第五話『破壊と創造の舞』

 施設を案内されている途中、所長の女性がふと立ち止まった。
「あそこ、分かる?」

 指し示された方向を見る。そこは建物の裏側、陽も当たらない影の部分。山と敷地を区分するフェンスと、建物の間のスペース。空調の室外機や資材の箱がいくつか置かれている以外は、特別何もない。鬱陶しく思う程度には雑草も茂り、用事がなければ誰も立ち入らないような場所だった。

「近くで見れば分かるわ」

 促されるがまま近づく。よく見ると、長方形の箱が奥に向け幾つも並べられていた。女性の意図が分からず、訝しみながら観察する。
 私程度ならすっぽり収まってしまいそうな大きさ。色は建物よりやや濃いグレー。蓋がないところを見るに、上下が半分に分かれるタイプなのだろう。その証拠に、箱の中央には横にぐるりと線を引いたような細いくぼみがあり、一定間隔で錠付きの蝶番が掛けられていた。
 全体的に汚れが目立ち、天井部には枯れ葉が積もっている。結構な期間放置されているように見えた。

「……」

 何か備品でも入っているのだろうか。でもそれを私に、しかも外側だけを見せる意味が分からない。
 怪訝に思いながら、しかし女性がその場を動かないので、観察を続ける他ない。楽しげにこちらを見つめる様は、早く答えを言いたくてうずうずしているクイズ出題者のようだった。

「……」

 そうして幾らか眺めた後。
 引っ付くくらい顔を近づけて、ようやく私は手掛かりを得た。

 まず気付いたのは『音』。
 それは耳を澄まさなければ聞こえないほどの小さなものだったけど。風とは違う、短い間隔で「こふっ」と抜けるような音が確かに聞こえた。

 次いで箱の側面に空いた小さな『穴』。音は、そこからしているように思えた。
 何故こんなところから。それに、どうして……。
 思いを巡らせた私は、不幸にもあることに思い至り、慌てて他の箱にも目を遣る。

「……っ!?」

 まさか、そんな……。
 立ち上がり、隣の箱を確認する。その隣も、その隣も。そして残りの全ての箱に同じように穴が空いているのを確認して。

 ……戦慄した。

「ふふ。あなたの想像したとおりよ。この中にはヒトイヌがいるの。一日二日じゃないわ。ずっとよ。こんな誰も来ない物陰で、『みんな仲良くひとりぼっち』してるわけ。まぁそれができるのも……」

 信じられなかった。
 ヒトイヌのまま、この中に閉じ込められるということもだけど。その状態のまま、何日も放置されているなんて。
 震える手で箱に触れる。こびりついた汚れからして、長期間というのもおそらく誇張じゃない。聞いてもいないのに難しい言葉で生命維持装置の仕組みを語る女性を見て、理解する。

 そういう調教なのだ。そういう場所なのだ、ここは。必要とあらば、本当に放ったらかしにする。何もない箱の中で、何日も。
 そうして溺れていくのを待つのだろう。ヒトイヌという存在が、全身に染み渡っていくまで。

「……でまぁ、懲罰の子もいるんだけど、大半は『訓練』中なの。他人事じゃないわよ。ちゃんとあなたの調教プログラムにも組み込まれているからね」

 しゃがみこんだ足に力が入らなくて、立ち上がれない。理性を支配するこの感情は、きっと絶望だ。すぐに腰も抜けて、ぺたりとその場にへたり込んだ。

「さて、これで一通り代表的なものを見てもらったかしらね。まぁこんな感じであなたはヒトイヌになる。……頑張ってね。いい子にしてれば殺処分は免れるんだから」

 寄りかかった箱からは、相変わらず「こふ……こふ……」と断続的に音が聞こえる。胸がグッと苦しくなる。数ミリか、数センチか。板一枚隔てた先にいるであろう『先輩』を思い出す。さっきまで見てきたヒトイヌが、この中に閉じ込められているのを想像する。
 それが未来の私の姿だと、信じたくなかった。

「人の法は、人でなくなったヒトイヌまでは裁けない。人であったあなたは死に、ヒトイヌとして生まれ変わる。言葉にすればそれだけのことよ。そうすればあなたは生きられる。その手助けをするのが、私たちの愛」

 それは、到底理解も納得もできないことだった。
 けど、そんなことは関係なかった。私の理解や納得など、何の価値もないのだと、すぐに悟った。

 どうやって逃げればいい?
 どうすれば助かる?
 どうしてこんなことに?

 どれだけ考えても、答えなどなかった。
 ただ、今まで目にした惨状が、これから先、確実に私に襲いかかるということ。それだけは、とても分かりやすい答えとして用意されていた。

「従順でいる限り、私たちはあなたの味方よ」

 誰からも見捨てられた人間が、どれだけ弱い存在なのか。
 私はそのときになってようやく学んだ。

▼

 箱がある。人一人がすっぽり入ってしまいそうな箱。いつか見た箱。
 コンテナと言ってもいいかもしれない。貨物用のそれと比べれば小さなものだけど、姿形は似ている。物を入れるという用途も同じ。
 ただ違うのは、物を運ぶためではなく、躾に使われるということ。

 建物裏の整列した光景がフラッシュバックする。
 『交尾箱』と呼ばれるこの箱は、おそらく全てのヒトイヌたちにとって恐怖の対象だ。

「ルキナ~」
「はぁ……はぁ……あ、う」

 調教師であるアキさんにとっては見下ろす程度の高さ。四足の私にとっては少し見上げる高さ。
 そんな箱が、アキさんの手によって開けられる。お菓子の缶のように、中央から半分に分かれる。私にとっては、まさにパンドラの箱だ。
 それを虚ろに捉えながら、私は熱っぽい溜息をつく。発生源は底冷えするような恐怖であり、ぐちゃぐちゃに捻じ曲がった期待だった。

 日中の厳しい調教。与えられる大量の媚薬入りの餌。生殺しのご褒美。
 常に発情しているように躾けられた身体。思考。
 何もしなくても息は荒く艶を帯び、全身を苛む火照りはいつまでも消えない。
 もはや取り繕う余裕もない。ただめちゃくちゃに、オナニーに耽りたい。ヴァギナに拳を突っ込み掻き回し、ペニスを痛いほど擦り上げて射精したい。それはどんなに気持ちいいことだろう。

「ふ……うぅ……っ」

 でも、できない。この疼きは決して解消されない。解消できないように管理されている。
 ヒトイヌという形へとガチガチに拘束され押さえ込まれて、快楽を貪るという自由すら与えられない。
 だからこそ、これから起こることを想像して、理性と身体が相反する感情を抱く。

 嫌だ。怖い。やめてほしい。
 だけど、だけど……だけど……っ。

 この狂いそうなもどかしさを解消できるのは、目の前のこの箱しか、ない。

「よっ……と」

 後ろから抱えるように持ち上げられる。まるでぬいぐるみのように。
 常に小さく締め固められるヒトイヌという姿。加えて徹底した食事管理と厳しい調教。元々小柄だった私の身体は、以前よりさらに10kgほども軽くなった。
 今では小学生の体躯と変わらない。形もコンパクトだから、抱き上げるのは楽だと思う。ただ、こんな形で痩せたくはなかった。

「……っ」

 浮き上がった世界から、箱の中を見下ろす。
 中は空っぽ……ではなく、もっこりと底が盛り上がっている。その形はある意味見慣れた形。
 犬だ。伏せた犬の形を模し、デフォルメされた立体的な底。

「ふ……んしょっ!」

 アキさんの気合一閃、箱の中へと収められる。押し込めば沈む程度には柔らかいけど、物を固定する程度には硬度のある床が、ヒトイヌの身体を受け止める。
 四隅に設けられた円柱状のくぼみ。まるで工具箱に工具をしまうように、くり貫かれたそのスペースへぴたりと足が嵌め込まれる。両肘、両膝。元々自由に動かないけど、嵌まり込んだ四足は完全に動かせなくなる。

「ひあああうっ……!」

 箱の中で四足。その状態で底の立体模型(そういえばアキさんはモモと呼んでいた)が私の身体を受け止めている。
 私からすれば、抱きしめているような形。それは犬の姿をしているから、つまりは犬を背中から抱いている状態。のしかかっているといったほうが正しいかもしれない。
 上に乗って遊ぶ、動物の形をした公園の遊具をふと思い出した。

「ふぁ……! んああああ!」

 それだけならよかった。伏せた犬、モモの背中に抱きつく格好。それはいい。けど、問題は私の股間だった。
 普段からお腹につくほど勃起し続けることを義務付けられているペニスは、今このときも硬く張り詰めている。それは本来なら行き場がなく、のしかかったモモのお尻辺りで押し潰されるはずだ。
 だけど、そうはなっていない。嵌め込まれたのは、手足だけじゃないから。
 私の下で伏せているモモに備え付けられている、犬の膣、を再現したオナホール。そこに『挿入』する。狭く、キツく、滑り気のある疑似粘膜に、今にも暴発しそうな発情ペニスを突っ込む。そうして固定されるのだ。
 思わず嬌声を上げたのはそのせいだった。

「は……あ……! あ……ぁああああ!」

 全身が熱くなる。蕩けそうになる。その快楽に。その惨めさに。
 常に発情し、勃起させ続けることを強要され、でも果てることは許されない生殺しのペニスを、満を持して犬の膣にねじ込む愉悦。
 動かなくても、吸い付くようにペニスを包む人工膣。どういう仕組みか人の体温より少し高い温度が保たれ、分泌された潤滑液は粘つきながらペニスにまとわりつく。僅かに腰を動かしただけでぬちゃりと卑猥な音を響かせる。

「ふ……ぅ、はふ……ひ……っ」

 生えてから誰にも挿入したことのないペニス。私の童貞は、犬の、モモの人工膣で喪失した。
 モモ以外に経験がないから分からないけど、恐ろしく気持ちいい。あまりの快楽に腰が引けそうになる。媚薬のせいかもしれない。人工膣自体がよくできているのかもしれない。でもそんなことがどうでもよくなるくらい気持ちいい。

「あ、ひっ……! あ、あ!」

 私は無意識に腰を振っていた。かろうじて動く腰が、更なる快楽を求めて前後にグライドし始める。もっと気持ちよくなりたくて。我慢させられた悦楽を取り返したくて。貪るように人工膣を犯す。
 それは我慢できない衝動だった。下にあるものが何か思い出しても、もう止まらなかった。

「んぅ……ひ! いいぃ……っ!」

 犬の模型を抱いて、必死に腰を振る姿を客観視して、眩暈がする。
 なんて浅ましい姿だろう。なんて滑稽な姿だろう。
 それを背徳感と呼んでもいいのだろうか。およそ人だった時の価値観からすれば、蔑み、嫌悪されるヒトデナシの姿。それが、私だった。
 私は今、雌犬を犯しているのだ。

「あらあら~。ルキナったらお盛んね~」
「はっ……あ、はっ……あっ!」
「まぁそのための交尾箱だしね~。ルキナ、ちゃんとこっち見て~」

 息を荒げ、一心不乱に腰を振る私はまさに交尾中の犬と同じだった。『交尾する』こと以外の動作をできないように封じられて、誘導されるがままにその『交尾する』という選択肢を選び続ける。それがどれだけみっともなく、笑われてしまうくらい愚かな行為だとしても。もはや私には止められなかった。
 決して満たされない不自由の連続というのは、どんなに深く心に刻まれた自尊心でさえも、たやすく崩壊させてしまう。今更そんなことを思う。

「うふふ~」
「ふ……ぐ、うあ……っ! あ、あああ……!」

 私は泣いていた。
 あまりの快楽に。その惨めさに。
 それでもなお腰を振ることを止めずに、くしゃくしゃに歪んだ視界にアキさんの姿を捉える。

「さ~て、準備しましょうか~」

 いくら袋小路でもがいていても、現実は私を置いて進んでいく。

 ここからは、私をこの箱に閉じ込めておくための処置だ。
 トレイの上に用意された、いくつかの道具。アキさんはその中から経鼻用のスパイラルチューブを手に取り、滅菌パックから取り出す。そしてシリンジで空気を注入し先端のカフの収縮を確認。慣れた手つきでチューブを曲げながら、先端にゼリーを馴染ませる。
 何度か見てきた、気管挿管の準備。少しだけ意識が鮮明になる。

「はい、ちょっとだけ我慢~」
「お……え、ぐっ!? げえ……! かひっ! げほっ! が……ふ、ん、ん……!」

 細い棒状のもので何度か鼻穴を馴染ませた後、右の鼻からチューブが差し込まれる。
 感じる違和感。不快感。喉奥を通る異物感。鼻がツンとする。惚けて油断していたせいか、必要以上にむせてしまった。

「口開けて~」

 開いた口にスコープを突っ込まれ、鉤爪のように曲がった先端が喉に入ってくる。それはモニタがついていて、中の様子が見えるんだそうだ。
 目標を確認したのかチューブはスルスルと下っていって、やがて先端が声門を突破したところで手が止まった。激しい咳。嘔吐感。さっきまでとは違う涙が零れた。

「よしよし~」

 私の頭を軽く撫でながら、アキさんはスコープを抜き取り、シリンジで空気を注入する。気管内でカフが膨らみ、固定され抜けなくなる。これで私から声と呼吸の自由がなくなった。

「次はこれね~」

 今度は左の鼻にもチューブを入れられる。さっきのものより細く長い。今度はスコープも使わずどんどん入っていく。でも不快感は相変わらずで、思わず顔をしかめる。

「唾飲み込んで~」
「……! ……っ!」

 指示された嚥下に合わせるように下へ。ある程度入ると嘔吐反射はマシになった。しばらくすると入れ終わったのか、「偉かったわね~」という言葉を聞いて人心地つく。
 これからのことを思えば安堵なんてしていられないけど。快楽で馬鹿になった頭では、目先の苦痛から逃れることしか考えられなかった。

「これでルキナが窒息や餓死することはないわ~。気絶しても、死にたくなっても、生きるのに必要なものはこの箱から送られ続けるから~。最近の機械はすごいわね~」

 アキさんはのんきにとんでもないことを言いながら、私の鼻から延びる両方のチューブを一纏めにした。そして箱から延びるチューブとそれぞれを連結させて、さらに動かないようにテープで留めていく。
 多分、箱自体に呼吸用と食事用の機械が内蔵されているのだと思う。部屋の隅に積んであったカートリッジはきっとそういうこと。強制的に酸素と栄養を与え続け、残量が減ってきたらそれを交換するのだ。
 機械的な生命維持。まるで私自身も箱の部品の一つになったような感覚だった。

「もう一回お口開けてね~」

 もしかしたら。あの日見た箱たちの、呼吸音だと思っていたものは、機械の動作音だったのかもしれない。
 そんなことを考えながら、指示通り口を開ける。

「……、……っ!? ~~~!」

 押し込まれたのは、犬のペニスを模したディルドー。口腔内を埋め尽くすほどのシリコンの塊が、治まりかけていた嘔吐感を再発させる。

「……っ……、…………!」

 男性と付き合ったことはないし、やったこともないけど、知識としては知っているフェラチオ。それはこんな感じなのだろうか。こんなにも強引で、無味乾燥として、無力なものなのだろうか。
 吐き出そうともがく声も、既にない。まるで内側から拘束されていくようだった。

「エグイわね~これ。形は本物そっくりで、でも大きさはぴったりルキナのお口サイズ~……よりちょっと大きいかも~?」

 開いた口が閉じられない。顎が軋むほどの圧迫感。なのに、それほど抵抗もなくズルズルと侵入してくる。潤滑剤でも塗されているのだろうか。シリコンのペニスが柔軟に形を変えながら、チューブを巻き込まないように喉奥までごりごりと侵入してきて、喉全体が限界まで拡張されていく。
 歯が使えれば噛んで抵抗することもできたかもしれないけど、生憎マウスピースを装着されているので受け入れるがままだ。まぁ噛めたところで文字通り歯が立つとは思えないけど。

「……っ!? ……! ……っ!」

 胃まで届くんじゃないかと思うほど食道を犯され、嘔吐反射と涙が止まらない。侵入が完了したところで、口の中にはボールのような『こぶ』が居座る。犬のペニスはこぶがあると聞いたことがあるから、それも再現されているんだろう。
 本来は膣道に栓をして精液を漏らさないようにするその器官が、今はボールギャグのように私の口を塞ぐ。

「ふふ、ルキナの喉、首輪を外して見てみたいわ~。きっとぼっこり膨れてるわよね~」

 絶え間ないえづき。永遠に解放されない嘔吐感。息ができないのに窒息しない恐怖。このままでも栄養を補給できるという絶望感。
 生きるのに問題はないということはつまり、外す必要がないという宣告だった。
 何とか吐き出そうと狂ったようにえづく喉。それを無駄な努力と嘲笑うように、押し込まれたディルドーはびくともしない。
 そして、今でも抜くことができないのに、その上からさらに革があてがわれる。その上からビニールテープでぐるぐると巻かれ、固定された。

「はい、目を閉じて~」

 私は日常的に全頭マスクを被せられている。耳はあらかじめ入れられた無線型のイヤフォンが機能を代行していて、露出しているのは口と鼻と、かろうじて目だけだった。
 でもさっきの処置で鼻はチューブで埋まり、口は犬のペニスで塞がれた。そして今、目も塞がれる。指示通り閉じた瞼の上に何か柔らかいものが押し当てられ、口と同じようにビニールテープで固定され、さらにアイマスクを装着される。瞼越しに見える明かりもない。完全な暗闇。

「……、……っ!?」

 数秒だけ呼吸が苦しくなった。パニックになる間もなく、さらに圧迫感が増える。
 全頭マスクの上から全頭マスクを被せられたのだと分かった。増し締めされ、ますます頭の居場所が分からなくなる。苦しくなったのは、チューブを繋ぎ直したからだろうか。

「力抜いてね~。ほら、交尾はいったんストップ~」

 視覚を取り上げられ、身動きも取れない今、イヤフォンから聞こえるアキさんの声だけが私の情報源だ。ストップという単語が耳に入り、その意味を考える。
 本来なら考える必要もないこと。交尾はストップ、と言っているのだから、腰を振るのを止めればいい。だけど今の私は快楽を貪ることで頭がいっぱいで、馬鹿になっていて。言葉を理解するのにも時間がかかる。

「……む~。こら」
「……っ!?」

 それを不服従と取られたのだろう。懲罰用の電撃は文字通り心臓が止まりそうな衝撃だった。
 ドギースーツの至る所に仕込まれた電極から、いくつかあるレベルの中でも上位の強さのそれが私の身体を襲う。思わず上げた悲鳴はしかし声帯を震わせることもなく、ただ自分の中だけで反響する。

「後でいくらでもさせてあげるから、今は『待て』よ~」

 少しだけ冷静になった頭にアキさんの声。命令に反応して身体が反射的に止まる。
 途端に自分が恥ずかしくなった。いくらそう仕向けられているとはいえ、人前で、馬鹿みたいに腰を振って交尾オナニーをしていたのだ。それも犬の人工膣を使って。

「……」

 もはや言い訳できないくらい堕とされている。自分でもそう感じる。
 さっきまで苦しいと思っていたのに、数秒後にはもう膣にペニスを突っ込むことしか考えていない。逆らう気なんかとうになくなって。与えられる歪んだ悦楽に溺れる。
 なのに、未だに私は自分を恥じている。こんな状況にある自分がひどく惨めで背徳的で。
 つまりそれは、まだ自分を捨てていないということなのか。ぐちゃぐちゃの頭では判断する力もない。

「よいしょっと~」

 大人しくなった私の股間がアキさんにまさぐられる。私の身体の中で唯一露出している、膣と肛門。その中から、尿道と肛門にぬるりとしたものが塗られる。
 きっと弛緩薬の入ったローションだ。何度か使われたことがあるから覚えていた。そしてそれが使われたとき、何をされるかも。

「……っ!」

 尿道管がめりめりと広げられる、ツンとした痛み。尿道プラグが膀胱内に侵入し、先端のバルーンが膨らみ固定される。
 肛門にも、ごつごつとしたプラグが侵入する。裂けるほど太くはないけど、弛緩していないと入らないような太さ。ツボ押し棒のそれのような突起が、密着した腸壁を圧迫しながら奥へと進んでいく。
 その突起が腸壁を隔ててちょうど子宮口に来たあたりで、私は声にならない悲鳴を上げて身体を痙攣させた。

「ここね~」

 懲罰用とはまた違う電流が全身を襲う。下腹部を中心にビリビリと痺れが止まらない。それは決して痛いわけじゃなく、むしろ気持ち良過ぎるから故のつらさだった。
 前に戯れで弄られたポルチオ性感を、延々と刺激され続けている感覚。腸壁越しに圧迫されているだけなのでもどかしく、でも無視するには強すぎる刺激。思わず暴れ回りたくなるような生殺し。

「いい子にしてたら、動かしてあげるかも~」

 崖の上で片足立ちをしているような、不安定で落ち着きのない状態。
 そんな私の心の内を知ってか知らずか、作業は続く。肛門を内と外の両側から挟むようにしてバルーンが膨らみ、肛門も尿道と同じように固定される。腸に爆弾を抱え込んだまま、封印されてしまった。

「前にも使ったから分かると思うけど~。うんちは一日一回浣腸するからちゃんと出すのよ~」

 ちゃんとと言われても、どのみち排泄の自由は私にない。浣腸され、出ていくのを待つだけだから。それにここに来てから今まで、一度だってまともにトイレで用を足したことなんかない。それも、もう慣れてしまったけど。

 ちなみに、プラグをしていると本来はうんちをだせないはずだけど、このプラグは排出口があるから構造的に出すことができる。
 ただ肝心のその排出口が細いから、浣腸して液状化していないと出てこない。それに少しずつしか出ないから、いつまでも腹痛に襲われ続ける。
 それでも出させてもらえるだけマシなのかもしれない。浣腸も苦しいけど、便秘も苦しいから。

「ふぅ、おしまい~」

 それはともかく、これで排泄器官にそれぞれプラグが埋め込まれた。今までは家畜のように管理されていたけど、今回はより機械的に、事務的に管理される。自分の意思で道化を演じるのもつらいけど、自分の意思を挟む余地もなく支配されるのも、それはそれで反抗心を削られる。

「……っ」

 そこまで考えて、思考が止まる。
 ……何で私は『それ』を捨てないのだろう。

 心のエアスポットでふと考える。
 それがあるからつらいのに。それがあるから苦しいのに。
 でも、心のどこかでそれを大事に抱きしめてるのだ。それを捨ててしまったら、私が私じゃなくなってしまうような気がして。
 今更『私』を保ったところで、面白可笑しく破壊されるだけだというのに。

「ルキナ、またね~」

 最後に、分かれた箱のもう半分が、蓋のように覆いかぶさってくる気配がする。
 この上半分にも犬を模した立体(アキさんはピン太と呼んでいた)が備え付けられていて、それはまるでさっきの私がモモにしたように、背中にのしかかってぴたりと嵌り込む形になっている。

 下にいるのは雌犬だけど、上にいるのは雄犬だ。ということはつまりペニスがあるということで、それは箱の内側へと向かって屹立していた。
 それが収まる場所は一つしかない。私の膣だった。

「~~~っ!」

 犬特有の形をしたペニスが。口の中に押し込まれているディルドーと同じ形状のものが。ズルリと私の膣に侵入してくる。
 思わず嬌声を上げる。けど、すでに声は出ないし、誰にも聞こえない。常に発情している私の身体は、抵抗もなく簡単にペニスを受け入れた。

 慣れた形。馴染んだ形。覚えた形。
 条件反射のように、きゅっきゅと膣が脈動して、それを食い締め歓迎する。
 ここに来て少しした頃、泣き叫ぶ私の処女を奪ったそれ。私の生涯で唯一のセックス相手のそれ。とても長い時間、私を慰めていたそれを。
 もはや専用ケースとなった私の膣で、受け止めるのだ。

「っ! ……! ……!」

 気持ちいい気持ちいい気持ちいい!
 ペニスから伝わる雄の快感とはまた違う、本質的な雌の快感。モモの犬膣と同じように温められたペニスは、その弾力も含めまるで本物のように感じられた。
 そうして犬のペニスに犯される快感を覚え始めたところで、結合部を起点にくの字を閉じるように上半分が降ろされていく。
 訪れる圧迫感。犬の形をした天井部が私の身体を包む。
 中央部は私の身体がきっちり収まるようにくり貫かれていて、下と合わさると本当に隙間なく封じ込められる。

「……!」

 やがて完全に箱が閉じられたようだった。外の気配が薄れたように感じる。
 といっても、この状況ではどの感覚も頼りにはならないけど。

 確かなのは、下の犬を抱き、上から犬に抱かれながら、この箱に閉じ込められたということ。身動きも取れず、いつ解放されるかもわからない。人としての自由をことごとく剥奪された状態で、苦痛に満ちた快楽を貪る時間を無為に過ごす。
 隔離された暗闇の中で、私はそうして熟成されていくのだ。

「くぅ……う……」
「はっはっ……」

 いつの間にか聞こえなくなったアキさんの声の代わりに、録音された犬の声が流れてくる。
 大人しくも熱っぽく、荒い息遣い。
 私は、その声を知っていた。

「あうぅ~ん」
「……、はふ……ふっ」

 これは、犬たちが交尾をしているときの声だ。
 別にそれらを聞き分けられるほど犬に精通しているわけじゃない。ただ、以前参考資料として何度も見せられた、交尾中を撮影したビデオの音声そのままだった。
 目も見えず、身体も動かせない。何もない世界の中で、いつか見た犬の交尾の風景だけが脳内で再生される。知らず、腰が止まっていた。

「わうん!」

 すると、威嚇するような雄犬の鳴き声が響く。それを聴いて、私は慌てて交尾を再開した。
 まるで休んでいる私を叱責するようだった。偶然だろうけど、そうとしか思えないタイミングだった。

 どうせ、今の私にはこれしかできない。これしか許されていない。
 手も足も身体も、ピクリとも動けないけど。腰回りだけは少しだけ空間が空いている。交尾をするためだけに空けられている。だから腰を振ることだけはできる。
 それだけが、私の世界の全てだった。

「……! ……!」

 これこそが『交尾箱』のミソであり存在意義なんだろう。
 犬を犯すこと。犬に犯されること。犬と交尾すること。それを身体に、心に覚え込ませること。それ以外を破壊すること。
 それが『交尾箱』と言われる理由なのだ、きっと。

「……! ……!」

 馬鹿らしいと思う。そんな単純なものじゃない。人間は。私は。
 ちょっと閉じ込められるだけで。そんなお遊び程度で。心なんて、そう簡単に……。
 必死に積み上げようとした『嘘』は、いとも容易く崩れ去ってしまう。

 入れば分かる。強がりは、せいぜい最初の数時間だけだ。五感を封じられ、何もできない、何もない時間がただ過ぎていくというのは、想像以上の苦痛だ。
 人は刺激がないと生きていけない。精神がおかしくなる。そんな極限状態の中にあっては、自尊心も尊厳もない。

「……! ……!」

 だから、目の前の快楽に溺れるのは当然のことなのだ。それを知っているからこそ、私の無意識な部分が躊躇しなかった。

 ぐぷり、と腰を押し込む。ペニスがずぷずぷと犬の膣に吸い込まれていく。
 温かい。気持ちいい。たったそれだけで、腰が溶けてなくなってしまいそう。不自由で幸せな快感が脳を支配する。

 腰を持ち上げる。ぐちゃ、と犬膣が名残惜し気にへばりつく音が聞こえてきそうなほどの密着。散々ペニスを扱き上げて、ようやく抜ける。
 喪失感。でも代わりに、今度は後ろから犬のペニスが私の膣を抉り込んでいく。充足感。痺れるような快感が身体を支配する。

「……! ……!」

 決して休まることのない交尾連鎖。
 通常時の姿勢、腰が真ん中にある状態では、私のペニスが雌犬の膣に、雄犬のペニスが私の膣に、どちらも七割ほど入っている状態になる。だから抜け落ちることがない。
 そして、どこに移動しようとも、私は必ず雌犬を犯し、雄犬に犯され続けている。
 違うのはどちらが深く刺さっているかだけ。

「……! ……!」

 これは交尾だ。相手は人間でもなければ、本物の犬ですらない。無機物相手の交尾。
 ただ、その質感だけを再現された交尾道具で、私は交尾の味を覚え、溺れ、身に刻んでいく。

 交尾はこんなにも気持ちがいい。
 雌犬を犯すのも。雄犬に犯されるのも。

 そうして、人間相手の性行為を知らない私の常識が、犬のそれで塗り固められていく。

「……っ! ……っ!」

 例えば今、晴れて自由の身になって、社会に復帰したとしても。
 その姿を見れば、鳴き声を聴けばきっと思い出す。
 必死に交尾の練習をする今のことを。
 刻み込まれた快楽の味を。
 それはもう一生忘れることはない。誰ともセックスをしたことがないのに、犬との交尾ばかり上手になってしまった。

 今の私はきっと、犬に対して発情する。

「~~~っ!」

 それはすごく怖いことのはずだ。
 そうなってしまった私は、一体何者なんだろう。人と愛し合うことをせず、犬と愛し合うようになってしまったら。ただでさえふたなりとして悪魔の子と忌み嫌われているのに。
 そのくせ犬にもなりきれない半端ものだ。姿かたち、心を似せたところで、所詮犬になんてなれはしない。

 だったら私は『何』なのだろう。
 一体私は……。

「……! ……」

 ふたなりとなって人の社会から弾かれて。かといって犬の社会に入っていけるはずもない。どこにも居場所がない自分がひどく不安定に思えて、そこから逃げたくて、ただ逃げるように快楽で頭を満たす。

 この箱は天国であり地獄だった。
 何もしなくていい。食事も排泄も、蔑む視線や感情に耐えることも。
 だけど、何もしてはならない。自分を正常な人間だと錯覚することも。

 浮遊感すら覚えるガチガチの拘束の中で、肉体は快楽に溶けて見失う。そうして剥き出しになった精神と、嫌でも向き合うことになる。そこで私は、私に追い詰められていく。

「……」

 いつの間にか犬の声が小さくなっていた。
 代わりに聴こえてくる、ヒトイヌの『心得』。
 施設入所初日からずっと言い聞かせられてきた、ヒトイヌとしての心構えや所作、守るべき事柄の朗読。犬の発情声をBGMに、それがドロドロの脳に流れ込んでくる。

 『ヒトイヌ』。その単語がやけに響く。初めの頃は嫌悪感すら抱いていたのに。今ではもう親近感すら覚える。もはや唯一の逃げ道にも見えてしまう。どこまでも居場所を失った私に用意された、最後の希望。甘露な劇薬。

 つらい。苦しい。楽になりたい。逃げてしまいたい。でも本当はそれ以上に、自分を求めてほしい。自分の居場所がほしい。
 あの家を思い出す。周囲に認められる妹。期待に応えられなかった私。あの家で私は不自由だった。
 どうしてだろう。ヒトイヌの調教を受ける今のほうが圧倒的に不自由なはずなのに。あの頃よりマシに思えてしまうのは。
 脳裏に浮かんでは消える、これまでの調教風景。何一つ自由にはならないけど、それでも褒めてもらえた。認めてもらえた。自分はいていいんだと。私を私として見てくれた。あの家はそれすらなかった。
 分かっている。そんなものは、戦略的に与えられる精神調教の一環でしかないのだと。邪魔な過去の破壊でしかないのだと。

「……っ!」

 それでももう、それに縋るしかないじゃない!
 どんなに惨めで浅ましくて哀れだろうと、自分を見失うのは、どんなことより、怖いんだから……!

「……! ……!」

 交尾を再開する。快楽は嘘をつかない。裏切らない。それを餌に誘導されれば、そこから逃げることなんてできやしない。
 これは、そういう調教だ。自由を、意思を、尊厳を奪い、誰かにとって都合のいい形に作りかえる。それを達成するための工場のようなものだ。

 長期間の呼吸制御、排泄管理、厳重な拘束によって、肉体を完全に支配して。精神を徹底的に破壊して。持ち主がいなくなってまっさらになったそれに、調教と洗脳と社会的暴力で新たな存在へと上書きする。
 それを何度も何度も。
 何度も、何度も。

 交尾箱はその集大成だ。身体の存在を見失うほどの拘束の中で、調教内容を反芻させる。仕組まれた快楽という罠に飛びつかせ、自己問答を誘導する。
 入れておくだけで、勝手に対象が壊れて再構築される。そんな悪魔の箱に、もう何度も入れられている。
 その度に調教は進化して。深化して。
 もう自分の意思ではどうにもならないほどに、『ヒトイヌ』が刻み込まれている。

「……っ」

 ……もう、やめよう。これ以上はつらいだけ。ずっと耐えてきた『私』が、とうとう根を上げる。どうしてか涙が溢れて止まらない。
 つらいのは、いつまでも折れない自分のせいだ。駄目だと分かってはいても、そんな考えがどうしても拭えない。

 与えられるがまま、生きればいいじゃない。
 悩みを生み出す自由なんか取り上げてもらって。
 生殺与奪権すら明け渡して。
 誰にも求められない瑠希奈ではなく。受け入れてくれる人がいる、ルキナとして。
 求められるがまま、ヒトイヌという檻の中で。
 数少ない許されたものだけを大事にして。

 そうすれば、少なくとも悩んで苦しむことはないのだから。

「……~~~っ!」

 そうして、狭い世界の中で細々と生きられればいい。
 きっとそれが、今の私が得られる最大級の幸せなのだ。

 ボロボロと理性が砕け散るのを俯瞰で見ながら、私は声にならない『なきごえ』を上げた。

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