第一話『魔女の卵』

 私、スティラ・オールグレイズと、クラスメイトであるレストリア・ウィルストングスの仲は、いよいよもって修復という生温い妥協を受け入れられない状況となっていた。

「……で、将来的に皆さんが『深淵の魔女』となる資質を認められた場合、使い魔を持つことになります。数や質は本人の格や魔力量、技量、精神力に左右されるので一概には言えませんが、おおよそ一般的にはA級を1~3体。特別優秀な子だとA級を7~10体くらいですかね。たまにA級を20体くらい連れていたり、S級まで従えていたりと才能の塊みたいな子もいますけれど」

 教室に響き渡る教師の声。浮いた逆三角錐の台座に腰掛けた少年は、学園でも有名なショタ先生ことゼロナギア・オラク・シグレ・ビットガーデン。長いのでショタ先生とかゼロちゃんと呼ばれる。
 先生は魔女ではないけれど、公国でも有数の魔法使い。それでいて偉ぶらず、普段は小さい女の子みたいな容姿を弄られている親しみやすい人。でもみんな内心では尊敬している。その証拠に、先生の講義中に無駄口を叩く生徒はいない。

「まぁそれはともかく、余程のことがない限り1体は確実に持つことになります。ただ、そのためにはいくつか手順があるので、しっかり勉強して下さいね」

 みんな、真剣に聞き入っている。もちろん私も。昼下がりといって居眠りする子なんていない。それくらい、大事な内容だった。私たち魔女の卵がそれぞれ理想の『深淵の魔女』になるために。

「とはいえ、基本的にはどれだけ概念を理解できているかなので、勉強しても出来ない子はとことん出来ません。そして先生は手取り足取り指導したりはしません。あくまでやり方を教えるだけです。まぁここにいるのは優秀な子ばかりなので心配はしていませんけれど」

 そしてそれは、それに関してだけ言えば、私は一番前の席に座っているレストリアを認めざるをえない。
 成績優秀、才色兼備。エリートを地で行く才媛でありながら、事あるごとに私に突っかかってくる鬱陶しい級友。それでも、『深淵の魔女』になろうとする意思は誰よりも強い。それを否定することは出来なかった。

「……そうですね、一つだけヒントをあげてから説明に入りましょうか。……『意思あるものが相手』だと、理解しておいてください。どう解釈するかは皆さん次第です。それでは、全員前へ」

 空調の効いた教室が、次第に息苦しい空間へと変わっていく。それは、総勢30名の緊張だ。先生の手元を見逃すまいと、集まった瞳の群れが輝き出す。私も、脳裏に刻み込もうと力を込める。

「契約の魔法……。支配の、魔法……」

 微かに聞こえた彼女の声は、すぐに意識から消えた。

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 きっかけは、どこにでもあるような、些細で単純なことだった。
 それまで首席として君臨していたレストリアの顔に、転入生の私は泥を塗ったのだ。

「……まさ、か……」
「あ、あー、たまたま上手いこといったみたい、ねー……」

 経済学、政治学、歴史学に民俗学、考古学。一般的な魔女にはあまり関係なさそうな学問だけれど、こと『深淵の魔女』ともなれば皇室や王室、大貴族から助力のお誘いが来る。そうなれば、魔法の研究ばかりにかまけている訳にはいかない。お抱えの護衛であり最大戦力であると同時に、相談役であり知恵袋でもあらねばならない。それが『深淵の魔女』だ。

 その肩書は純粋な『力』で就ける身分の最高峰。時に戦場を支配し、時に政局を左右すると言われ、事実歴史がそれを証明している。10万分の1という幸運を胸に抱き生まれた『魔に身を浸した者』たちにとって、それは憧れであり、目指すべきゴールでもあった。
 故にあらゆる学に精通している必要があって、だからこそ全てにおいて卓越した成績を残していたレストリアは学園史上最高の『深淵の魔女』候補だと言われていたのだ。

 それを、私が抜いてしまった。総合点で私が首位に立ってしまった。ふらりと現れた転入生に負けたのだから、その心中は察するに余りある。その時はまだそう思っていた。

「まぁ、肝心の魔法学とか言語学とかは、レストリアのほうが上だったし……。あ、ほら、数学も」
「……許さない」
「あと心理学もすごい点数……え?」
「覚悟なさい。わたくしに恥をかかせたこと、後悔させてあげる」
「恥って……。だからほとんど差はないって……あっ」

 ろくにこちらの話を聞かず、立ち去るレストリア。そりゃあショックかもしれないけれど、何もそこまで……。心なしか影を引き連れ歩く後ろ姿を見送りながら、少し面倒くさい子だなと思った。

「……何よ、もう」

 そしてその時が、二人の分岐点だったのだと思う。
 初めの印象ではそれなりに仲良くやっていけそうだったのに。彼女は私を一方的にライバル視するようになって。私は面倒だから適当にあしらって、それがまた火に油を注いで。
 そんな状態だったから、私だって聖人君子じゃないし、もう引っ込みがつかなくなっていった。理不尽な負の感情を叩きつけてくる相手に好意を抱けというほうが無理な話だ。次第に仲は険悪になり、それはやがて学園中が知るところとなった。

 それでも私は、どこかで期待していたのだ。あんなことがなければ、きっと仲良く出来たのに。だから今からでも、きっかけさえあれば。仲直りできれば。そうすれば、きっと……。

 彼女が決闘を申し込んできたのは、新入生ですら私たちの不仲を噂するようになった頃だった。

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「逃げずにやってきたことだけは評価いたしますわ」
「どこの噛ませ犬キャラよ、あんた……」

 決闘当日。戦闘講義でもたびたび使う第7訓練場には、どこから聞きつけたのか大勢の野次馬たちが集っていた。

「それより、なにこれ?」
「あら、人目があるとなにか不味いことでも?」

 向き合う私たちの距離は2~3メートル。お互いに白いシャツとえんじ色のスカートからなる制服姿で、ハットにローブは黒の戦闘仕様。手にしたロッドは模擬戦用で、装備に差はない。
 とりあえず、不正はないと見た。

「それは私のセリフ。……ま、どうせあんたのことだから、自分の勝利をみんなに誇示したいんでしょうけれど」

 私の煽りに、レストリアは不敵に笑うだけ。いつも私を突き刺す嫉妬や敵意といった感情の乗らない、単純な笑み。

「……対魔障壁を張ったよ。けど、あまり無茶なことは止めてね」
「感謝いたしますわ、先生。わたくしの魔法に耐えられる障壁を張れるのは、この学園に先生以外おりませんので」
「褒めてもらえるのは嬉しいけれどね。本当は決闘なんか止めて欲しいな、先生としては」
「それは残念ですが。もちろん先生に迷惑をかけるようなことにはいたしません」
「……すでになっている、とは言わないほうがいいんだろうな……」

 審判役はゼロナギア先生。相変わらずプカプカ浮かぶ台座の上に座り、心配そうな目で私たちを見ている。
 ごめんなさい、先生。なるべく早く終わらせますんで。目が合ったついでにそんなことを念じたら、ニュアンスは伝わったのか溜息を一つくれた。

「さて、では始めるとしよう。決闘者は、レストリア・ウィルストングス君と、スティラ・オールグレイズ君。審判は僕、ゼロナギア・オラク・シグレ・ビットガーデン」

 切り替えるように姿勢を正して、先生が言葉を紡ぐ。周囲も次第に静かになる。
 こくりと喉を鳴らすのも躊躇われるような、無音。

「決闘時間、決着方法、ともにどちらかが降参するまで。魔法、武器の使用可。ただし生命を脅かす行為および重度の身体的精神的障害を残すような行為は禁止とする。……それと、審判である僕の判断で止めることもあるかもしれないけれど、いいね?」
「はい」
「もちろんですわ」

 返事をしながら、お互いに魔力を練り始める。さっきは早く終わらせる、なんて嘯いたけれど、実際それは無理だろうと諦めている。

「まぁ、なるべくそんなことにはならないようにお願いしたいな。僕ももうそれほど若くないし」
「あら、ご冗談を。まだまだお若いですわよ」
「それはどうも。でも止めに入りたくない気持ちは大真面目だからね」

 いくら私がテストで上回ったとはいえ、それはあくまでも内政分野の話であって、戦闘とは直接関係のない部分だ。
 こと魔法に関して言えばレストリアの力は群を抜いている。
 というより、はっきり言って異常だ。教師を含めて、学園で彼女に対抗できるのは、ここにいるゼロ先生と……学園長くらいだろう。何十年と研鑽を積んだ教師たちでさえ、高々十数年生きただけの彼女に敵わない。
 そして学園で敵なしということは、世界中で見ても一線級だということ。そこだけを見れば、彼女は今すぐにでも『深淵の魔女』になる資格がある。実際、いくつもの大国、有名貴族から誘いを受けていると聞いている。

 そんな彼女に勝てるかは、正直微妙だ。
 私だってそれなりに血の滲むような努力をしてきた。他の級友たちには教えを請われ、先生にも一目置いてもらえる程度には。
 それでも単純な魔法勝負では話にならない。作戦、搦手で降参に持ち込むしかない。それくらい、彼女は優秀だ。

「あと、決闘に際して賭けるものはある? あまり過激なのは許可しないけれど」
「わたくしは、スティラさんが惨めに這いつくばって許しを請う姿を見られれば、それでいいのですけれど……」
「それだけは絶対ないと言い切っておくわ」
「せっかくですので、負けた方は勝った方の命令でも聞いてもらいましょうか」
「……ま、定番で妥当なところね。いいわ。あんまり無茶な命令は勘弁だけれど」
「あら、もう負けた時の心配をしてらっしゃるの?」
「常にもしもの時を考えて先手を打ち、最悪を避けるのは知性あるものとして当然のことよ。猪突猛進のあんたには分からないかもしれないけれど」
「それはそれは。ただ、その弱気が勝機まで避けてしまわなければいいですわね」
「……なによ?」
「……なにか?」
「まぁまぁ」

 お互いに練った魔力が溢れだし、周囲に光の粒を纏わせる。パリパリと小さく空気を裂く音が聞こえる。高純度に圧縮された魔素が、視認できるまでに肥大化した結果だ。
 ただ、その幻想的な光景も、昂った二人には戦闘準備完了の合図でしかない。

「ともかく、それで受け付けるよ。……ごほん。審判の名のもとに、この決闘を受理する。両者、全てにおいて異論はないね?」
「はい」
「はい」
「……。決闘成立を宣言する。両者とも、悔いのないように。……それと、あまり無茶はしないように。学園きっての天才二人が潰れたら、何言われるか分からないからね、僕」

 ロッドを握る手に力が入る。距離は先ほどと変わらず。しかし先ほどよりも近く。無音の世界で、己の息遣いと、先生の声だけが聞こえる。

「それでは……」

 何が来る?
 何を仕掛ける?
 作戦などと言いながら、小手先の子供だましが通じるような相手でもない。出方を伺う、それすら満足に許してもらえるかどうか。結局頼るのは己の勘。経験。知識からくる無意識。相手を上回るという意思。

「……」

 学園最強を恐れない、心。

「始めっ!」
「――!」

 声。そして一拍。瞬間。
 空間を焼きつくす爆炎が視界を埋める――。

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