれたミーナと合流した。
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あてがわれた自分の部屋に戻り、しばし。
気分は良くなかったが、いや、だからこそ私は誰かとのおしゃべりを欲していた。
そうしてミーナを捕まえてガールズトーク(一方的だったが)に花を咲かせていると、夜もすっかり更けて、時計もいい時間を指さしていた。
「っと、思いのほか話しこんじゃったわね。……そういや、今さらだけど仕事大丈夫だった?」
「大丈夫です。今のわたしは南様のお世話係ですから」
「ふ~ん。それじゃこうしてお話しているのも、お仕事だから仕方なくってこと?」
「え、あ、あのっ、そ、そんな、こと……っ!」
「あはは! 冗談よ冗談、気にしないで」
すっかり私の中でいじられキャラになったミーナをからかいながら、そろそろお開きにしようと持ち掛ける。
「ふぁあ~っ……。ん~、やっぱ疲れたまってる、か……。いつもならまだまだ起きてる時間なんだけど……」
そう言いながらミーナの入れてくれた紅茶を一口。
少し冷めてしまったが、それでも家で入れるそれより数段美味しい。
「では、わたしはこの辺りで失礼しますね」
「はーい。明日は、一日見学ってことでいいのよね」
「そうです。お庭の噴水にご案内しますね。すごく綺麗なんですよ。きっと南様に似合います!」
「に、似合うだなんて、そん、な……あ、……れ……?」
はしゃぐように褒めるミーナ。
それに照れ隠しを返そうとしたところで、世界が傾いた。
「な……ん……」
ぐるぐると目が回る。身体に力が入らない。戸惑う頭の中で、わあんわあんと響く無数の声。そして、小さいのにやけに明瞭に聞こえる呟き。
……あれ。私、ここに何しに来たんだっけ。
「……っ」
そして傾いていたのは自分の方だったと気付いたところで。
私は急激に襲ってくる睡魔に抗えず、そのまま昏倒した。
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「……眠りましたか」
「はい」
「それにしても、せっかくチャンスをあげたというのに。結局戻ってくるのだから世話ないわ」
「回帰実験、ですか」
「ええ。どうしてもここの生活が嫌だとごねるから、記憶を閉ざして一般社会へと戻してあげたのよ。でも、この子はここへやってきた。いえ、戻ってきた。ということは、どう転んでも同じ運命だったということ。記憶を取り戻したこの子が知ったら、さぞ悔しがるでしょうね」
「せっかく逃げられたのに、ですか?」
「全てがわたくしの掌の上だったということに、よ」
「まぁ、自尊心とか人一倍強い子でしたからね」
「だからこそ面白いのだけど。……さて、37番。準備をして頂戴。この子が目覚める前に下準備をしておかなければ」
「畏まりました」
「これでようやく庭の噴水が完成するわね。やっとお客様にお披露目することができるわ」
「わたしも楽しみです。……では」
……キィ、パタン。
「……」
「ようこそ、『歓迎の館』へ。館一同歓迎いたしますわ、南様」
「……そして、おかえり。373番」
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辺り一面手入れされた芝生と草木に覆われた庭の真ん中。
円を描くように石畳が敷かれた中心に、その噴水はある。
「貴女には、これの維持管理を担当してもらうわ」
「は、はいっ!」
水の張られた円形の台座。その中に設置された石像。
頬撫でる風に揺らぐ水面。一定間隔で噴き上がる水柱。飛び散る水飛沫。
周囲の緑と合わせて晴天の蒼によく馴染んだそれを前に、侍女服に身を包んだ2人の少女が言葉を交わす。
「きれい、ですね……」
「貴女もそう思う?」
澄んだ水を湛える清らかな空間。
その真ん中で、まるでしな垂れるように腰をくねらせ、抱えた水瓶から水を零す女性の姿があった。
それは石像とは思えぬほど精巧な作り。憂いを帯びた表情に始まり、身体の各部や隠すべき秘所まで。
今すぐにでも動きだしそうなほどのディテールでそこにある。
それゆえ、昼の太陽の下では清らかで、夜の月の下では艶めかしく映えるのだと。吊り目の少女が人差し指を立てて説明する。
「でも、これ、……生きてる、んですよね……?」
「そう。だからちゃんと管理してね」
「……はい」
改めて目を凝らして石像を見る、気の弱そうな少女。
どう見ても噴水に設置されたただの石像。
だから、これが生きているなどとは、聞かされなければ分からない。いや、聞かされた今でもまだ信じがたい。
当の石像はもちろん動くでもなくしゃべるでもなく、ただ反応するかのように水面からまた一つ水柱を噴出した。
「さて、それじゃあ管理方法だけど……。基本は教わってるのよね?」
「あ、ある程度は……」
「よろしい。ならこの噴水独自の注意点を中心に教えるわね。端末は持ってる?」
「はい、あります」
そう言って少女たちはタブレット端末を取り出す。
たどたどしく取り出した少女の画面にいくつかのアイコンが表示される。
「まず、さっき取り込んだ『噴水管理』のアプリを起動して」
「は、はい」
説明のため見せられた画面に映るアイコンの多さに驚きながら、おっかなびっくり少女は噴水管理と書かれたアイコンを指でタップする。
「そうしたら、管理画面が出てくるから。……出てきた? 細かい数字とかはあとで覚えればいいから、とりあえず見るところを説明するわ」
出てきた画面には、水量や水温、異物混入率や目詰まりチェックなど多岐に渡る項目が表示されていた。
その一つ一つを覚えなければいけないというプレッシャーを感じながら、説明を受ける少女は声に耳を傾ける。
「まず、左上に画面が出てると思うけど、この石像の構造上『中身』は常に水に浸かっている。だから、一番気を付けなければいけないのは、溺死なの」
『死』という言葉に身が引き締まる思いをしつつ、画面を見る。
そこには確かに今目の前にある噴水と同じ物が映し出されており、中の構造、断面図がイラスト調で表されていた。
一定間隔で上下を繰り返しているのは水位だろうか。
石像の頭部、ちょうど口や鼻のあたりで引いたり満ちたりしている。
「イラストを見れば分かる通り、噴水の構造上、石像の中に空気を送り込むことによって管から水柱を噴き上げているのよ。その度に石像内では水位が上下しているというわけ」
その言葉の最中にも、水柱が上がる。
そしてそれが一定間隔で上がることを思い出し、画面の中のイラストと見合わせて少女は戦慄する。
これらの事実が示すものは、言うなれば呼吸管理。
一分(これはあくまで現在の設定)間隔で噴き上がる水柱。
中に閉じ込められた生贄は、それに合わせて呼吸をする。
その一瞬の後、逆流し増した水位のもとでは水中にいるのと変わらず、また再び水柱が上がる時を待ち続ける。
そしてそれは手元の端末、つまり管理する者によって、水柱を上げる間隔、タイミング、さらに言えば上げるかどうかすら設定できる。
文字通り、震えながら端末を持つ少女の手に命が委ねられていた。
「だから噴水内に入ったゴミとか、目詰まりとかはマメに点検してね。まぁ許容範囲を超えたら、端末にアラートで知らせてくれるけれど」
命の掛かった点検だけに、少女も真剣な顔で頷く。
「あと、水位とかが弄れるのは分かったと思うけど、その繋がりで色々できるから。そこの……そう、その画面、それで、石像内に噴水の水が入るのを遮断できるの。それから排水して、空にすることもできて、これは定期的にやってね。ずっと水に浸かりっぱなしだと身体おかしくなっちゃうから」
「は、はい……」
「まぁバイタルチェックなんかもできるし、それも異常があったらアラート鳴るからそこまで神経質になる必要はないわ。あと空の状態でこの食事ボタンを押すと特殊経口補水液が出てくるから、それを飲ませてあげて。排泄した時は、すぐに噴水に繋がる管を遮断して、排泄ボタンね。それで流れていくから」
その後も次々と画面を通じて教えられる噴水の石像という一個の生命の維持方法。
そのおおよそがクリック一つで管理できることから、初めプレッシャーから震えていた少女も、
どこかゲームをするような気負いのない表情へと変わっていた。
「……ぶっちゃけると、管理だけならオートモードがあるから、その設定のままにしておけば後は数日おきに点検するだけで済むんだけどね」
「は、はぁ……」
あまりといえばあまりな発言に、何と答えていいか分からず困惑する少女。
それに構わず、端末を仕舞いながら先輩の少女は年相応のおどけた表情で言う。
「あとこれは内緒なんだけど……。わたしが先輩から引き継ぎを受けた時と同じ話をしてあげる」
「え……?」
そう言ってその顔を悪戯っぽく変化させ、戸惑う少女の耳に口を寄せる。
「基本は日中に噴水としての機能を持たせて、夜は排水して身体を休めさせるんだけど……。これ、実は管理以外にも面白い機能があってね。……ここ、これ見て」
「えっ!?」
「ここで、色々自分の好きなように遊べるのよ」
先ほどまで開いていた管理画面。
そこから先輩の少女がいくつかの操作をした後、出てきたのは、卑猥な言葉のボタンが並ぶ画面だった。
そこには身体の各部位、有体に言えば性感帯の名称が図とともに表示され、『振動』や『揉み』といったマッサージチェアの機能のようなものから『電撃』や『針』、『こぶ』、『収縮』といった怖くなるようなものまで、秒数入力のボックスや強弱調整のスライダーとともに映し出された。
「あの石像、外は見た目そのままだけど、中は結構ハイテクなのよ。選択した箇所に接するように変形して、震えたり電気流したり。この『収縮』とか、全部が風船みたいに膨らむの。多分すごい圧迫感よ。『こぶ』は選んだところが膨らむんだけど、『収縮』みたいに均等な圧力じゃないから、場所を選べば恐ろしい不快感を生む拷問になるわ。あとは水温とか水位とかと組み合わせたりもできるから、自分の好きなようにメニューを考えるのも楽しいわよ」
先ほどまでの説明口調とは打って変わって、楽しそうな口調を隠そうともせず説明する先輩に、後輩の少女はさすがに罪悪感が勝り困惑する。
そんな少女の姿に、楽しげな少女は口を歪め、悪魔のように囁く。
「貴女も、いつ『される側』になるか分からないのよ。楽しめるうちに楽しんでおくべきだと思うわ」
「……!」
その言葉に、少女は硬直する。
一歩間違えれば、自分が『されていた』。
その事実が恐怖心とともに心を蝕み、せっかく得られた権利を手放すのは……、という思いが支配力を強める。
それはまさしく悪魔の誘い。
自分が受けた恥辱や苦しみを、それを与えたであろう相手にお返しする。
顔も見えず、疑心暗鬼。それでも仕返しをするという甘美な悦びを手放せない。
一度入りこめば抜け出せない、終わりなき復讐の輪廻の入口。
唯一その輪から逃れることのできる『初めて』というタイミング。
「そう、……ですよね」
この少女はそれに気付くことなく、自ら手放した。
そしてこの館を維持する、復讐で支配されたシステムの中へ、組み込まれていく。
きっとこの少女は、これから先、この噴水を使って楽しむだろう。
そして、自分がされる側に立つとき、その事実に気付き恐怖するのだ。
(ま、たまに37番のような変人もいるけどね)
戸惑いながらも静かな興奮をその身に宿す後輩を微笑ましく思いながら、先輩の少女は石像を見上げて友人の顔を思い出す。
(ただ、貴女だけは復讐の愉悦を感じることなく、永劫に弄ばれるがままだけれどね。373番)
そして、視線の先。
数センチの絶望的な厚みの向こうにいる哀れな裏切り者を思い浮かべながら、見事な脚線美の少女は踵を返した。
(あーあ、そろそろ新しい子入ってこないかなぁ)
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