狭い国土ながらも、幸いにして山の多いこの国。
人里離れた土地なんてものは腐るほどある。
とはいえ、実際にそこに家を建てるとなるとこれがなかなか大変だ。
周りに人が住んでいないということは、生活するには不便極まりないということと同義だ。
電気も通ってなけりゃ、スーパーやコンビニだって無い。
水道光熱等生活していくためのインフラ整備、食料雑貨その他の購入先の確保など、とてもじゃないが俺一人では無理だった。
それに、真っ当な屋敷ではないので、一般の建築業者に頼むわけにもいかず、かといって俺一人で大きな屋敷を建てる技術があるわけでもない。
極力表には姿を出したくないという思いもある。
問題点は多かった。
そこで、かねてより親交のあった知人(巴とも知り合いのあいつだ)の力を借り、その馬鹿げた『力』によってどうにか思い通りの屋敷を建てることが出来た。
あいつの息の掛かった者たちによる施工。
予定通りのレイアウト。設備。道具類。
姿を隠すステルス装備、強力なジャミング。
いったいどこの軍事基地だと言わんばかりだが、おそらくあいつの趣味もあるんだろう。
望むものを手に入れた代わりあいつには今でも頭が上がらないわけだが、それもこれに比べれば安いものだ。
警察や救急、消防、その他公共のサービスなども全く利用できないが、知人のところへ電話をかければとりあえずは何とかなる。
医者にしても、真似事程度なら俺にも出来る。
誰も知らない。地図にも載ってない。衛星にも映らない。
かくして、世間様にはお見せできない、隔離された異世界が誕生したというわけだ。
▼
「おい、起きろ楓。着いたぞ」
「ふぇ……?」
真っ暗闇で、よろければすぐにでも崖から落ちそうな山道をトロトロと走りながら、ようやく屋敷に着いたときには楓はすでに夢の中だった。
「ほら、降りた降りた。おんぶなんかしてやらないぞ」
「……いけず」
眠さからか若干幼児退行した楓はそれでも一人で車から降り、手をつないだ俺の斜め後ろを目を擦りながらペタペタと歩いていた。
「結構遅くなっちまったな……」
先ほどの山道とは違って空を覆う木々もなく、月明かりを受け入れる空き地に建つ我が家。
それでも消えはしない夜の闇は、本来あるべき自然の色彩を奪い、世界を藍黒く染める。
「……うわぁ、こんな山の中にお屋敷が……!」
「……やっと起きたか」
ため息をつきながら屋敷を見上げる楓に、俺も別の意味でため息をつく。
そんな俺たちを、満月とはいかないが、それなりに綺麗な月が、興味深げに見下ろしていた。
「綺麗なお屋敷です……」
「空にいるお節介のせいだろ」
「……案外ロマンチストなんですね」
「いけないお口はこの口か」
「ほえんあはい」
そんなこんなでようやく屋敷の玄関へと辿り着く。
なんだか今日一日でドッと疲れたな……。
なんて、回想モードに入るのは少し早いか。
「おかえりなさいませー!」
「だ、だれですっ!?」
暗闇から突如聞こえてきた声に、楓が過剰に反応した。
「ふむふむー……この人が新しい奴隷さんですかー……」
「……ど、どこから……?」
声はするが、その姿は見えない。
必死にキョロキョロと辺りを見回す楓。
楓のあまりの挙動不審っぷりが可笑しく、気付かれないように堪えて忍び笑いをする。
「……っ!?」
寝起きとは思えないほど俊敏な動きを見せる楓をもう少し見ていたかったが、それよりもとにかく腹が減っているため、仕方なく話を先に進めることにする。
「……志乃。俺は腹が減ってるんだ。お遊びはそこまでにしろ」
暗闇に向け声を出す。
俺ですらどこにいるかまではわからないからな。
「はーい。ごめんなさいでしたー」
「きゃっ!?」
可愛らしい、というよりむしろ「ぎゃっ」という本能に忠実な悲鳴を上げ、楓がとび上がる。
……そりゃまぁ驚くだろうな。
真っ暗闇の中、突然真後ろから声を掛けられたら。
「~~~!?」
声も出ない様子の楓の隣で、ちょんと佇む笑顔の女の子。
「満足したか?」
「しましたー」
「な……なっ……!」
楓はまだ頭が追いついていないようだ。
「じゃ中に入るか」
「はーい」
いつまでもパクパクと鯉に変身した楓を見ていても仕方ないので、さっさと屋敷の中へ入っていこうとする俺と志乃。
「……え、ちょ……ま、待ってくださいっ! なんでそんな淡々とした……」
「あとで説明するからとにかく入れ。お前は俺を餓死させたいのか」
「いや、だって、もうなにがなにやら……わかりましたよ、もう……!」
なんとか置いていかれまいと正気を取り戻し、しぶしぶながら俺に従い玄関をくぐる楓。
リビングへと続く廊下の中、「ごはんーごはんー」とにこやかに鼻歌を続ける志乃を終始胡散臭そうに眺めているのだった。
▼
「ぷはー! 生き返ったーー!!」
ご主人様が、食後のお酒を飲みながら一息ついている。
「お料理どうでしたー?」
「ん? いつもどおり美味かったぞ」
それまでずっと後ろで控えていた志乃さんが、食器を片付けながらご主人様に聞く。
実際、志乃さんの作った料理は悔しいほどに美味しかった。
「それに、遅くまで待っていてくれたんだな、ありがとう」
「にゃはー! 褒められましたー!」
頭を撫でられてクネクネする志乃さん。
なんだか子猫みたいで可愛い。
ちょっと、うらやましいな……。
「楓ちゃんはどうだったですかー?」
「……え!? あ、はい……おいしかったです!」
幸せそうな志乃さんをぼんやりと見ていたら、突然話を振られ、慌てて返事をした。
「なんだ、まだ寝足りないのか?」
「そうじゃないです」
いつの間によく寝る子キャラに……。
どうでもいいことを考えながらチラチラと志乃さんを見る。
「……にゃ?」
「……こいつについて早く説明しろと、そういうことか」
「とりあえずそんなところです」
さっき聞いたのは名前だけ。
今までの行動といいその格好といい、
ここでメイドさんをしているのだろうということは分かる。
歳は……見た目は幼く見えるけれど、ちょっと分からない……。
あとは、かなりご主人様に可愛がられている……みたい。
「簡単でいいか?」
「……はい」
「……。山で拾った。ここの家事をやってくれてる。以上」
「簡単すぎますっ!」
「うわーお約束ですー」
志乃さんのツッコミが入る。
なんだか他人事のような言い方だ。
いや、それよりも……。
「それに、山で拾った、って……」
「そのままの意味だ。こいつは近くの山で拾った」
チラリと志乃さんに目線が移る。
「それ以前の話が知りたかったら志乃に直接聞け。……あんまり気持ちのいい話ではないがな」
「言えと言われれば話しますけどー?」
「……」
あくまで気にしていない様子の志乃さんだけど、なんだか訳アリそうな人の過去を根掘り葉掘りほじくり返すほど私は無神経じゃない。
「やっぱり、その話は今はいいです。……私と似た匂いがしますし」
「……そうか。ま、次の質問を聞こうか」
ご主人様も何も言わず、次を促される。
気になることはいくつもあるけど……。
「ではご主人様と志乃さんの関係を、もう少し詳しく……」
やっぱり一番気になるのはこれだ。
家に帰ると待っている一人の女の子。
しかも、仲も良さそうだ。
ここは奴隷としてというよりも、私も女の子の端くれとして、是非聞いておかなければならない部分だ。
「詳しくといってもだな……志乃、頼む」
「はいー。そうですねー……。志乃はいろいろあってここのお山まで来たんですけど、途中で行き倒れてしまいましてー。帰る道も分からなくて、おなかもグーグーで、そこを助けてもらったわけですー」
いきなり志乃さんの過去が気になって仕方ない内容だけど、自粛する。
「行き倒れ……というかそれって遭難ですよね……」
よく生きてましたね、という言葉を呑みこむ。
「それでですねー。一宿一飯の恩義というわけじゃないですが、恩返しのつもりでいろいろお手伝いをしているのですよー」
「……とまぁそういうことだ。わかったか?」
「……大体は」
つまりは、命の恩人に恩を返すためにここにいるんだろう。
「でも、それだけですか? その、私と、ご主人様のような、関係とかは……?」
なんだか私、二人の関係ばかり聞いている気がする。
……嫉妬?
いやいや、これはこれから二人と付き合っていく上で必要なことだから、うん。
「楓ちゃんはマスターの奴隷さんですよねー?」
「え、う、うん……一応……」
改めて人から言われると少しドキッとする……。
「では楓ちゃんとは少し違いますねー。志乃は拾われましたので、マスターの持ち物なのですー。だから、マスターは志乃の持ち主さんなのですよー」
「は、はぁ……」
想像しているのと全然違う答えで呆気に取られてしまった。
私の持つ価値観とは、また違う考え方。
そして、少しだけ、ほんの少しだけ、恐怖を感じてしまったのは、
志乃さんがその考え方に対して、何の疑問もない、そう考えることに一片の曇りもなかったこと。
「志乃はお道具ですから、いっぱいいっぱいマスターのお役に立たないと捨てられてしまうのですー。だから、いっぱいいっぱい頑張っているのですよー」
「……捨てたりなんかしないといつも言ってるだろ……」
「……」
さすがに呆れたのかご主人様が口を挟む。
「……まぁ道具だなんだは志乃が勝手にそう言ってるだけなんだが……。実際志乃にはいろいろと役に立ってもらっているしな。言うこともちゃんと聞くし」
「お道具ですからねー。持ち主さんに逆らうはずありませんよー。命令されたら、なんでもしますー」
「はぁ……」
なんだかいろいろと圧倒されて、というか、返す言葉もなくて生返事しか出来なかった。
私だってなんでもするつもりではいるけど……。
はたして志乃さんの言うように、自分を放棄して、自由意思を持たない道具のように振舞えるだろうか。
それは可能なんだろうか。
「……完全には信じてないって顔だな」
「そういうわけじゃないんですけど……」
先の疑問もそうだけど、あまりに本人があっけらかんと話しているので、話の内容とのギャップについていけない。
「試してみるか?」
「……え?」
「……おい、志乃。ナイフを持て」
少し考えるような素振りを見せた後、ご主人様は志乃さんにそう命令した。
「はいー」
どこからともなく取り出したナイフは本格的なサバイバルナイフで、よく研いであるのだろうということは光沢具合で分かる。
志乃さん、そんなの持ってちゃ危ないよ……と、少し場違いなことを思った。
「何を……」
「自分の首筋に当てろ」
へ……?
って何命令してるんですか!?
「こうですかー?」
やってるし!
「ご、ご主人様……!」
まさか冗談だろうと必死に自分に言い聞かせながらも、ちょっと待って、と思わず席から立ち上がってしまった。
「切れ」
「分かりましたー」
返事を返したと思ったら、志乃さんは躊躇いなく
首筋のナイフを手前に引きはじめた。
首筋の皮はたいした抵抗も返さず、すぐに鮮血が噴き出し、ナイフを伝って志乃さんの手を赤く染める。
それでも、命令を与えられ、実行している喜びからか、その表情には笑みが浮かんでいた。
「あ……う……?」
首筋に、いや、身体中にゾワッと怖気が走った。
やってることの非日常性と本人達の日常性の落差が激しすぎて、頭がついていかない。理解が追いつかない。
そもそもこれは現実なのか。
「……ちょ、ちょっと待ってください! 分かりましたから! やめて! ……やめて!!」
一瞬、その表情に目を奪われて意識を手放してしまっていたけど、絶え間ない血の赤がすぐに私を呼び戻し、一拍遅れて慌てて制止の声を上げた。
最後のほうはあまりの事態に少し涙声になってしまった。
「……志乃。止めろ」
「はいー」
それを聞いてかご主人様も新たな命令を下し、志乃さんも最初同様素直にその命令を受け入れる。
「っ、はぁぁ……」
一気に脱力して、ストンと椅子に腰を落とす。
「悪かったな、志乃。痛むか?」
「あ、ん……」
未だドクドクと流れ出す赤色を塞ぐように、ご主人様の唇が志乃さんの首筋に密着する。
「あふ……」
やがて口の中に溜まったそれを、口移しで志乃さんに流し込む。
それはきっと治療という意味では何の意味もない行為。
だけど、二人の間においては大切な行為。
漠然とそんなことを思った。
真っ赤に染まったご主人様の口元と、光悦とした表情で震える志乃さんの口元がやけに艶かしく、背徳的で、そんな場合じゃないのに、私の身体はゾクゾクと目を奪われるほどの絶景を見たときように震えていた。
「はふぅ……少しだけー。でも、マスターが謝ることないですよー? 志乃の全てはマスターの物ですからー」
「……」
ここまで、自分を相手に委ねることが出来るんだ。
意思を持たないんじゃない。
意思を持った上で、それすらも捧げつくしているんだ。
命令されれば命に関わる自傷行為ですらなんの躊躇いもなくやってのける忠誠心と、その土台となっている絶対的な信頼関係。
「何故……そこまで……」
「んー? そうですねー。お道具だから当然ー、というのと、やっぱり、マスターのこと大好きですしー!」
おそらく、この二人は今まで恐るべき濃度で交わりあってきたんだろう。
ただの盲目信者には持ち得ない、相手を想う気持ちがそこにはあるように感じられた。
「好きだ、から……?」
甘かった。
私だってこの人が好きだ。
何だってするつもりでいた。
でも、もっと上がいた。
顕現するベクトルは違っても、私の思う以上の愛が実際にここに存在した。
そしてそれを今この目で見ている。
その事実に私はクラクラするような衝撃を受け、己を恥じ、相手を尊敬し、同時に、激しい昂揚感に見舞われた。
「……とまぁこんな感じだ、俺と志乃の関係は。とはいえいつもこんなことをしているわけじゃないから安心しろ」
「……あ、あのっ!」
「な、なんだ?」
先ほどの呆けた私とはうって変わったものすごい気迫に、ご主人様も驚いたようだった。
でも、昂ぶった感情を抑えられない。
かっこ悪く言えば、このときの私の中には。
『私だって……やろうと思えば……』
『この子には負けない!』
といった嫉妬心や競争心が渦巻き、まるで子どものように、認められようと必死になっていた。
「わ、私にも命令してください! 何だってやります! 私だって……!」
「楓……少し落ち着け」
「で、でも……!」
私だって……!
私にも……!
私のほうが……!
落ち着くという言葉の意味さえ忘れ、視界にはご主人様しか入っていなかった。
私だって出来るんだと、証明しないと……!
「……ん!?」
思わず詰め寄ろうとしたところで、ご主人様に強引に唇を奪われた。
「んぅ……! んふぅ!? ふ……」
現金なもので、あれほど燃え上がっていた焦燥感のような昂ぶりも、ひとたびご主人様に手篭めにされるだけで甘美な昂ぶりへと姿を変える。
温もりに包まれている安心感からか、少なくとも今だけはご主人様が私を愛してくれていると実感できる優越感からか、次第に私の身体から力が抜けていく。
ほのかに伝わる鉄の味は……。
……視界が、霞む。
「……なら、ひとつ命令しよう」
やがて離れた唇からは、ご主人様の言葉が紡がれる。
抱きしめられていなければ崩れ落ちそうなほど骨抜きにされた今の私には耳朶を叩くその音はまさに甘美な調べだ。
「……はい、なんなりと……!」
「今の気持ちを忘れるな」
「……えっ」
ふわり、と頭が撫でられた。
「心配しなくても、お前の気持ちはちゃんと伝わってるさ」
「ご主人様……」
なんだか、ふわふわする。
また軽く、おでこにキスをされた。
「はい。……忘れるなんて、有り得ません」
そのまま、少しの間温もりに甘える。
「楓ちゃん、志乃とは種類が違うかなーと思ってましたけどー」
声のしたほうを振り向くと、いつの間にか首に包帯を巻いて輸血までしている志乃さんの姿があった。
気付けば床もきれいに掃除されている。
さすがだ……と言っていいのだろうか。
「……?」
「ちょっとだけ似たもの同士さんかもしれないですねー」
「志乃さん……」
私よりも小柄な志乃さんにも頭を撫でられ、なんだかこそばゆい気持ちになった。
でも、嫌な気持ちじゃなかった。
「さて。腹ごしらえもしたし、地下に降りるぞ」
甘い雰囲気を打ち切るように、妙にはっきりした声でご主人様が言う。
そうだ。
ご主人様への気持ちは、これからだって育てていける。
時間だって、たくさんある。焦ることなんかない。
まずは、目の前のことをこなしていかないと。
「地下ですか? 何故そんなところに?」
「決まっているだろう。……お前が俺のものになった証を付けてやらないとな」
「あ……」
そうやって、もっともっとこの人の望む私になっていこう。
「はい……お願いします……」
この人のモノになっていくのが、楽しみで仕方ない。
▼
そこまで大きいお屋敷には見えなかったけど、地下の入り口に辿り着くまで、結構あちらこちらと歩き回った。
「今何時くらいでしょうか?」
「ん? ……ん~、もうすぐで日付が変わるな」
「……志乃は……ふぁ……少し、眠いですー……」
騒ぐもののない夜の静かな廊下では、欠伸の声さえよく聞こえる。
「我慢しろ、志乃。あと少しだから」
先頭にある頭がえっちらおっちら左右に舟を漕ぐ様は、思わず抱きしめたくなる可愛さだ。
「志乃さん……もう休んだほうがいいんじゃ……」
おそらく普段ならもう就寝している時間なのだと思うし、なによりさっきのことを考えると今すぐにでも横になってもらいたい。
「それはダメですー。ちゃんとお仕事しないとー」
でも、本人はずっとこの調子だ。
仕事熱心……というか、役割熱心な人だ。
「ご主人様……」
「こうなるともう何を言っても聞かん。それに今から戻るより目的地のほうが近い」
「はぁ……」
それからまたしばらく歩く。
「はいー、着きましたー」
ヒョコヒョコ揺れる頭に連れられ辿り着いたのは、たくさんの部屋が並ぶ中の一室。
中は普通の客間のようで、高いホテルのようにきれいだった。
「よっ……と……!」
机をどけて、その下に敷かれている絨毯を取り除くと、そこにあるのは電子ロックに使われるボタンの列と認証用カメラ。
「マスターお願いしますー」
「ああ」
おそらくご主人様にしか開けられないのだろう。
案内役としてずっと先頭を歩いてきた志乃さんはご主人様に場所を譲る。
「……」
ピピピ、といくつかのボタンを一定間隔で打ち込み、くぼみに指を入れる。
最後に瞳をカメラに映し、シュウンと床が割れて地下へと続く階段が現れた。
「……なんだか(B級の)スパイ映画みたいです」
「……聞こえてるぞ」
「では行きましょー」
再び志乃さんを先頭に階段を下りていく。
志乃さんのやたら大きな懐中電灯と、さっき持たされた私のランタンのおかげで周囲はそれほど暗くはないけど、それでも階下を見据えるとそこには漆黒の闇が広がっている。
「踏み外すなよ」
後ろからの声に再び注意を下にやる。
「普段使う地下室は別にあるんだがな。今回使う器具はここにしかない。全部が全部あんな映画みたいなシステムを使っているわけじゃないぞ。……ったく、栄治も変なところで凝り性なんだよな……」
「はぁ……」
何故か言い訳がましく言うご主人様の言葉を聞きながら、階段をずんずん降りる。
▼
「もう着きますよー」
周りのおどろおどろしい雰囲気とは対照的なふわっとした声とともに、志乃さんの懐中電灯がその明かりを失う。
見れば、もうすぐ降りきる階段の先にはある程度のスペースが広がっていて、そこには電灯が点っているみたいだった。
私もランタンの火を落としながら、空間に足を踏み入れる。
「ここはいうなればエントランスだな。ここから各部屋へと移動できる。それぞれ調教部屋や監視部屋等いろいろあるが、まぁそれはおいおい覚えればいいだろう」
覚えるって……、私もお世話になるってことかな……。
そんな不安半分の視線の先、ご主人様は左手にあるドアの前で手のひらをかざし、開いた部屋の中へと入っていく。
「へー……」
「楓ちゃんも、ごーごーですよー」
「あ、ちょ、自分で歩けますから……!」
志乃さんに背中を押されながら、私達も後に続く。
「ん、ここは……?」
その部屋は今までの経路に比べると格段に明るいため、目を細めながら部屋の中を確認する。
「施術室……といったところか。簡単に言えば奴隷の身体をいろいろと弄るための部屋だな」
その言葉通り、部屋の中には病院の手術室を思わせるものから用途のよく分からないものまでたくさんの設備が配置されていた。
少しだけ昔の記憶を思い出す。
「じゃあそこに横になってくれ。志乃は準備の手伝いを頼む」
「わ、分かりました……」
「はいー」
これからどうなるんだろう。
不安と期待で心臓をバクバクと高鳴らせながら、部屋の中央に置かれた台座の上に横たわる。
仰向けになって四肢の力を抜くと、今更のように地下室がひんやりとしていることに気付いた。
「もうすぐだからそのまま寝るなよ」
「分かってます」
多少身体が震えているのは寒さからか感情からか。
顔を覆った手は血の気が引いて冷たくなっていて驚いた。
「よし、こんなもんか。……どうした? 緊張しているのか?」
準備を終えたのだろう、ご主人様が私の顔を覗き込む。
「していないつもりなんですけど……。身体は正直ですね」
ご主人様へと伸ばした手は相変わらず震えている。
「……じきに終わる」
ギュッとその手を握られる。
なんだかそれだけで無性に安心できた。
「さぁ、始めようか。……志乃」
「はいー」
そして、私は少しずつ変わっていく。
▼
「いろいろとやりたいことはあるが、今日のところは基本的なことしかしない。あまり一度にやっても負担が大きいだけだしな」
カチャカチャと道具を物色していたご主人様は、銀色のプレートを手に取り、志乃さんに渡す。
「そうですねー。というわけで、まずはピアッシングから始めますー」
「ピアス……ですか」
そういえば、向こうにいた頃はみんな何かしらの手を加えられていて、身体中にピアスを開けられている子が何人もいた。
なんとなく痛そうだなぁなんて他人事のように思って見ていたけど、とうとう私にも付けられてしまうんだ。
「そうですよー。やっぱり奴隷の基本ですしねー」
言いながら志乃さんはプレートから針のようなものを取り出す。
「ではいきますよー。あ、言うの忘れてましたけど、服は脱ぐか捲り上げてくださいねー」
「す、すみません。今脱ぎます」
一度膝立ちになってさっとワンピースを脱ぐ。
裸になるのに手間取るような服は着せてもらっていない。
服は近くの棚の上に置き、また仰向けに寝る。
「はいOKですー。ではまずここからいきましょー」
そういって志乃さんの指が私の乳首を弄りだす。
「ひゃっ!?」
「可愛い乳首さんですねー。でも、ちょっと大きいかもー?」
「そ、そんなこと……! あふぅ……」
その間もコリコリと刺激され続ける。
すでにある程度興奮状態にあった私の乳首は完全に勃起し、空気の流れさえ感じ取れそうなくらい敏感になっていった。
「これくらいですかねー。では開けますよー。あ、麻酔も要らないですよねー?」
「え、もう……? ちょっと……」
淡々と進んでいく作業に少し恐怖し、慌てて制止の声を上げようとしたけど……。
「……いえ、お願いします。麻酔もいいです……」
すぐにそれは甘えだと思い直し、先を促した。
「……お利口さんですねー。ちょっと消毒しますー」
乳首をガーゼで拭われる。
注射を受けるときのような匂いがした。
「ぁ……スースーします……」
淡々と進むほうが自然なんだ。
だって私は奴隷で、抵抗する権利なんかなく、いちいち伺いを立てる必要もない。
二人の優しさに甘えて、本分を忘れてはダメなんだ。
「……楓ちゃん、いい顔ですよー。……ではー」
チクリ、としたと思った瞬間。
ぷつ、というより、ブスッという感じで乳首にニードルが刺さり、肉の中を異物が通るキューッとした感覚がしたと思ったらもうニードルは乳首を貫通していた。
「ひぅ……!」
身体に、穴を開けられてる……。
ジワジワと痛みが脳に伝わってくる。
まるで胸の先が千切れてしまったようだ。
「こっちも開けてしまいますねー」
志乃さんは手早く次の準備をすると、有無を言わさず反対側の乳首も同様にブスッとニードルを貫通させる。
「ひいっ……つぅ……!」
必死に声を抑える。
口の中を噛んだのか、少し鉄の味がする。
気付けば白くなるほど拳を握り締めていたが、そんなことに構ってはいられない。
ただただ乳房の先端から来るジクジクとした痛みを堪えていた。
「ではピアス通しますよー。とりあえず初めてなんで、バーベルタイプにしておきましょー」
血をぬぐわれ、開いたばかりの穴にピアスが通っていく。
やがて、私の乳首の両側には、丸い玉が2つずつ居座った。
「あう……」
「かわいいですー! じゃあ次開けましょうかー?」
「え、あ……お、お願いします……」
志乃さん展開早過ぎます……。
でももう文句言う気もおきない。
「ではではー! 次はここですよー!」
笑いながら志乃さんに鼻中隔をつままれる。
「……ふぁい?」
「ここに鼻輪をつけて、牛さんみたいにするのですー! 惨めで醜くって、とっても可愛いですよー!」
「ひ、ひのひゃん……!?」
さっきまでの眠そうな志乃さんはすっかり消えて、場違いなほどのハイテンションだ。
笑顔でニードルを振りかざす志乃さんは、はっきり言って怖い。
「こいつ腕振るうとき何故かハイになるんだよな……」
ガシッ、とご主人様に頭を固定される。
そしてガーゼで鼻の中を拭われ、ツンとした。
「でもまぁ腕は確かだから心配するな」
「ほんなほとひったっへ……! ほれに、はなわっへ!?」
志乃さんの豹変振りもだけど、次に付ける場所が問題だった。
てっきり、その、お豆のほうに付けるもんだとばかり思っていたから、鼻輪なんて頭の中になかった。
「志乃は今あんなだが、ちゃんと予定通りにやっている。それに……興奮するだろう?」
「へ……?」
「こんなところからリングをぶら下げるんだ。ファッションなんて言い逃れできないくらい、大きくて太い奴をな」
トクン……。
あ……この感じ……なんで……?
私、期待してるの?
だって、そんなの、まるで……。
「誰が見ても一目瞭然だろうな。鼻輪なんかつけられていたら。……こいつは、家畜なんだと」
「ああ……!」
家畜だ。私、家畜になるんだ。
ご主人様に飼われる家畜。
人間ですらなくなるんだ。
想像するだけで惨めで、悲しいのに、何でこんなに心臓が高鳴ってるんだろう。
「準備OKですー! いきますよー!」
志乃さんの笑顔と共に、ニードルが迫ってくる。
思わず顔を背けようとしたけど、ご主人様にガッチリと押さえられた頭はびくともしない。
「ひっ……!」
やがてその切っ先は私の鼻中隔を捉え、チクリと感じた瞬間、一気にブツッと右から左へ貫通した。
「ひゃがあああぁあぁ……!!」
痛みもある。
けど、なによりこんなところに穴を開けられるという異常事態に、わけも分からず声が出た。
「ここもおいおい穴を広げますからねー! とりあえずはこのリングを嵌めておきますー!」
とりあえずというわりに、結構大きめなリングを鼻中隔に嵌め込まれた。
「思ったとおりよく似合ってますー! どこからどうみても家畜さんですよー!」
もの凄い違和感。
それに、想像以上の重みを感じる……。
そのリングに上唇が触れ、それが錯覚ではないと教えてくれる。
「もっとよく見せてくださいー!」
通したばかりということもあり軽くではあったけど、私に付けられたその証をくいっと引っ張られる。
「あうっ……!」
「にゃははー! かわいいですー! そのうちここにリードつけてお散歩しましょうねー!」
あああああ……。
家畜だ。家畜だ。家畜だ。
ピアスひとつでこんなに効果があるなんて……。
こんなの付けられたら、こんなところを引っ張られたら、とてもじゃないが逆らう気なんか起きない。
いやでも家畜なんだと実感する。
所有物なんだと実感する。
力が入らない。
乳首やアソコならまだ大丈夫だと思っていた。
でも、これはダメだ。
まるで心臓や命のように大事なところを握られているようで、強制的に隷属への道へ堕とされていく感じがする。
「あうぅ……」
だけど、私の身体は「お散歩」という言葉に反応し、付けられたばかりのリングを引っ張られ、衆人の中を引きずり回されているところを想像して愛液を溢れさせていた。
「ピアスはこれくらいにしときましょー! 続きはまた今度ー! 開けた穴は完治するまで消毒とかしますので、毎日私のところへ来てくださいねー!」
「……あ、はい……」
心身ともにすっかり間抜けになった顔を晒しながら、生返事をする。
「心配しなくても、治ればいろいろ弄れますからー! 大きいリングにしたり、穴をもっと広げたり、チェーンいっぱいぶら下げたりー……」
「あ、はは……」
いろいろと妄想を膨らませているのだろう志乃さんに、とりあえず愛想笑いを返しておいた。
「さて、次はこいつだ」
ご主人様が手にしたのは、金属っぽいベルト。
いや、多分これは……
「首輪、ですか……?」
状況から言って、まさか手首なんかに着けるわけもないだろう。
「そうだ。物理的に楓を俺へと繋ぎとめておくためのものだ。まぁ多分に心理的効果もあるだろうがな」
「やっぱり首輪は永遠のロマンですー!」
志乃さんの叫びはイマイチよく分からなかったけど、確かにご主人様の言うとおりだ。
首輪を着けることで生じる被支配感は計り知れない。
どんどん、私の「自由」が奪われていく……。
「これはちょっと特殊な首輪なので、着けるのに時間が掛かりますー! なので、ちょっとの間だけ眠っててくださいねー!」
「へ……? 眠って? ……あ」
「少し神経を弄るんでな。まぁ起きたら終わってる。志乃ならそんなに時間も掛からん」
神経って?
と言い返そうとしたけど、口が開く前に私の意識は麻酔によって彼方へと飛ばされていた。
▼
しばらくして、目を覚ました私の目に映ったのは、後片付けを行う志乃さんと、大きな火鉢をつついているご主人様だった。
「あ……れ……? わたし……」
「あ、起きましたー?」
むっくりと上半身を起こした私の顔を志乃さんが覗き込む。
「首輪の仮着け、終わりましたよー」
「え……? あ……ホントだ……」
首に手をやると、コツンと硬い感触が返ってきた。
それと、なんだかうなじがムズムズする。
「ん? 起きたか」
「あ、はい。……首輪、着け終わったんですよね?」
寝ている間に着けられたせいか、いまいち実感が湧かない。
「まだ仮着けだがな」
こちらに近づきながらご主人様が言う。
「あとは鍵を掛けるだけだが……その前に、志乃、説明を」
「はいー」
そういえば志乃さんのテンション普通に戻ってる?
……いや、今はそんなことはどうでもいいか。
「えとですねー……さっきも聞こえたかもしれないですけど、この首輪は楓ちゃんの神経と繋がってますー」
「ああはい、そういえばさっき少しだけ聞こえてましたけど……。その、神経と繋がってるというのは?」
首輪と神経……あまりよく分からない。
繋がってるってどういうことだろう……。
「あんまり難しいこといってもアレなんですけどー……」
犬に付けるものしか思い浮かばず首を傾げる私の顔を、いたずらっ子のように志乃さんが覗き込む。
「首輪から出てる電極を楓ちゃんの神経と合体させましたー! にゃはー!」
へ……?
言葉の意味が分からず、一瞬どころか数秒ポカンとする。
「いや、『にゃはー!』って! どうなっちゃうんですか、それ!?」
てへへーとでも言わんばかりの結果報告に不安が増大して、問い詰めるように顔を近づける。
というか重要そうなお話なのになんでそんなに軽いんですか!?
「いろいろ出来ますよー! 楓ちゃんをえっちぃ気持ちにしたり、ビリビリしたりー! 思うがままですにゃー!」
「なっ!?」
「ちょっと落ち着け志乃」
「むぎゅ」
やっぱり志乃さんまだサイコモードのままかも……。
ヒートアップしてきた志乃さんを押しのけ、ご主人様が前にでる。
「簡単に言えば、電気を流してお仕置きするのも、強制的に発情状態にするのも、その首輪を通してこのリモコンで操作できるってわけだ」
ご主人様の指に挟まれ、ヒラヒラと目の前で踊るリモコン。
「……操作?」
「そうだな……例えば」
言いながらご主人様がリモコンを操作したと思った瞬間、身体中にビリッとした衝撃が走った。
「ひゃぐっ……!」
な、何……?
突然の痛みのような刺激に、身体が跳ねる。
「とまぁこんな具合だ。今のはせいぜいマッサージ程度だから痛くはないと思うが……」
「痛くはなかったですけど……でも、でもぉ……!」
説明を受けながら、ようやくそれがどういう意味を持つものなのか理解する。
だからこそ、私は急速に不安や恐怖といった感情に押し流されそうになる。
ご主人様の言うことが確かならば、私はもういつでも電気を流されたり、無理やりエッチな気分にさせられるようになったのだ。
そう思うと、どうしようもなく怖くなってきた。
しかも、それはリモコンを通して操作されて、私の意志など関係なく玩具のように身体を弄ばれてしまう。
考えれば考えるほど不安が大きくなって、思わずご主人様の身体にしがみ付いた。
「これでお前は、このリモコンで性欲すらコントロールされる惨めな存在に成り下がったわけだ」
「う……あ……」
私の身体を受け止めながら、耳元でご主人様の声が響く。
「いつでもどこでも、ボタンひとつで絶頂に達する変態だ」
「い……やぁ……」
「粗相をすればいつでも電気がお前を襲う。最大にすれば人一人昇天させるのもたやすい威力を持っているぞ、こいつは」
「ああ……!」
怖い、……怖い、怖い!
本当の意味で、命を握られている。
玩具のような、リモコンに。
怖くて、惨めで、不安でどうしようもないのに、私の身体は、私の心の奥底にあるそれを如実に映し出す。
「……なんだ?」
私の秘部に入り込んだご主人様の指が、クチュリ、と音を立たせる。
「そんなに嬉しいのか?」
「ち、ちが……!」
何、で……っ!?
こんなの、惨めなだけなのに。
人としての尊厳を無視するような、酷い仕打ちを受けているはずなのに。
理性に反して、身体はむしろ悦びに震えている。
リモコンひとつでどうにでもなるちっぽけな存在に堕とされて、ゾクゾクと妖しい快楽が身体中を巡る。
被虐の悦びが身体を支配する。
「いやぁ……気持ちよくなんて……嬉しくなんて……!」
「……いい顔をしているぞ、楓……」
つけたばかりの鼻輪を軽く引かれ、唇を奪われる。
「はむぅっ……! んぶう……ちゅ、じゅるっ……」
「んっ……ふふ、リモコンを操作しなくても、もうドロドロだな」
「あふぅ……ごひゅいん、さまぁ……」
拒むことの出来ないその口づけに、私の理性はあっけなく陥落する。
引かれた鼻が痛かったけど、それすらも今の私には快楽のスパイスでしかない。
そう、こんなことになっても、私の身体はしっかりとそのスイッチを入れる。
それはあの場所で身に付けた浅ましい特性だった。
「さぁ、これが何か分かるか、楓?」
朦朧とした意識の中、ご主人様が取り出したものを見る。
「……ぜんまい……?」
「まぁ形は似たようなもんだ。だが、これはここに使う鍵なんだよ」
ご主人様がそのぜんまいのような鍵で私の首に嵌まった首輪をコツコツと叩く。
「今その首輪は仮着けだと言ったな。これは、その首輪を完全に装着するための鍵だ」
「完全に……」
今でも十分完成していると思うのに、これ以上どうなるのだろうか。
「そう、完全に、首輪を装着させる。つまり、この鍵を回し、抜いた瞬間、首輪はひと回り収縮し、お前の首に密着する。鍵穴も、中に埋もれる」
「だ……だめ……!」
「一生、外すことはできない」
「……ぁぁぁぁああああああ!!」
絶望を知らせる言葉が、決して大きな声じゃないはずなのに、頭の中で反響する。
一生外せない。
いっしょうはずせない。
しぬまで、このまま。
ゆっくり、言葉の意味を噛み砕き、咀嚼し、意味を落としこむ。
この首輪は、私の神経回路に侵入できて。
痛みも快楽もリモコンひとつで思うがままで。
リモコンさえあれば誰でも私を支配できて。
リモコンを持つ人なら誰であろうと私は絶対服従で。
私の一生が、他人のものになる。
「いやっ! いぐ、ひぐぅっぅううう!!」
私は想像だけで絶頂に達した。
何の刺激もなしに、ただ、被虐の悦びだけで。
ご主人様にしがみ付きながら、私は何度も身体を痙攣させていた。
気持ちが追いつかない。条件反射のような悦び方だった。
「だが、選ばせてやろう」
「ふぇ……?」
身体を震わせる中、沁み入るような低い声が続く。
顔中ベトベトにしながら、その言葉を聞く。
「この鍵を回すか否か、お前が決めるんだ」
「わたひが……」
言い渡されたのは、ある種悪魔のような提示。
自分で、決める……。
私の人生……。
一見自由なそれは、その実不自由を誘う呼び水でしかない。
「お前が、自分一人の意思で、自分のことを自分で決める。……これは、分岐点だ」
そういってご主人様が、鍵を穴へと合わせる。
「わた、わたし……」
これを回せば、一生外れる事はない。
首輪に支配される。
リモコンに弄ばれる。
「ごしゅ……じん、さま……」
何より、自分で了承した時点で、責任は自分に発生する。
少なくとも、私はそう捉えてしまう。
ならばこそ、そういう意味でも私は選択を迫られている。
受け入れるのか。
受け入れないのか。
これはその最終宣告なんだろう。
(……)
そこまで考えて、私は声に出ないよう、静かに息を吐いた。
そうだ。
……今更、何を迷うと言うのだろう。
(震えちゃだめ)
強制などされずとも、全てを捧ぐと誓ったではないか。
(伝えるんだ、ちゃんと)
そうだ。この人のために生きていくんだと。
(声を、出して)
ご主人様の、モノになる。
私は、自ら、選択する。
「回して、ください……」
……カチッ。と。
私の言葉とともに、軽く高い音が短く部屋の中響く。
「~~~~!!!!」
……いった。
そう思った瞬間、鍵が抜けた首輪は収縮を開始。
微かにあった隙間は全くなくなり、息苦しくなるほど首を締め上げる。
「……ぁ……!」
調整を終えた首輪は、カチャリ、と音がした後全く音沙汰もなくなった。
触れてみるとそれはまるで最初からそこに合わせて嵌め込んだように、私の身体の一部だと言わんばかりに、完全に嵌まっていた。
鍵を入れるような穴なんて、ない。
「ああ……あ……!」
もう、後戻りできない。
泣いても叫んでも、私の人生は今決まった。
自分が、この道を選んだんだ……。
ピチャ……ニチュ……。
自主性だけに頼る支配関係だけじゃない。
これは、強制の意も含むもの。
他人に支配されて生きていく、そんな人生を自分で選んだ。
自ら、自由を捨てた。
「あああああ……!」
どんな未来も所有者次第。
仮にご主人様が私に飽きて、リモコンを誰かに譲ったとしたら、私は望む望まざるに関わらずその人を自分の所有者として命を捧げなければならない。
ブ、ピュッ……ピチョンッ……。
自らの命運が、他人の気持ちひとつで決まってしまう危うさ。
そんな危うさにどうしようもなく心は躍り、さっきから胸がキュンキュンと締め付けられている。
身体が熱い。
「だめぇ……またイクぅっ!!」
身体はしっかりと自らのマゾ性を自覚していて、何度も何度も私を絶頂へと追いやる。
溢れ出した愛液は台座から滴り落ち、床に染みを作っていた。
「ふふ……さっきからイキどおしだな」
ご主人様の笑みが目に入る。
愛おしいものを見るような、優しい目。
自分の宝物を慈しむ、目。
「ぅ……あ……」
ゾクゾクする。
台座に座った私と、私を覗き込むその瞳。
目線の高さは同じなのに、圧倒的な高低差を見せるその立場。
ご主人様と、奴隷。
飼い主と、家畜。
所有者と、物。
ふと感じる、猛烈な違和感。
同じ、目線……?
それは、おかしくない?
ハイになった思考回路が自分の取るべき行動をはじき出す。
私の中の奴隷としての知識が、台座に座っていることを良しとせず、急いでストンと身体を床へと滑り落とさせる。
「ん? どうした?」
「いえ、あの……」
床に這いつくばり、四つんばいになってご主人様を見上げる。
見下げる主と、見上げる奴隷。
そうだ、これこそが、正しい位置。
とても落ち着く場所。
「私、奴隷で、家畜で、ただの所有物なのに、ご主人様と同じ目線で話している自分がおこがましくて……」
「ほう……別に脅したわけでもなく自分からへりくだるとは。よほど首輪が効いたようだな」
首輪……そうかもしれない。
とにかく、私は思い知ったのだ。
自分はもう、リモコンひとつに人生を左右される、ちっぽけな存在だと。
もとよりそのつもりだったけど、私の全てはご主人様の手の中なのだと。
ならば、私を生かしてくださるご主人様には、最大の敬意を払わなくてはならない。
そう思うと、いてもたってもいられなくなっていた。
想像することはできても、普段実行には移さない行為。
相手を最大限に敬い、自分をとことんまで貶める行為。
どこか自分の中で、そこまでしなくてもいいだろうとブレーキをかけてきた行為。
私にとってのそのタガを外すには、本分を思い出させるには、この首輪は十分な威力を持っていたのだろう。
「だが、嬉しい効き目だ」
じゃり、と私のほうへ向き直るご主人様。
「あ、あの……」
私の目の前には、ご主人様の脚。
黒光りする革靴。
私を止めるタガは、もうない。
「……ご主人様の靴を、舐めさせていただいてもよろしいですか?」
何とか服従の証をお見せしたい。
そう思った瞬間、自然と口が開いていた。
「……ああ、いいだろう」
「あ、ありがとうございます……!」
ああ……嬉しい……!
自分の意思を、意見を認めてもらえるのって、こんなに嬉しいことだったんだ……。
「失礼します……!」
私は無我夢中で、靴にキスをした。
精一杯の服従の気持ちを込めて。
「ちゅ……ちゅぷっ……ん……れろ……」
見上げれば、ご主人様の微笑み。
横を見れば、お姉さんのような志乃さんの笑顔。
(喜んでもらえてる……!)
それだけで、私は胸の中がいっぱいになる。
ぴちゅ……ちぅ……れろっ……。
埃っぽい地下室で、私だけが全裸で這いつくばり、惨めに靴を舐めているという状況が、私の被虐心に火をつける。
ペロペロと舌を動かしながら私の膣はブピュブピュと愛液を噴出し続け、異常な興奮状態にある私の身体はそれだけで絶頂を極めた。
「……可愛いぞ、楓」
その言葉は私の中を麻薬のように駆け巡り、まるで嬉しがっている犬のオシッコのように浅ましく体液を撒き散らす。
「次で最後だ。……志乃、準備を」
「はいー」
ご主人様がスッと足を退いたので、私も舐めるのを止め、ご主人様を見上げる。
「さぁ、ケツを向けろ。今からお前に……」
志乃さんが手渡したものを手に、ご主人様が宣言する。
「こいつで、焼印を押してやる」
「ああ……!」
さらにこの身に刻まれるご主人様の証に、私は恐怖と歓喜に震えながらご主人様にお尻を差し出す。
(焼印、だ……家畜の印……また一つ……)
志乃さんが手早く私の両手首、足首を拘束する。
「お、お願い、します……」
ふるふると震える私のお尻を足で押さえ、真っ赤に染まった焼き鏝を構えるご主人様が目に入る。
「これで最後だ。……楓、誓いを述べてみろ」
「……はい」
ご主人様の瞳を見つめ返す。
「私は、ご主人様の奴隷です。お役に立てるように精一杯尽くします。私は、ご主人様の家畜です。その慈悲により生かされる存在であることを自覚し、感謝と敬愛の念を忘れません。私は、ご主人様の所有物です。いついかなるときも、この身と心全てを捧げます」
焼き鏝の熱気が、近づいてくる。
「私、加宮楓は、白崎要様に、その生涯を捧げ隷属して生きていくことを誓います!」
「……よし! これでお前は完全に俺のモノだ!」
ジュウウウウゥウゥゥッゥウウウッ!!!!
「っがぁぁああああああぁぁああ!!!!」
(やがっ……! 焼かれでるぅううう!!)
熱そのものが私の右のお尻に押し当てられた瞬間、熱さと痛みが爆発的な勢いで身体中を駆け巡り、私は目を白黒させながら雄叫びを上げ続けた。
「がはっ……ぐぅ……ううぅ……!!」
やがて叫ぶほどの気力もなくなり、熱さも感じなくなってきた頃、私はご主人様への想いを握り締め、ようやく意識を手放した。
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