第十二話『吐露』

「早い話が、ビビっちゃったのよね。あなたの底の深さに。初めの出会いもそうだけど、あたしの言う事をことごとく受け入れて、どんな辱めでも逃げずにスッとこなして。果ては人生棒に振るようなことも了承して、あまつさえそのことを真面目に考え、取り組み、悩み、覚悟して。……その真剣さに、圧倒されたの」
「真剣さ……」
「それと、あたし自身の問題。独占欲……所有欲っていうのかな? あたしの場合、今回みたいに可愛い女の子を手元に置いておきたいっていう気持ちがあって」
「私は別に可愛くはないと思うんですけど……」
「注目するところが違うわきぃちゃん。……で、被支配願望の子と出会って、実際に欲が満たされるでしょ? そうすると、決まって最後には相手から愛想をつかされる。早い話が振られちゃうのよね」
「な、何でですか?」
「まぁ直接的な原因は本人に聞かないと分からないけど、十中八九、幻滅しちゃうんだと思うわ。あたしというご主人様に。それが深い関係になればなるほど」
「はぁ……」
「基本的に臆病だからね、あたし。だから、一度仲良くなって、手放したくないと思ったら、今度は、相手に嫌われたくない、っていう気持ちが、強くなって」
「……」
「相手の様子を窺うようになっちゃうの。おかしいでしょ? 自分が主人のくせに、ペットの顔色窺ってるの。放したくないなら、他に手段もある。それこそ、虜にするほど調教して、離れたくても離れられなくすればいい。相手の子だって、どちらかといえばそうされることを望んでいた」
「……でも、できなかったんですね」
「うん。怖くなっちゃうの。最後の最後で。一丁前に主人面して、経験豊富を装って、全てを支配するとか煽って、いざそのときになると、常識人の自分が現れて邪魔するの。『それ以上やってもいいの?』って。やってることがことだけにね。行き過ぎたプレイになっていないか、とか」
「優しさ、とは違うんですか」
「優しさならそもそもこんなことせず普通に愛してあげるか、相手の望むままに欲望を満たしてあげるか、じゃない? あたしはそのどちらでもない。変態と言われても、やっぱりこういう関係で繋がっていたい。でも、望む、望まれる主人にはなりきれない。……じれったい、まどろっこしい女よね」
「そんな……」
「覚悟を強要して、その実、自分が覚悟できていない。そんなの、お笑い草にもならないでしょ。結局そこにいるのは、嫌われるのが怖い臆病者。二人が望んだ『主人』になれない半端者。これじゃ、逃げられるのも無理ないでしょ? しかも、それを引き止める勇気もない」
「じゃあ、今までのお姉さまは……?」
「他人相手なら、どれだけだって強気で接することが出来るから。どれだけ嫌われたってかまわない、そう思えるうちは、ね。だからあなたにだって『リスクの少ない』主人を演じてた。でも、大切な人相手だと話が違ってくる」
「お姉さま……」
「あなたは、もの凄いスピードで、あたしの喉元へ来た。この辺りで諦めるかな、と思っても、どんどん先に進んじゃう。だから、時間の問題だと思ってた。あなたがあたしの『大切な人』のなかに入ってしまうのも。あなたがあたしの『覚悟の限界』を超えてしまうのも」
「……」
「あたし、あなたを失うのが怖い。あなたに嫌われるのが怖い。あなたに及ばないのが怖い。あなたの、望むことを、……いえ、裏切ってしまうことが怖い。本当は、こんな思い前の子で最後にしようって思ってた。こんな主人としても人としても失格なあたしが、これ以上自分のわがままで誰かを傷つけることは許されないって」
「……」
「でも、あなたを見たときに、どうしても自分を抑えられなかった。もしかしたら、もしかしたらって、そう思ったら、気がついたらあなたに声をかけてた。何度も何度も思い描いて作り上げてきた、理想の主人像で。そしたらあなたは、あたしが出会った今までで一番波長の合う子で。ここまでやってきて、そしてここ数日、考え込んで気づいたの。ああ、もうきぃちゃんは、『そんなところ』まで来てたんだって。昨日だって、部屋にあなたがいると思うと全然眠れなくて、柄にもなくこんな朝早くに目が覚めて。……だからこそ、取り返しがつくのは、今しかないと、思って」
「…………」
「だから、もう一度聞く。正直に答えて。……。きぃちゃん。……。…………帰りたい?」
「……」

 私は……。
 知らなかった。気付かなかった。
 理解しようとしなかった。

 与えてもらうことしか考えなくて。
 そこに抑えられた感情があることに。

 マスターが完璧な存在ではないことに。
 所詮はただの人間にしか過ぎないことに。

 どんな立場であろうと、それ相応の覚悟が必要なのだと。

「……」

 笑顔を伝う雫を見つめて。
 震える息を吸い込んで。

 伝えなきゃ。
 きっとひとつしかない答えを。

 答えた。

「……帰りたい、です」

▼

 わかっていたのに。
 きぃちゃんの放った一言は、明確にあたしの心を抉った。

「……帰らせて、下さい」

 それなりに、経験は積んできた。
 何人もの女の子や、時には男の子と、こういった関係を持った。
 どれも、抱きしめたくなる思い出。
 でも、どれも、同じ終わり方をする。

「そう……そう……よね……」

 当然だった。
 あたしは、卑怯者だったから。
 本当の自分を見せない、架空のキャラクターだったから。
 彼女らを、自分自身さえも、裏切り続けたんだから。

「ちょっとまってて、今鍵開けるから」

 鍵を持つ手が震える。
 情けない。
 ……でも、あたしにはお似合いだ。
 昨日、意気揚々と着けた両手のグローブを外しながら、泣きたくなるほどの滑稽さがあたしの心の奥を掻き乱す。

「服、そこのクローゼットから好きなの選んで」
「……ありがとうございます」

 すっとあたしから離れるきぃちゃんの身体。
 激しい喪失感が、この身を包む。

 ……。
 あーあ。

 なんでいつもこうなっちゃうかなぁ……。

 なんで……。

「あの……」

 着替え終わったきぃちゃんが、おずおずと話しかけてくる。
 あ、誰かからもらったまま一度も袖を通してないワンピースだ。
 誰だっけなぁ……。
 子供っぽいからって敬遠してたけど、
 きぃちゃんが着るとすごく似合ってるな……。

「私……帰りますね……」
「…………うん。ごめんね、なんか、変な感じになっちゃって」
「いえ……」

 いつかはこういう日が来ると、なんて、ありきたりだけど、そう思っていた。
 自分の掌から零れ落ちようとするきぃちゃんを、感情的に引き止められない自分が苛立たしかった。
 結局、何に対しても真剣になれないあたしが、身の丈以上の真剣を手にすることなど土台無理な話だったのだ。

「でも、その前に……」
「……ん?」

 へたり込むといってもいい座り方のあたしの横に、きぃちゃんがちょこんと座り込む。
 きちんと正座しているあたりがきぃちゃんらしくて、それが少し笑えて、胸がちくちくと痛んだ。

「あの……」
「どうしたの?」
「……いえ」

 変にまどろっこしくためらうきぃちゃんに、あたしも少し姿勢を正す。

 この子はなんでこんなに真っ直ぐなんだろう。
 そんなことを思いながら、小さくてかわいらしいその口が言葉を紡ぐのを静かに待った。

「帰る前に、今度は私の話、少しだけ聞いてくれませんか」

 未練がましいあたしには願ってもない話だ。
 いや、逆に傷口を広げるだけか。
 ……でも、もう関係ない。
 あたしは「続けて」とアイコンタクトを送る。

「さっきの話聞いてて思いました。お姉さまって、すごく真面目で真剣なんですね」
「……え?」

 思わず生返事が漏れた。
 今最も縁遠いと思っていた言葉を、あたしの耳が拾ったからだ。

「そんなこと……」
「ただ、自分の思う真剣とベクトルが違ってて、気がつかなかったんじゃないかって。だって、真剣じゃなきゃ、そこまで思いつめるほど悩まないですよね?」
「…………!」

 あたしが息を飲むのも構わず、きぃちゃんは続ける。

「私はただ、お姉さまが好きで、……あ、えっと、いつの間にか好きになってたんですけど……。一緒にいたら楽しいだろうなって、自分もこんな変な趣味あるし、理解してくれる人がいるだけでとても幸せで、もしどっちも手に入るのなら、それはとてもありがたいことで」

 ひとつひとつ、確認するように思いを吐き出すきぃちゃんが、どうしようもなく愛しくて、眩しくて。

「私は、人生なんて好きに生きればいいと思ってます。まだ社会に生きたことはないけれど、思うとおりの人生が送れない人がいる、そのことだって知っているつもりです。そのなかで『こうありたい』と思ったことを貫きながら、それに人生を費やせるなら、それはそれでいいことなんじゃないかって思うんです。それが他人から見れば後ろ指さされる姿であっても、きっと私は幸せを噛み締めながら生きていけます」

 苦しい。もどかしい。
 理由の分からない感情が沸々と体を巡る。
 でもきっとそれは、わかってる感情。

 ああ……まだ、あたし……。

「だって私、どうしようもなくマゾですし」

 最後におどけてみせたその表情は、今のあたしにはできないもので。

「きぃちゃん……」
「初めは好奇心から始めたことですけど、こうしてお姉さまと出会えて、自分に素直になれる道が見つかって、とても満ち足りた気分になれました。ずっと、この道を歩いていきたいって、思えるほど」
「……」
「でも、少しでもお姉さまが悲しい顔をするなら、そこまでして我を通す勇気は、私にはないです」
「きぃ……」
「だから、帰ります。……いえ、逃げます。……お姉さまが悪いんですよ。飼い犬を、ちゃんと繋いでおかないから」
「あ……」

 だめだ。
 頭の処理が、追いつかない。
 目の奥がチカチカする。
 心臓の鼓動がすごい。
 全身が熱い。

 だめだ。
 これはなんていう感情?
 どうしようもなく、どこもかしこも掻き毟りたくなる。

 本当に?

 寂しそうな笑顔が脇を通り過ぎて。

 あたしは……。
 あたしは…………。

「……それじゃ」
「…………だめっ!!」
「きゃ……っ!?」

 ガタッ!
 と、棚と床が悲鳴をあげる。

 何も考えつかなかった。
 どうすればいいかなんてわからなかった。
 いままでこんなことなかった。
 こんなにどうしようもない気持ちになったことなんて。

「あ……お、ね……」

 だから、身体は感情を優先した。

『失いたくない』

 幾度となく思ってきたはずなのに。
 でもいつも押さえ込んできたはずなのに。
 そしてそのたびに後悔してきたはずなのに。

 今初めてあたしは『この場面』で、他人への気遣いよりも自分の思いを尊重した。

 強く、強く、『二人』を抱きしめた。

「押し倒……す、なん……て、結構、情熱的な……ところも、あるんですね」

 きぃちゃんが、驚いた顔をする。

「……自分でもびっくりしてる。今も頭の中真っ白で、何も考えられないもの」

 あたしも、驚いた顔をする。

「私も、びっくり……してます。こんな、ふうに、強引なお姉さま、……初めて」

 きぃちゃんが、苦笑って、笑う。

「でも、こうせずには……いられないの。苦しい? ごめんね……でも、離したくない。もう、絶対……。だってあたしは、本当に……あなたのことが、……あなたのことを、愛しているんだもの」

 あたしも、苦笑って、泣く。

「……苦しくなんて、ありません。ただ、嬉しいだけです。私も、そういうお姉さまが、大好きなんですから」

 きぃちゃんが、笑って。

「よかった……」

 一粒、一粒と、頬を雫が伝った。

 あとから思えば、なんとも恥ずかしいひとときだったかもしれない。
 でもあたしにとっては、すごく大切な時間。

 時刻は2つの針が一番上でひとつに重なる頃。
 一羽だったスズメは、いつの間にか八羽にまで増えていた。

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