第二話『禁断の遊び』

 外に出る。
 なんてことのない行為のはずなのに、裸であるというだけで、もの凄い背徳感と、羞恥心。
 それと、身体の奥のほうから引っかかるように出てくる、高揚感。

 私、今、すごく、興奮してる……。

「はぁ……はふぅ……! お外に、出てる、よぅ……」

 カチャリ、と音がして、完全にドアが閉まる。
 震える手で鍵を掛ける。
 家の中と、外にいる私が、隔離される。
 部屋の空気も、外の空気も、一緒のはずなのに、全然違う。

「うう……」

 布切れ一枚無いだけで、すごく心許ない。
 道具袋のひもを握る手に必要以上に力が入ってることに今さら気付いた。
 ただ、すぐ後ろに扉があるせいで、いつでも戻れる、という安心感からか、どうしても心は保身的になってしまっているようだ。

 でも、怖気づいてちゃ、ダメ。
 ここからが、本番なんだから。

 自分に言い聞かせ、奮い立たせる。

「……よし」

 ひとまず塀の真下に移動しよう。
 徐々に慣れていかないと。
 それに、そこならまだ道路から私を見られる心配はないよね。
 なんて、必死に自分に言い聞かせ続ける。

「はぁ……はぁ……」

 足の裏にさわさわと芝生の感触を得ながら、家を取り囲む塀のすぐそばまで近寄っていく。
 一歩一歩が、ひどく重い。

「はぁ……はぁ……ふぅ」

 歩いているうちに、ちょっとずつ、慣れてきた、かな?
 初めはおっかなびっくりだったけど、ある程度まで離れるとなんだか吹っ切れたような気持ちになってきた。
 気持ちの大半を占めていた恐怖が徐々に薄れて、だんだんと心地よい解放感が満ちてくるようだ。
 生まれたままの姿の身体に、撫でるように吹き付けてくる風が心地良い。
 そんな感覚を感じられるくらいには余裕が戻ってきた。
思わず両手を広げて風を受け止めようかとも思ったけど、向かいの家が目に入ってやめた。

 念のため、我が家の窓を見てみる。

「……うん。まだ寝てるみたい……て、当然か」

 ついでにと見回したご近所さんも、家に明かりはついてないみたい。
 いつもだと2階の部屋に点いているところもあるけど、今日は早めに寝てしまったのかな。
 なんにしても好都合だ。

「ふぅ……」

 それが安全に繋がるわけではないけど、なんとなくホッとする。

 ……うん。
 覚悟を決めた。
 やろう。

 何度覚悟を決めるのかわからないけど。
 とにかくやろう。

「さぁ……いよいよ犬になっちゃうんだよ……私……」

 自分を煽るようにつぶやいてみる。
 とりあえず持ってきたものを、一旦降ろして……と。
 若干重量のあるそれらを袋の中からポイポイ取り出し、地面に並べる。
 その中からベルトのようなものを取り出した。
 これは、隣町のペットショップで買った、正真正銘犬用の首輪。
 薬用ノミ取りがついていると肌が荒れるらしいから、気をつけて選んだものだ。
 キラキラした可愛いのやちょっと派手なものまで、いろんな首輪があったけど、結局買ったのは真っ赤な革でできたシンプルで本格的な首輪。
 ただ選んだはいいけど、レジに持っていくのには相当な勇気が必要だった。
 もちろん店員さんが、まさか買った本人が使う、なんて思ってもいないだろうから、
 そんなにドキドキする必要もなかったんだけど……。

「ん……」

 緊張からか寒さからか、それはわからないけど、首輪を持つ手が震えてる。
 一息深呼吸をして、ちょっとだけひんやりしたそれを首に巻く。
 たったそれだけなのに、頭と心の中は不安と興奮でぐちゃぐちゃになって、それを嘲笑うかのように膝が震えてる。
 大事な場所である首を締められる事で、無意識というか先入観というか、知らず知らずのうちに、まるで思考回路が飼う者から飼われる立場のものへとリンクするようだ。

 ……首輪が巻き終わる。

「はぅ……そ、それと……」

 それと、あわせて買ったリード。
 色は地味だけど、しっかりとした素材でちょっとやそっとじゃ絶対切れない。
 それを、今装着した首輪へとしっかりと連結する。
 試しに、リードをくいっと引っ張ってみた。

「は……ふぅ」

 傍から見れば変なことやってるんだろうな、私……。
 でも、なんか、いい……。
 犬。奴隷。ペット。家畜。
 そんな言葉が頭の中を駆け巡る。
 すごい被虐感。

 ……これを他人に牽かれたら、どんな気分なんだろう。

 それは、今まで何度も考えてきたこと。

「だ、だめ、それだけは……」

 叶わぬ妄想。
 叶えてはならぬ妄想。
 それは妄想だから許されることであって。
 でもそこには、私の求めるものがありそうで。
 現実にそんなことになったら、私……。

 ……いや、今ここで深く考えるのは止めよう。

「そ、そうだ、せっかくだし……」

 誰に言い訳するでもなく、わざわざ声に出してみる。
 そうして手に入れた汚い免罪符を握り締め、私はおもむろに四つんばいになった。

「……あ……ぅ……わ、わん……わんっ」

 ゾクゾクゾクッ!
 な、なにこれなにこれ!?
 すごい!
 やっちゃいけないことをやった気分!

 自分がすごく惨めな存在になってしまった実感。
 人間から犬ころに身を堕とす魔法の言葉。

 気持ち、いい……。
 ただ、言葉に発するだけで、気持ちいい……!

「わ、わんっわん! ……わんっ!」

 ああ……犬になってる……私、犬になってる……!

 犬の鳴き声を叫ぶたび、ボロボロと何かが剥がれ、解放されていくような気持ちになる。
 これが解放感?
 それとも、背徳感?

 夜の風を感じる、裸んぼの自分が気持ちいい。
 手足に感じる、芝生の感触が気持ちいい。
 ずしりと感じる、首輪とリードの重みが気持ちいい。

 犬に成り下がった、惨めな自分が気持ちいい!

「わん! わんわんっ! わうーんっ!」

 犬になるのいいよぅ!

『オンッ! オンッ! オゥーーーン!!』

 私の鳴き声を聞いたのか、どこかの家の犬たちも遠吠えを始めた。
 負けてられない。
 おんおん鳴り響く鳴き声に負けじと、私も精一杯犬の鳴きまねを続けた。
 もう声量なんて気にしてなかった。
 今自分が裸で、深夜で、家の前にいることなど忘れていた。
 今自分が人間だなんて忘れていた。

 必死で犬を演じていた。

「わおんっ! おんっ! わおーーんっっ!」

 聞こえてるのかな、私の鳴き声。
 もしかしたら、ご近所さんにも聞かれてるかも。
 あれ、貴子ちゃんの家、ワンちゃん飼いはじめたの、って。

 だけど、違うんだよ。
 ここにいるのは、私。

 ……ううん、やっぱり違わないや。
 だってここにいるのは、わんわん鳴くだけでお股濡らしちゃってる、ただのはしたない牝犬なんだもの。

▼

「いやぁー、本当、貴子ちゃんってよくできるのねぇ」
「本当ねぇ。この間も、コンクールの賞もらってたものね。すごいわぁ」
「そ、そんなこと、ないです」
「そんなことあるわよぉ。この前のテストも、よかったんでしょう? 学年で10位以内?だったかしら。うちの子も見習ってほしいわぁ」
「い、いえ、そんな……」
「それに普段の素行も優秀。大学行くんでしょう? もちろん推薦よね?」
「は、はい、一応……」
「やっぱりね!さすが貴子ちゃん。優等生は違うわねぇ」
「ご両親も鼻高々でしょう」
「……」
「それを言えば学校だってそうでしょう。自分のところから有名大学へ生徒を送り出せるんだから」
「担任の先生も喜んでいらっしゃるでしょうね」
「……」
「もちろんわたしたちだって息子のクラスメイトに貴子ちゃんみたいな良い子がいて嬉しいわ」
「お嫁さんに来てほしいくらいね」
「そうね! うふふ」
「おほほ」
「……すみません。帰ります」

▼

「はぁ……ふぅ……」

 気付いたころには、どれくらいの時間が経っていたのだろう。
 ひとしきり犬トランス状態を楽しんだ私は、ようやく我に返った。

「あ……すごい、こんなに……」

 触ってもいないのに、滴るほどおつゆが溢れちゃってる。
 そのせいでお股がスースーして、自分が今どんなに恥ずかしい状態かが丸わかりだ。
 それと手足に感じる芝生のチクチクとした感触に、
 いやでもここがお庭なんだと再認識させられる。

「は、早く、続きしないと……」

 随分とハッスルしてしまったようだけど、大丈夫かな。
 誰にも見られてはいないはずだけど……。
 もしかしたら何人かは起こしちゃったかもしれない。
 しばらく身を潜めて様子を見ながら、なんとなくばつが悪くなって慌てて道具を漁る。

「次は……これ」

 取り出したのは、ふさふさの毛がついたアナルプラグ。
 やっぱり、犬には尻尾が必要だよね。
 なんて、本当はさらに被虐感を高めるための演出。
 ただ自分が、着けてみたい、だけ。

「一応ローション持ってきたけど……これじゃあいらないか」

 こんなにビチョビチョにしちゃって、もう。
 私って、こんなにはしたない子、だったんだ……。
 お尻の穴やプラグ自体にもそれを塗り広げ、そしてあてがう。
 プラグ、を、あふっ……入れる、だけで……んっ……声、が……。

「あ……ふぐっ! んん……!」

 はしたなく溢れたおつゆと、日頃の拡張のおかげで、尻尾プラグはたいした時間をかけずに挿入することが出来た。
 まだお尻の中の異物感には慣れないけれど、もうしばらくすれば気にはならなくなるはず。

「あは……尻尾だぁ」

 目指すものに近づいた、という観点から、『うきうき』とでも形容できそうな感情が零れ出す。
 目指す先は最低だけど、到達することのカタルシスはどんなものでも同じように用意されているのかもしれない。

 試しにふりふりとお尻を振ると、尻尾も一緒にふりふりとついてきた。
 当たり前で単純なことだけど、それがすごく新鮮で楽しい。
 それに、客観的に自分の今の姿を思い浮かべると、夕方見たミキヒコの喜ぶ様子と重なる。
 自分が今まさに犬になろうとしていることを思い出して、またすこしおつゆをこぼしてしまった。

「……ってだめだめ! 時間がなくなっちゃう」

 またトリップしてしまいそうなのを必死で堪えて、今度は開口具を取り出す。
 排水溝のような形をした、蓋もできる開口強制具だ。
 それを、髪の毛を巻き込んでゆるくならないよう、しっかりと締め込み、後ろで錠を掛けた。

「あ……はっ……は、ぁっ……」

 ごりっと口の中に押し込まれ、口を開けたままにすることを強要される。
 口が閉じれない歯がゆさと、よだれが溢れ、垂れるのを止められないもどかしさで、なんとも惨めな気持ちになる。
 それと、犬のように息をするため、あえて蓋は外したまま。
 作業に集中するため、何も考えずに次の道具を漁る。

(あ……次で最後だった……)

 残ったのは、黒光りするレザーのグローブ。
 それと、あちこちにベルトが付いた同じくレザーのサイハイロングブーツ。
 どちらも学生の私にとって少なくないお金をはたいて買ったものだ。

 そのなかから、まずはブーツを履いていく。
 膝のところに緩衝材が入ってるから、多少不格好ではある。
 サイズ的にもギリギリジャストフィットサイズなので、時間と苦労を掛けながら何とか履き終わる。
 そのあと、要所要所に備えられたベルトを締め付けた。
 ベルトがなくても結構キツキツなのでそう簡単には脱げないんだけど、ビジュアル的に……というか気分の問題だ。

「はっ……はっ……」

 開けっぱなしの口から荒い息をしつつ、両手のグローブを手に取る。
 これは、先端が指分れせずに一つの袋状となっている。
 つまり、これを嵌めてしまえば、指先を使った細かな作業が出来なくなる、ということだ。
 指が使えないとなると、当然ブーツも脱げないし首輪を外すことだってできない。
 ……家の中にさえ入れない。

「は……あ……!」

 そうなったときのことを想像して、またごぷっとおつゆが溢れた。
 鼻息を荒くしながらも、さっきの開口具の錠の鍵と勝手口の鍵を握りしめて、瀬戸際の危険へといざなうグローブをはめていく。
 こちらはブーツよりかはサイズ的に余裕があって、比較的楽にはめることができる。
 そのままだとゆるくて、指が使えなくても多少時間をかければしゅるりと脱げてしまう。
 そうしておかないとこの拘束から脱出できないから。

 で、多少ゆるくなっているグローブを固定するために、袖口にがま口の口金を改造したものがついていて、パチンと留めれば血流を妨げない程度に締め付けられ脱げなくなる仕組みだ。
 その口金も、指を使えない今の状態でも押すだけでなんとか締めたり緩めたり出来るようになっている。
 今も、不自由になった手で何度もトライして、なんとか留めることができた。

(とりあえず、これで全部……)

 もうひとつそれぞれにギミックはあるんだけど、それは後で。
 ひとまずの準備は整った。

「は……ふ」

 ブーツとグローブ、身体の先端部分は覆われているのに、肝心の隠すべきところが丸見えなのは何か変な感じだ。
 だけどそれが妙に羞恥心を刺激する。
 肌に感じる微かな冷気と共に胸の先端を尖らせ、お尻の穴はますますプラグを締め付ける。

(と、とにかく門まで行こう……!)

 リードを引きずりながら、のっしのっしと四つんばいで歩き出す。
 開口具からよだれが垂れて気持ち悪い。
 芝生を越えて、石段を乗り越え、ついに外界へと繋がる門の下まで辿り着く。

(ここから先は、本当に『外』の世界なんだ……)

 門の内側から、外の様子を窺う。
 幸いというか当然というか、真っ暗な周囲に人影は見当たらない。

 行くなら、今しかない。
 意を決し、手を外へと出す。

(家の中じゃない。お庭の中じゃない。守ってくれるもののない、本当の……)

 上半身が門をくぐる。
 同じ外でも、重さが違う。
 だんだんと重みを増す「外に出る」という行為。
 比例して増していくリスクと興奮。

 まだ取り返しの効く内側と、もう取り返しのつかない外側。
 その決定的な境目を、私は今越えようとしている。

 足が、外に……出る。

(おっぱいも、あそこも、全部丸見えなんだよ? なのに……)

 恥ずかしい。恥ずかしい。恥ずかしい。
 顔から火が出るくらい恥ずかしい。
 授業中だって、手を上げて発表することにすら緊張してしまうのに……。

(こんな……こんな変な格好までして……)

 後ろを振り返る。
 裸の背中が見えた。
 かすかに揺れる尻尾が見えた。

 門が見えた。

(でも……だって、だって……)

外に、出た。

「あぁああぅううううう~~~~……!」

 いつもの景色だ。
 いつもの景色だ。
 いつもの景色の中に、私はいる。

(恥ずかしいの、気持ちいいんだもんっ!!)

「あぅぅうぅーーーーーっっ!!」

 あああイク、イクゥッ!
 アソコも何も触ってないのにイク!
 いつも歩いてる道が目に入って。
 いつもの光景が思い出されて。
 千佳ちゃんと一緒に帰ってきたときのこと思い出して、ミキヒコの散歩をしたときのことを思い出して。

 ……今の惨めな私の姿を思い出して。

「はふぅーー! ふぅーーーっ!」

 ……でもまだ、だめ。
 まだ完成じゃない。
 荒くなる息を必死で噛み殺し、絶頂を迎え痙攣する身体を何とか支える。
 震える手足に力を込めて、四つんばいのまま、肘と膝で身体を支えて、足首を、手首を持ち上げていく。

 最後に用意したギミック。
 完全に私を無力な犬と化す危うい仕掛け。
 バチンッ!と音がして、まず右足が犠牲になった。

「あぉっ!」

 バチンッ!

 そして、左足。
 足首のベルトと、股下辺りのベルトに仕込まれたそれは、私が全力で外そうとしてギリギリ外せるレベルに調節された磁石。
 互いにひきつけあったそれらは強固に繋がり、私の両足を強制的にお尻へと密着させ、膝立ち以外を許さない。

「あぐっ!」

 それは、両腕も同じ。
 手首を肩口に近づければ、すぐに抗い難い磁力が私を襲い、両足と同じように半分に折り畳まれた。
 必然的に地面へは肘をつかなくてはならず、私は肘、膝の四点でしか立つことができなくなった。

(……すごい、ちょっとやそっとじゃビクともしない……。犬の姿を、強制されてるんだ……)

 立つこともできない。
 手を使うことも出来ない。
 ただ、四つんばいを強制され、低い視線で、犬にも劣る動きで歩き回ることだけ許される。
 そんな不自由で屈辱的な生き物に成り下がった。

(もし、誰かに見つかったら……こんな、犬のような格好で……。しゃべれないから、言い訳も出来ない。変態女って、軽蔑されて……)

 誰かに見つかれば最後、私はこの惨めな姿を晒し、この上ない生き恥をかくことになる。
 その人がいい人であればいいけど、もし悪い人だったら……。

(こんな姿じゃ、抵抗できないよね。よほど集中して力を込めないと、磁石を外すことは無理だし……。としたら、もし見つかれば私はその人に命を握られることになる……)

 犯されてしまうかもしれない。
 警察に通報されて、大勢の晒し者になるかもしれない。
 もしかしたら、野犬に襲われるかもしれない。
 最悪の場合、命が危険に晒されるかもしれない。

 いろんな事態が頭の中を巡る。
 そうなれば、私は終わる。
 私の人生、台無しになる。
 目立たずに、でもしとやかに、こつこつ積み上げてきた私の人生が、今日、ここで、崩れ去ってしまう。

 でも、ここまできてしまった。
 自分の手で、ここまで。
 もう、後戻りできない。

「あうっ、あうっ、あうぅーーーっ!」

 急に恐怖心がよみがえり、じたばたと闇雲に暴れまわった。
 だけど、発した言葉は言葉として生まれてこず、冷静さを欠いた動きでは到底磁力を引き剥がすことも出来ずに、ただただ無駄に体力を消耗しただけだった。

「あ……! あぅ! ……あふっ! ……う!」

 そしてその事実を認識し、ひとつづつ噛み砕いて飲み込んでいくうち、今の私はどうしようもなく無力で、無価値で、汚らわしい存在であることを思い知らされて、ビチャッ、ビチャッ、と愛液を道路に撒き散らしながら、イった。

 身体を突っ張らせ、それでも磁石が外れないことに一抹の不安と冷や汗を感じながら、磁石が外れないことには全てを解放する手立てすらないことを思い出しながら、それでもそれすら快楽の波に飲み込ませ、何度も何度もイった。

▼

「はっ……はっ……はっ……!」

 どれくらい時間が経ったんだろう。
 気が付いたら私は塀に寄りかかり、肩で息をしていた。
 どうやら人には見つかっていないようで、少し安心する。

(さぁ……ここまできたんだ……最後まで……。次は、お散歩だ……)

 先程までの恐怖心を、強制的に心の奥底へ沈み込ませる。
 すでに正常な判断能力なんて無かったと思う。
 寄りかかっていた身体を引き戻し、改めて四つんばいの姿勢をとる。
 肘と膝には緩衝材が入れてあるから、それほど痛みはないみたい。
 血流が悪いせいかピリピリとしびれが来るのはどうしようもないけど。

「はっ……はふっ……はっ……!」

 息を吐き、歩き出す。

 地面が、近い。
 視線が、低い。

 普段ならそうは感じられない新鮮な驚きが頭の中を満たす。
 すぐ前にいくつか小石が見えたので、それを避けた。

(あ、よだれ……垂れてる……)

 下を向くとすぐ、とろん、と長く糸が伸びる。
 でも、今の私によだれをすすったり、拭い去ったりする手段はない。
 地面にぽたぽたと歩いた道筋を残しながら、一歩一歩ゆっくりと進んでいく。

(はぁ……はぁ……まだ、これだけ……)

 少し息が上がってきちゃった。
 振り返ってみると、少し離れたところに家の門。
 大分歩いたように思ったけど、距離はそれほど進んでない。

「はぅ……あふ……ん……」

 また歩き出す。
 家を離れるほどに、身の安全を自ら手放す不安と背徳感が入り混じる。

 正直怖い。
 でも……。

 どんどんリスクの高いほうへ。
 どんどん自分という存在が消え去ってしまうほうへ。
 動きは、止まらない。

「はぁっ……はっ……はっ……!」
(息の仕方まで、犬みたい……)

 自分でそうなるように仕向けたんだけど。
 そうだと分かっていても少し胸がキュンとなった。

「はふ……うぅ……」

 一旦落ち着こうと立ち止まる。
 もう一度後ろを見れば、そこにはもう闇があるだけ。
 距離にすればそれほど離れてはいないんだろうけど、この姿からすれば結構な距離だ。
 それに暗闇で見えなくなったことで、まるで帰るべき場所を見失ってしまったかのようだ。
 今の私は、無力な漂流者でしかない。

(あ……あそこ……)

 視線を戻し、再び歩き始めていると、目の前には白い三角錐。
 煌々と灯りのついた、電柱があった。

「あ、う……んん!」

 ただの、なんの代わり映えもしない普通の電柱。
 歩いていても、風景として特別意識には入ってこないもの。
 あっさりとスルーして、先へ進むつもりだった。

 でも私は、想像してしまった。
 そして、期待してしまった。

 犬。
 散歩。
 電柱。

(あ……はぁ……)

 ふらふらと蜜に誘われる蝶のように電柱へと近寄る。
 白く輝く円の中に入り、電柱に身体を寄せた。

(ああ……やっちゃうよ……お、おしっこ……おしっこするよ……。マーキングしちゃう……犬みたいに……犬……おしっこ……)

 私は、知ってる。
 メス犬は、足を上げておしっこなんかしない。
 メス犬は、かがみこんでおしっこをするんだ。

 ……でも、でも、そういう問題じゃない。
 どうせやるなら、恥ずかしくて、屈辱的なほうが、いい。

(右足……上げて……ああ、ふらふらするよぅ……身体硬いなぁ……。お股スースーする……ん、出そう……おしっこ……犬の、おしっこ……)

 尿道に意識を集中して、そっと力を抜いていく。

(ああ、出る……! 出ちゃうっ、おしっこ、出る! 出るよぅ!)

「あうぅぅ~ん!!」

 ピシャーーッ!
 ジョ、ジョボジョボジョボ……。

 おしっこがコンクリートに跳ね返る音を聞きながら、ビクン、ビクンと放尿の快楽に身体が脈打つ。

 おしっこきもちいい!
 お外で、犬みたいにするおしっこきもちいいよぅ!

 外灯のついた電柱の下で、オス犬のように片足上げて。
 真っ暗闇の中、外灯に照らされて、ライトアップされて。
 丸見えだ。晒し者だ。
 通りがかった人には、よく見えるはずだ。
 私がはしたなくおしっこをしている姿が。
 そして、見られれば、おしまいだ。

 なのに、やめられない。
 おしっこは止まらない。

(早くしないと、早く終わらないと見つかっちゃうかもしれないのにぃ……! でも、きもちいいよぅ……晒し者になるの、きもちいい……!)

 人に見つかる危険のある野外で、しかもこんな格好でおしっこをするなんて。
 そのことに関して幾ばくかの羞恥心と罪悪感が生まれてくるけど、そんなものが吹き飛んでしまうくらいに、このときの私は高揚していた。

 やがて、ジョロッ、と何度か噴き出した後、放尿は終わった。
 けど出し終わった後も、排尿の快感に浸りながらしばらくその場に立ち尽くした。
 煌々と照らされた外灯の下で、誰かに見つかる危険性は格段に高いのに。
 そうなったときのことを考えるだけで、どうしようもなく興奮してしまって、動けなかった。
 外灯の光のように頭が真っ白になって、窮屈な姿勢のまま、触ることも出来ない性器に冷たい風を感じる。

「お……おふ……」

 だめ。
 早く行かないと。
 こんなところで立ち止まってたらどうなることか。

 そんなことが次々と頭の中を駆け巡る。
 でもそれは駆け巡るだけで、実際のところ身体はひとつも警告に耳を貸そうとはしなかった。
 それどころか私は更なる刺激を求めて、今し方マーキングを施した、微かに湯気の昇る電柱の根元のほうへ顔を向けた。

(ああ……臭い……これが私の臭い……ちゃんと、マーキングできた……。あは……なんだかちょっと、うれし……)

 ちゃんと染み付いたおしっこの臭いを嗅ぎながら、また一歩一人前の犬に近づいたな、と思うと、心が少しウキウキした。

 どんどん制御が効かなくなっていってる気がするけど、そんなことはもう今更関係ないよね。
 そうやって逐一自分の行為を正当化しながら、深夜の散歩を続ける。

▼

 だんだんとこの状況に慣れてきて、
 不安に思っていた分の思考スペースに余裕が生まれる。
 どうやってこの状況を楽しもうか、とかそんなことまで考え始める。

 というわけで、とりあえず普通に散歩を楽しんでみる。
 おっかなびっくり動かしていた手足から余分な緊張が消え、こころなしか堂々とした歩行が出来るようになった。
 慣れない歩行だけにすぐに手足が疲れてしまって、たびたび塀にもたれて休憩を挟まなくちゃいけなかったけど。

「ふあ……」

 ふと見上げれば、空には満天の星空……。
 ってわけにはいかないけど、それでもキレイな星空には違いない。
 お月様もよく見えて、しばし足を止めて空に見とれる。
 地面すれすれの低位置から、はるか上空の空を見上げる。
 意味は違うけれども、なんとなく月とすっぽんという言葉を思い出した。

「はふ……はぅ……」

 普通のお散歩(格好は普通じゃないけど)もいいけれど、せっかく犬になったんだから、と、私は電柱を見つけるたびにマーキングをしていく。

「あ、う……! ふっ……は……」

 でも、さっき出したばかりのおしっこが出てくるわけはない。
 なので、私はさっきからずっと溢れっぱなしの、お股のおつゆを擦りつける事にした。
 ある意味、おしっこよりも屈辱的な行為。
 不自由な身体を使って、一生懸命腰を振って、電柱にお股をこすりつける。
 触れ合うたびにクチュクチュと粘っこい音がして、それでも枯れることのない愛液と私のはしたなさに呆れてしまう。

(だれか……こんなことしてる私を叱ってくれないかなぁ……)

 もちろんそんなことは現実には無理だ。
 この状況で叱られるということは、つまりは他人に知られるということ。
 きっと『金沢貴子』という人格がズタズタに切り裂かれてしまう。
 それは避けなければいけないことのはずだ。

 だけど、変な気分になるにつれ、妄想も過激さを増していく。
 このマーキングの作業も、しなさい、って、命令されてからしてみたい。
 そして、上手くできたら褒めて欲しい。
 よくできたねって、立派なわんちゃんだねって。
 それから、お散歩も、このリードを引っ張ってもらってしてみたい。
 私が勝手に進まないように。勝手に休まないように。
 勝手なことをしたら、お仕置きをしてもらって。
 人間のように難しく考えなくたっていいんだよって、言って。
 誰かが、私を、飼って……。

「はんんん~~~っ!!」

 漏れ出した声を必死で抑える。
 ビクビクッと身体を震わせ、想像だけで短く一回イった。

 周りに合わせて『良い子』でいること、強制されることを嫌っていたはずなのに。
 他人に隷属し、いいように弄ばれることを望んでいる。
 それは一見、矛盾しているようにも思える。
 だけど大事なことは、そこに『本当の自分』がいるかどうかなんだ。

 『良い子』でいる自分は、作られた自分。
 今の自分は、剥き出しの自分。

 作られた自分が褒められたって、何も嬉しくない。
 でも剥き出しの自分が褒められたら……。

 ああ、なんだ。

 私、ちゃんと向き合ってくれる人が欲しかったんだ。

▼

 夢うつつの状態で、町内を歩き回る。
 友達のやっちゃんや、いつもお菓子をくれる日向じぃ。
 たまに勉強を見てもらう詩織さんの家の前を通る。
 ただ通るだけじゃなくて、一旦門の前で家を見上げるようにして立ち止まる。
 そしてもし、やっちゃんや、じぃや、詩織さんが窓を開けたら、玄関を開けたら、と想像して、門の前の地面に愛液の水溜りを作ってから立ち去った。

 証拠は朝になれば乾いてなくなってしまうだろうけど、そんなことをしている自分が良識ある人間とは思えなくて、惨めという名の快楽をさらに上積みした。

「はぅ……はっ……はっ……!」

 やがて町内で唯一の公園へと辿り着く。
 私の家と学校の、ちょうど真ん中辺りの距離にある公園だ。
 遊具などが設けられた開けっ広げの敷地、というわけではなく、どちらかといえば林の中に整備した道路をひいた様な自然公園だ。
 いつもならここでみんなとおしゃべりしたり、カップルがいたり、ランニングをしている人がいたりと、割と活気のある場所だけれど、さすがに深夜では人っ子一人見当たらない。
 飲み潰れたサラリーマンやホームレスの人がいるかもと心配していたけど、どうやら杞憂で終わりそうだ。

「あふ……」

 公園に入って左手に設置してある、木組みのベンチの横に寄り添ってみる。
 こうすると、公園の真ん中に通った一本の道を見渡すことが出来る。

(はぁ……さすがに疲れちゃった……)

 ずっと四つんばいの、しかも肘・膝四点のみでの歩行は、いくら休み休みだったとはいえ相当きつい。
 道路のコンクリートは歩行の衝撃を吸収してくれないしいくら緩衝材があって地面との接点が保護されていても、手足全体が痛んできては意味が無い。

 もう思いっきり手足を伸ばしたい。
 うんと伸びをして、後ろの芝生にごろんって、大の字になって寝転びたい。

 ……でも、できない。
 歩行中は忘れることの出来た、発狂しそうなほどのもどかしさ。
 折り畳まれたままの、手足の不自由さ。
 今日の目的地に着いたことでホッとして、一息ついた瞬間に猛烈にぶり返してくる。

(一休みだし……ちょっとだけ、外しても……。い……ぃ……ん! んんん~~~!!)

 この姿勢での歩行は、想像以上にきつかった。
 正直、往きだけでこれほど疲れるなんて思ってなかった。
 帰りはもう普通に歩いて帰ることにしようか。
 そんなことを思いながら、渾身の力を込めて、少しだけ楽な姿勢を貪ろうと磁石を外しにかかる。

 ……でも。

「んふーっ!? んん~~!!」
(うそ、外れ……ない……!)

 どれだけ力を込めても、両手足を拘束する強力な磁石は一向に外れる気配を見せない。
 顔が赤くなるほどに踏ん張ってみても、結果は同じだった。

(まさか、調節ミス!? ……ううん、そんなはずない……あ、そうか)

 焦りでパニックに陥る前に、単純な答えに辿り着いた。
 これだけこんな辛い格好で歩いてきたのだ。
 手足も疲労しているはず。
 元気なときにようやく外せた磁力を、今の状態で跳ね返せるはずはないのだ。

(なーんだ。そうよね、調節はちゃんとしてあるはずだし……。って、ちょっと待って、それって……)

 ようやく安堵しかけて、ふと引っ掛かりを覚える。
 疲労した今は外すことは出来ない。だから身体を休めてから外せばいい。
 それはわかったけど……。

 だとすると、外せるのはいつになるの?

(ようするに、疲れが取れて全力が出せるくらい回復しないと無理なんだから、それまでここでしばらく待たないと……ってこと? それとも、少し休んだ後、すぐに家の庭まで帰って、そこで待つか……か)

 どちらにしても、今すぐ外せるわけじゃない。
 そう思うと不安が押し寄せてきて、じわりと嫌な汗が出てくる。

(でも、大丈夫、まだ、大丈夫だよ……)

 けど、まだ……まだ最悪の事態には至っていない。
 そう自分に言い聞かせる。
 思ったより外れづらくて焦ったけど、生還の方法はまだ予定通り残っている……はずだ。

 人目につく可能性を考えたら、ここの茂みにでも隠れて回復を待って、拘束を解いてから一目散に帰ったほうがいいような気もする。
 でも、磁石を外すほど回復するとなると、どれだけ時間が掛かるか分からない。
 こんなところで夜明けを迎えてしまっては、それこそ最悪の状況だ。
 そう考えると、休み休みでも早い段階でお家に帰るほうがいいのかもしれない。
 両親は朝早く出て行くから、それさえやり過ごせば拘束を解くための時間はいくらでもあるし。
 そんな思考がぐるぐると頭の中を走り回る。

 ……でも、どっちにしても恥ずかしい格好で帰ることには違いないよね、今更だけど。
 こんな隠すべきところを隠さないあらわな姿では、四つん這いだろうが二足歩行だろうが大して差もない気がする。

(とりあえず休もう……。このままじゃ疲れててどっちの方法でも家に帰れないよ……)

 まだ想定の範囲内だということを頭に叩き込み、冷静になったところで、ひとまず今大事なのは休息することだと己に言い聞かせる。
 とはいえこのままの格好だと休むに休めないので、後ろ足だけ地面に落とし、正座のような格好をする。

「はぁ……」

 不自由な我が身に思わずため息が出る。
 トランス状態なら最高の快楽スパイス。
 シラフだと最低の不快スパイスだ。

(丸裸でおっぱい丸出しで公園に正座して。シラフも何もないよね……)

「おふっ」

 少し自嘲的な笑いが出た。
 それからしばらく、何とはなしに空を見たり樹を見たりしながら、ため息をつく。

「……うぅ」

 ブルブルっと身体が震えた。
 どうやら歩き回って発生した体内の熱が逃げてしまったようで、少し肌寒い。

(さすがに夜中だもんね……)

 私は縮こまるようにして身体を丸め、肘を地面につけた。
 地面がすぐ目の前に来る。
 こんな格好をしていると、まるで、というより、飼い主に寄り添ってお座り・伏せをしている犬そのものに見える気がする。
 また少し犬の気分が戻ってきた。

「あぷっ……おぅ……」

 ああもう、さっきからよだれがうっとうしい。
 こんなことなら蓋を閉めておけばよかったかもしれない。
 でも、こうしてよだれをたらしてハァハァ呼吸するのが犬っぽい、って、こんな風にしたのは自分だから、自業自得だ。

 ついでだから、思い切り犬っぽく呼吸してみようか。

「ハァッ……ハッ……ハッ……!」

 腹式呼吸で、勢いよく息を吸って、吐いて。
 お腹も元気よく動かす。
 まだ白い息が出る季節でもないから、出るのは音だけだ。

(興奮したミキヒコもこんなだったかな……?)

 少しキュンとなって、おつゆが溢れるのがわかった。

「ハッ……ハッ……!」

 よだれはもう気にしないでおこう。
 こころなしか身体がぽかぽかしてきたような気がする。
 いい……すごく犬っぽい……。
 こんな公園の真ん中で、発情してるみたいに、息を荒げてる。
 ベンチの横で、飼い主を待つように。

(ああ……これだけでイケそう……!)

 直接刺激が出来ないのが残念だけど、軽くならこのままでもイケそうだ。
 そんな自分がすごく惨めで、そのことがさらに私のマゾ心に火をつける。
 せめてもの刺激にとお尻の尻尾プラグを締め付け、じわ~っとした快感を拾いながら、尻尾を振るようにお尻を振る。
 あ……いい……お尻……気持ちいい……。
 本当に、イきそう……!

「ハッ! ハッ! ハッ!」

(い……ぃ……い、く……あっ! イク……ぅ!)

「あれ?」

 ……え?

 今、私、声、出して……。

「何してるの、そんな格好で……」

 ずいっと、顔を覗きこまれた。
 知らない、女性。
 途端、私の頭の中には一つの単語だけが浮かんだ。

 ……見つかった。

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