第四話『ぬいぐるみ』

「冬華~。ちょっと来て~」
「わん! ……って、違った。はいは~い」

 シンク周りの掃除が終わるのを見計らって、冬華を呼ぶ。
 わたしの声に返事をしながら、冬華がリビングまでやってくる。
 とてとてと、少しおぼつかない足取り。だけどそれがまたかわいい。

 それに、『わん』だって。冬華、前の調教の癖、まだ抜けてないんだ。
 今は犬さんじゃなくていいよって言ってるのに。でもそんなところもかわいい。

 あと、冬華が掃除してるのは、命令じゃない。
 冬華が自分でやりたいって言ってくれた。
 「実質ヒモだしこれくらいは、ね」だって。わたしは別にいいのに。

「どったの」
「うん。次の調教。準備できたから」

 調教、という言葉で、冬華の表情が一瞬だけ固まった。

 いつもの、と言えるくらい馴染んだやり取り。その度に冬華は同じような表情をする。
 冬華が言うには、いくら『関係』に慣れても、『行為』は緊張するんだって。
 多分冬華は真面目なんだと思う。

「……で、次は何をすればいいの?」
「え~と、冬華がすることはあんまりない、かな」
「んん? ん~……、調教なのよね? なのにすることがないって。……なぞなぞ?」
「違うよ。ただ冬華に何かしてもらうようなのじゃないってこと」

 私の言葉により一層頭を悩ませる冬華。やっぱり真面目だ。
 冬華は他人に与える印象に反して理屈で物事を考えるタイプ。だから仕方ないのかも。
 きっとほかの調教も、冬華なりにいっぱい考えて、噛み砕いて、飲み込んでくれてるはず。

 そのことがわたしは嬉しい。
 だって、それだけ真剣に向き合ってくれてるってことだもの。

 そんな冬華だから、わたしは好きになった。一緒にいたいと思えた。
 そんな冬華だから、わたしは怖くなった。離れたくなかった。失いたくなかった。

「準備するから、冬華、裸になって」
「もう裸だけどね。エプロン一枚着けてるだけだし。これ思ったより恥ずかしいんだから」

 すっかり抵抗のなくなった命令。冬華は特にまごつくことなくエプロンを外す。
 扇情的な冬華の裸エプロン姿。それが見られなくなるのは惜しいけれど。
 おふざけから始まって、いつの間にか定着したそれ。冬華も何だかんだで着けてくれてた。

 冬華の胸。お腹。あそこ。隠れていたところがわたしの前に晒される。
 慣れたとはいえ、じっと見つめられると恥ずかしいらしい。頬を染める冬華がかわいい。
 でも冬華はスタイルがいいから、そこまで恥ずかしいこともないとわたしは思う。
 むしろ子供っぽい身体のわたしのほうが、冬華に見られるたび卑屈な思いを抱く。

「で、どうするの? 何もしなくていいって……。もしかして、このままずっと立ってろとか」
「違う違う。でも、そうだね。何も『できない』って言ったほうがいいかも」

 でも、だからこそ、わたしは冬華を求めるのかも。
 スタイルに限らず、精神的にも、考え方も、いろんな部分がわたしと違って。
 そのどれもがわたしには羨ましく思えて、輝いて見えて、……何より、救われて。
 わたしが冬華を求める思いは、日に日に強くなっていったから。

「今回は、これ」
「何、これ。シート? ……というか薄っ」
「それちょっと面白いシートなの。で……あとはこれ」
「面白い? 何だろ……。それとこっちはまた何というか、アフロ? 毛むくじゃらな」
「それは見たまんまだよ。アフロじゃないけど。毛っていうのは合ってる」
「うっすいシートに毛? ……だめだ、よく分かんない」
「あはは。まぁ普通はそうかも」

 わたしが冬華を求める気持ち。それが強くなればなるほど。
 不安も恐怖も愛しさも、みんなみんな強くなっていって。
 もう我慢できない。わたしは、冬華を、自分のものにする。

「今回は、これを使って冬華にぬいぐるみになってもらうの」

▼

 今日までの下準備は時間をかけて少しずつ。
 臆病に慎重に。それはまるで冬華との関係構築のようで。

 そういえば、初めてお尻にプラグを入れた時の冬華の焦りようったらなかった。
 もちろん最初は細身のものだったけれど、それでも異物感がすごかったみたい。

「ちょ、あ、あっ! で、でちゃう! でちゃうって!」
「出てないよ、大丈夫。そういう神経に触ってるだけだから。ほら、力抜いて」
「は、ひっ……ひ……っ!」

 急に弄り回すと腸を傷付けちゃうから、ゆっくりゆっくり。
 たっぷりのローションと時間をかけて、冬華のお尻の穴をほぐした。

 始めてから数回は慣れない刺激に身体が硬直することが多かった冬華。
 それでも五回、六回と回数を重ねるうち、騒ぐこともなくなって。
 括約筋の抵抗も弱まっていって。
 いつだったか、「冬華のお尻、わたしのために改造されてるんだよ」って言ったら、冬華は顔を真っ赤にして、「……じゃあがんばる」って言ってくれた。
 わたしは鼻血を出した。

 排泄するとき以外、お尻にプラグを刺したままの生活。
 少しおぼつかない足取りも愛嬌。
 そんな感じで何日も時間をおいて、ある程度拡張が進んだところで、お尻の準備は終わり。

 限界まで拡張してぽっかり開いた穴も見てみたいけど、今回は自重。
 その代わり、徹底的に感度を上げた。触っただけで、お腹がキュンってするくらい。

「はふっ……! はふ……!」
「苦しい? でもちょっと慣れてきたよね、浣腸。……ほら、プラグ動かしてあげる」
「あ、あ! だめ! 動か、しちゃ、だ、め……!」
「こっちはすっかりいい感じだよ。お股も触ってあげる。お豆潰すの好きだもんね」
「ひゃ! あ! あ! ああああっ!?」
「苦しいのと、痛いのと、気持ちいいの。混ぜこぜになって、頭がぐるぐるするでしょ。何も考えないで、その感覚だけに集中して。力抜いて。全部預けて。そしたら、身体中が熱くなるでしょ?そうしたら、……すぐだよ」
「な、あ!? なん、か……! な、に……これぇ!? まゆ、こ……! こわいよぉ!?」
「大丈夫。わたしがいるよ。ここに。だから、大丈夫。だから、……イッていいよ、冬華」

 今までさんざん道は作ってきた。
 だから冬華がお尻でイっちゃうのもそう時間はかからなかった。

▼

 お尻の開発が終わったら、次は尿道開発。
 さぞかし焦るだろうな、と思ってたら、案外そうでもなかった。
 冬華曰く、「もうどうにでもして」だそう。ちょっと拍子抜け。

「でも、さ。こんなところに、その、入るわけ?」
「入るよ。そのための開発。海外だとここでセックスしたりする人もいるんだよ」
「うえええ!? ……信じられない」

 驚く冬華に「わたしはそこまではしないよ」と言いながら、拡張用のプジーを準備する。
 お尻もそうだけど、尿道は特に粘膜が弱いから気を付けないと。

「じゃあ入れるけど、痛かったら言ってね。……まぁ言っても止めないけど」
「お、鬼がいる……」
「嘘だよ。でも、慣れるまでずっと続けるからね」

 衛生的な道具に、焦らない心。時間はたっぷりあるから、ゆっくりと。

「あ、あっ、ほ、ほんとに……入れる、の……っ!? う、ぎ……! いいいいい~……!?」

 細いのから順番に。粘膜を傷つけないよう慎重に。
 少しずつ、少しずつ、冬華の尿道をほぐし、異物に慣れさせ、拡張していく。

 お尻と同じようにある程度拡張が進んだところで、プジーを入れたまま生活するようにする。

 この時だけはショーツを穿いて生活してもらった。
 急な動きができなくて、おっかなびっくり日常動作をこなす冬華がかわいかった。

 もちろんお尻にもプラグが入ったまま。排泄器官の両方が拡張され、異物が埋まっている。
 そのことを意識して冬華を見ると、ああ、わたしはこの人を管理しているんだ、という言いようのない高揚と支配感で思わず身体が熱くなった。

 そうして必要十分なところまで拡張が進んだところで、お尻と同じく性感開発を行う。
 冬華が大好きなクリトリスの裏側を擦るだけで、身体はビクンと跳ね、涎を垂らす。
 おしっこをするだけで艶っぽい溜息を吐く。そんな冬華がすごくかわいかった。

▼

 写真を撮る理由は人によって様々。その瞬間瞬間を切り取る魔法の道具。
 記録。想い出。残すことを執着しだしたわたしは、ことあるごとに冬華を写す。

「もう、また撮ってる。あたし写真写り悪いんだからさ。恥ずかしいのよ」
「そんなことないよ。綺麗に写ってる。冬華は元が綺麗だから、写真映えするよ」
「そ、そんなに褒めたって何も出ないんだからねっ!」

 冬華の照れ隠し(つんでれ、と言うらしい)をスルーしながら、カメラの液晶を覗く。
 そこに佇む、少し眉をひそめた冬華。写真は素人だけど、我ながらよく撮れてると思う。
 冬華の人生最後になるブラウンのストレートボブは、綺麗なエンジェルリングを纏ってた。

「……じゃぁ、剃るね」
「……うん。なんか、ドキドキする。別にあたしの髪なんて、騒ぐほどのものでもないのにね」
「冬華……」

 調教の妨げになるから、髪を剃る。そう言ったら、冬華はほんの一瞬だけ切ない顔をした。
 だけど、そのことを確認する間もなく、すぐにいつもの調子で「分かった」って言った。

 少しだけ、心がズキッと痛む。
 ハサミを握り、開き、閉じるその時まで、わたしの心はざわつき続けた。

 ハサミを一つ入れ、二つ入れ。三つ入れたあたりから、無心になって冬華の髪を切る。
 全体を切り終え、男の人みたいに短くなったところで、バリカンを入れる。

「なんか、あれね。刑務所の囚人みたいな。それか尼さんか。こんな感じなのね」
「……」

 剃刀で、丁寧に頭を撫でる。綺麗な冬華の頭。絶壁で形の悪いわたしとは違う。
 足元に散らばる茶色。冬華の身体に纏わりつくいくつもの線。目の前の、少し青味のある丸。

 これは、わたしの覚悟を問う儀式でもあるんだ。そう思い込んだ。

「……ちょっと、何で繭子が泣いてるのよ」

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 「全身脱毛処理する」って言ったとき、冬華は普通に喜んでた。

「エステとか何となく怖くてさぁ。ほら、すごいお金取られたりしそうで」
「そんなの無いよ、とも言えないけど……。今は安くていいところもいっぱいあるから」
「いやいや、あんたお嬢だから安いの基準があたしたち庶民と違うでしょ? どうせあれでしょ、一回ウン十万とかするエステ通ってんでしょ?」
「通ってないよ! もう、変なこと言ってないで、はい、これ!」
「ほうほう、脱毛クリームね。あたしのような貧乏ボディにゃこれで十分ってわけですな」
「ち~が~う~っ! これだって結構……う~、もう知らない! えい!」
「うわっ!? ちょ、つめた! いきなり塗るなんてひきょっきゃひっ!?」

 わたしをおちょくる冬華に脱毛クリームの奇襲を仕掛ける。
 びっくりした冬華が変な声を上げた。
 手にたっぷり取った乳白色のそれを、押し付け伸ばすように塗りたくる。
 執拗に指が這うくすぐったさに身をよじらせる冬華。だけど無視する。わざとだから。

「ちょっと、動かない!」
「そ、そんなこと言ったって……! うひゃひゃ! くすぐったくて……!」
「むぅ……。そうだ、冬華、『待て』!」
「わん! ……って、ずるい! 今はそれはいいってぇええひゃひひっ! わ、わかっ、わかったから! 謝るから! だから普通にぬっひゃははははっ!」

 ひとしきりじゃれあってから、冬華を解放する。そして今度は普通に塗り始める。
 脇とか脚とかだけじゃなくて、全身をくまなく白で覆う。
 冬華は疲れたのか荒い息をしていた。

「……はい、終わり。ちょっとの間そのままでね。しばらくしたら流すから」
「りょーかい。はー疲れたー。でもこれで全身つるつるピカピカね」
「そうだね。発毛抑制もするクリームだから、ほとんど永久脱毛と変わらないよ」
「マジで!? やー、こんなに簡単ならもっと早くしておけばよかったなー」
「あ、あとアンダーヘアも脱毛するから。顔と頭も」
「……マジで?」

 固まる冬華を尻目に、さっきのよりもっと肌に優しいクリームを取り出す。
 効果もちょっと違うのは、わたしの弱さ……なのかな。

▼

 そうして何日も何日も時間をかけて下準備を終えた冬華が、目の前にいる。
 全身脱毛して、より綺麗になった冬華の身体。それと、眉毛やまつ毛すらない顔。
 普段付けているウィッグと付けまつ毛を取れば、瞳以外に黒は存在しない。
 口を開かなければ、まるでマネキンのような、無機物的な美しさがある。

「ぬいぐるみ?」
「そう。とりあえずシート貼り付けるから、そのままじっとしてて」

 言いながら、薄くて弾力のあるシートを手に取る。
 それを適当な大きさに切り分けて、一度お湯にくぐらせてから冬華の身体に貼り付けていく。

「あっちち! な、何でお湯に浸けてんの?」
「温めないとくっつかないし柔らかくならないから。ちょっとだけ我慢して」

 柔らかくなったシートで身体を隙間なく埋める。あんまりのんびりしてられない。
 熱い熱いと文句を言う冬華にかまわず、なるべく素早く作業をこなす。

「あ、あ、繭子……! なんか、身体、固まってきた……!」
「冷えると固まるの。でも温めなおしたらまた柔らかくなるから安心して」

 胴体、腕、脚、関節の裏側までぬかりなく。足の裏や指の間も全部。
 顔に貼るときはさすがに怖かったみたいだけど、ズレても困るので『待て』を使った。

 やがて全身に貼り終わり、ようやく一息つく。
 やってから気付いたけど、ちょっとだけマミフィケーションに似てるかも。

「ま、ゆ、こ~。う、ご、か、な、い、よ~!」
「口元も固まったみたいだね。息は大丈夫? 胸の辺りは少し余裕を持たせたつもりだけど」

 立った姿勢のまま、不自由になった腕を一本の棒のようにピコピコ動かしながら、冬華が焦る。
 唯一自由に動く瞳だけがきょろきょろと不安を伝えてくる。
 貼り付いたシートはすっかり硬化し、冬華の動きを著しく制限する。

 それに加え乾燥してプラスチックのような光沢があるから、冬華がよりマネキンらしく見えた。

「鏡見る?」
「う、ん……」

 下手をすると倒れてしまうので、身体を支えながら冬華を落ち着かせる。
 そうして落ち着いたところで鏡を見せたら、冬華はまた慌てだした。

「こ、こ、れ……ほ、ん、と、う、に、ま、ね、き、ん、み、た、い……」
「そうだね。そのうちマネキンプレイもしようね」

 今の冬華の身体は、体温で温もりはあるけれど、手触りはプラスチックのようにつるつる。
 見た目にも人の肌っぽさはないから、遠目だと多分ばれないと思う。
 洋品店のショーウィンドウに、なんて、ベタだけどドキドキする。

「とりあえず今回はぬいぐるみだから、予定通りに進めるね」

 そんな次の調教のプランをいったん横に置いて、目の前のことに集中する。
 形状記憶シートを柔らかくするため、冬華の膝周りだけお湯をかける。

「膝を柔らかくしたから、曲げてみて。それで、ゆっくりでいいから座って」
「わ、か、った」

 返事もそこそこに、ぎぎぎぎ……と聞こえてきそうな動きでゆっくり膝を折る冬華。
 わたしも横で支えながら、冬華が座るのを手伝う。
 あ、足首も必要か。そこも柔らかくして……。
 途中ゆっくりしすぎて固まった膝にお湯をかけ直しながら、ようやく座ることに成功する。

「ふぅ。座るのも一苦労だね。おばあちゃんみたい」
「あ、ん、た、が、い、う、な!」

 介護という意味でも同じかもしれない。そう思って言ったら冬華にツッコまれた。
 その冬華も文句を言いつつ、改めて動かない身体に四苦八苦しているみたい。

 正座の姿勢をした冬華。だらんとした腕が不恰好ではあるけれど、背筋はしゃんとしてる。
 冬華は今、この姿勢で固まったまま動けないんだ。そう思うと、お腹がキュンとなった。

「次は腕。こう……肘を曲げて、手のひらで肩を覆うように。分かった?」
「う、ん」

 膝に続いて、肘にお湯をかける。柔らかくなったのを見計らって、冬華が肘を曲げる。
 腕を折りたたみ、手を肩へ。形ができたところで、動きが止まった。

「忘れてた。肩も柔らかくしないと」

 腕をぶら下げたままの状態だったので、肩の関節を動くようにして、肘を前に突き出すようにする。
 折りたたんだ腕が床と平行になるように突き出したところで、再び固まる。

「痛みとか、すごく痺れるとか、そういうのは大丈夫?」
「い、ま、の、と、こ、ろ、は」

 今の冬華は両肘、膝を前に突き出した形。
 このまま前に倒せば、テーブルや椅子にもできそう。
 このまま家具として置いておくのもいいかもしれない。
 冬華にそう言ったら、何にも言わずにただ瞳を潤ませた。

「ちょっと後ろに身体倒すね」

 今はしないよ、と含みを持たせつつ、頭に気を付けながら冬華を仰向けにする。
 固めたから当然だけど、折りたたんだ手足はさっき作った形で天を向いたまま。

 だから、露わになったお股も、お尻も、冬華には隠す術もない。

「冬華、ちょっと濡れてきてるね」
「~~~~~っ!?」

 わたしの指摘に、シート越しだけど冬華の顔が真っ赤になったのが分かった。
 口や鼻と同じく、シートによる固定を逃れた三つの穴が、ひくひくと返事をする。

 ……さぁ。良い子だったね。冬華のお尻の穴。おしっこの穴。今までお疲れ様。
 これからは、このプラグが、お前たちの代わりに仕事をするからね。

 わたしが手に取ったそれを見て、冬華の瞳孔が開いた。

「今まで拡張用に着けてたプラグの代わりに、今度からはこっち」

 お尻と尿道に着ける、シルバーのプラグ。それらにローションを塗り付ける。
 これまで冬華に使っていたどのプラグよりも、一段階太い。
 それを、冬華が抵抗できないのをいいことにグイグイ押し込んでいく。

「あ゛、あ゛、あ゛、あ゛……!」

 まずはお尻のプラグ。もちろん粘膜を傷つけるようなことはしない。
 拡張し始めのころを思い出しながら、少しずつ扉を開いていく。

「あ! ふ!」

 やがて、冬華の大きな声とともに、プラグがちゅるんと飲み込まれる。
 今冬華は、すごい異物感と圧迫感を感じているんだろうな。
 だけどそれすらやがて慣れるんだから、人間ってすごい。

「これから長い付き合いになるから、早く慣れるように頑張ろうね」
「え……?」
「このプラグね、底にピンが付いてるんだけど……」

 訝しげな冬華を安心させるような声で説明をしながら。
 わたしはプラグの底のピンを押し込む。
 すると、カション、と安っぽい音とともに、冬華の絶叫が響いた。

「あ゛あ゛~~~~~っ!!」
「押したらピンが飛び出して、プラグの先が花びらみたいに開くの。そうしたら、もう一回ピンを押すまで閉じないから、絶対抜けないんだよ」

 そう説明する声は、冬華に届いてるのかな。
 未だ声を枯らして白目を剥く冬華、そのお尻は、今までにないくらい押し広げられているはずで。
 その圧迫感と言ったら、私にはとても想像がつかない。

「だけど、このままだと誰でもピンを押して抜けるでしょ? だから、この根元の穴に……」

 見えてるかどうか分からないけど、冬華の目の前に南京錠をちらつかせて。
 そしてプラグのピンの根元、開いた穴に錠を通して、穴を合わせて。

 ……カチリ。

「鍵を掛けて、できあがり。これでもう鍵を持つ私しか外せないよ」

 そう、冬華に宣告した。

「お、あ、あ、お……!」
「これがどういうことか分かる? お尻に鍵を掛けられた意味」

 ようやく意識を取り戻したのか、冬華がわたしを見つめている。
 その目に、いっぱいの涙を溜めて。その先は聞きたくないと、懇願するように。

 冬華にとっては死刑宣告のような、その言葉。それを、口にする。

「冬華は、もう、わたしの許可がないと、うんちもできないんだよ」
「う、う、う~~~!!」

 もう言葉も紡がずに、ただボロボロと涙を流して、冬華は泣いていた。
 いよいよもって取り返しのつかないところまできた、そう思っているのかも。
 だからわたしも、それを証明するように、次の言葉を口にする。

「じゃあ次はおしっこの穴ね。こっちも、ちゃんと鍵かけてあげる」

 シルバーの先端をあてがい、続くシリコンチューブを押し込み、先端を膀胱内まで入れる。
 そして全部入ったところで、底の部分を摘まみながら回して、先端の花を開く。
 その状態で中軸と外枠の穴を合わせるように小さな南京錠を通し、鍵を掛けた。

「これからずっと、冬華の排泄管理してあげるからね」

 冬華の息を呑む音が聞こえた。

 プラグの準備を終えたところで、そっと冬華の身体に寄り添う。
 いつまでも泣き止まない冬華。その涙を、わたしはいつまでも舐めていた。

「冬華、……わたしのこと、嫌いになった?」

 手足を上げたまま。仰向けのまま。身動きの取れないまま。無抵抗のまま。
 排泄器官を蹂躙され、これからの人生、人としての尊厳や欲求を一つ奪われ。
 ひたすら流れる涙は、それらとの別れのためのようにも見えた。

「……う、う……、ん……」
「……そう」

 普通に考えれば、嫌われるどころか憎まれてもおかしくない状況。
 それでもわたしを見捨てない冬華に、大きな安堵感と、ほんの少しの痛みを感じる。

「……け、ど」
「うん?」
「ちょ……、と、こ……、わ、い」
「……っ」

 そういう冬華の瞳は、未だ涙を流しながらも、しっかりとわたしを捉えていた。
 だからわたしは、感じた痛みなどごみ箱に捨てて、ただただ目の前の感情に従った。

「大丈夫。わたしがいるから。ちゃんと、わたしが、冬華を……」
「……ん」

 笑顔を見せたわたしに、冬華は少しだけ表情を、いや、雰囲気を緩ませる。

 人間って不思議だ。表情は変わらなくても、雰囲気は変わる。それを感じ取れる。
 マネキンのような姿になっても。これからぬいぐるみにされようと。
 冬華はあくまで人間のままだ。そんな当然なことを、今更のように思い知った。

▼

 冬華が落ち着くのを待って、次の工程へと移る。

「次はいよいよぬいぐるみになります」

 無意識に説明口調になりながら、冬華に宣言する。

「あ、の、あ、ふ、ろ?」
「アフロじゃないよ。あれが冬華の服……とは言わないか。体毛になるんだから」

 要するに冬華が綿の部分で、このアフロもどきが外皮になる。

「じゃあ着せてあげるね」

 冬華を仰向けに寝かせたまま、布団を掛けるようにその外皮を被せていく。
 袋状に飛び出した部分を両手足にあてがい、下に向けて引っ張っていく。
 ぐいぐいと着付けながら、何となく割烹着を思い出した。

「ひっくり返すね」

 表面に被せ終わったところで、冬華をうつ伏せ、というか四つ足の状態にする。
 外皮を背中に引っ張り上げながら、お尻のほうからファスナーを上げていく。
 うなじのところまで上げ終えたところで、再び正座の状態へ戻した。

「お尻大丈夫? プラグが突き上げたりしてない?」
「だ、い、じょ、う、ぶ」
「よかった。そしたら頭被せるからね」

 前掛けのように垂れ下がった頭部を、冬華の頭に合わせていく。
 そしてうなじのファスナーをさらに上に上げ、脳天の辺りまで上げれば完了。

「……うん。思ったよりいい感じ」

 人間としてはあり得ない、毛むくじゃらの冬華が完成した。

「息はできる?」
「で、き、る」

 全身を外皮で包まれた冬華。露出してるのは、パっと見ただけでは目だけ。
 それ以外はもじゃもじゃの毛に覆われ、口も隠れて、鼻も真黒で大きめになってる。
 だけどその鼻は小さな穴が開いてるし、息はできるようにと気を使ったつもり。

「もう一回鏡見る?」
「う、ん」

 聞き取りづらいといけないから、心持ち大きめの声で話しかける。
 今のところ問題はないみたい。冬華の返事も聞こえる。くぐもってはいるけど。

「はい。……どう?」
「……く、ま」
「あはは。一応テディベアを意識してるんだよ、これ」

 素直な冬華の感想に、何となく可笑しくなる。
 でも確かに、今の冬華は誰が見てもクマのぬいぐるみだって答えると思う。
 もちろんぬいぐるみにしてはかなり大きいし、形とかちょっと不自然な部分はあるけど。
 ちゃんとファスナーも毛に隠れてるし。
 これくらいの大きさのぬいぐるみがないこともない。

「あとはね……」

 仕上げの、カラーコンタクトを取り出す。
 いわゆる全眼カラコン。SFXレンズとも言うのかな。
 目をすべて覆う真黒なそれを、冬華に付けていく。

「……よし、これで完成!」

 白目の部分もすべてカバーするカラコン。冬華の瞳が、全て真っ黒になる。
 ただ光を反射するだけの、人間味を失ったその瞳。よりぬいぐるみらしさを強調する瞳。
 『冬華らしさ』がすべて消え去ったそれは、身じろぎ一つせず、できず。

「ん、く……っ!」

 目の前のぬいぐるみが冬華だと、忘れそうになる。その事実だけで、わたしは達した。

「はふ……」

 とはいえわたしだけ高揚していても仕方ない。
 冬華にも気持ちよくなってもらわないと。

 そのための準備はしてきた。あとはそれを使うだけ。
 テーブルに置いてあったリモコンを持って、スイッチを入れる。

「あっ!? あ、あ、あ、あっ!」

 漏れ出した断続的な悲鳴。それを聞いて仕掛けがちゃんと動作していることを確認する。
 ぬいぐるみから少し遠ざかって、ソファに座る。3メートル……4メートル?
 この距離だと……冬華の声はほとんど聞こえない。

「……! ……っ」

 それでも、気配は感じる。冬華が絞り出す吐息。震え。そのどれもが、雄弁に。
 可笑しいね。目の前には、ぬいぐるみしかないのに。
 何にも動かない。何にもしゃべらない。なのに、感じる。

 冬華の戸惑いが。恐れが。もどかしさが。それでも感じてしまう快感が。
 お尻に、尿道に、突き刺さったプラグが、暴力的なまでの振動で冬華を狂わせる様が。

「冬華……」

 冬華は今何を思うだろう。
 妙なシートで身体を固められ、ぬいぐるみの中に閉じ込められて。
 そして自由を失った排泄器官で、植え付けられた性感を無理やり刺激されて。
 逃げたいのに逃げられなくて。暴れたいのに暴れられなくて。
 ただ受け入れるしかなくて。

 圧倒的な不自由の中。
 他人に自由をコントロールされる恐怖と被虐心を想像する。

 どんなに嫌がっても、強制的に受け入れさせられる。
 そんな今の冬華の気持ちを想像する。

 例えばこうして自分の知らないところで。
 指一本で振動を強くされることを想像する。

「!? ……っ! っ! ~~~~~っ!!」

 例えばこのまま放置したら。
 例えば排泄を一週間許さなかったら。

 例えば。例えば。例えば……。

 ……ねぇ冬華。その『例えば』、わたし、全部実行できるんだよ。

「……あ、そうだ。ねぇ冬華」

 快楽に震える冬華を想像して。少しだけそれをおかずにオナニーをして。
 それから飽きることなく目の前のクマを眺めていたわたし。
 しばらくしてから、思い出したように、というか本当に今思い出したから声を出した。

「わたし、やってみたかったことがあるの」

 冬華にも聞こえるように、責め苛むプラグの振動を止める。
 すぐそばまで行くと、冬華の粗っぽい息が微かに聞こえた。

「最近、お出かけしてなかったよね?」
「……っ!?」

 わたしのその一言だけで、冬華は何かを察したみたいだった。息をのむ気配がする。
 快楽で頭が真っ白になっている冬華は、何を想像したのだろう。

「だからこれから、お散歩に行こうと思います」
「そ……、と、に……!?」

 疲れや昂ぶりが混ざって、気怠くも艶っぽい冬華の声。だけど語調は驚きに染まってる。

「ど……う、や……って……?」

 もっともな疑問。確かにこの状態で外に出るなんて無理。
 さすがに人ひとりは抱えられない。
 それに自分で動こうにも、関節が動かない冬華は四つ足ですら歩くことは不可能。
 シートだけ剥がして自分で歩かせるのも面白いだろうけど、
 ぬいぐるみが外でハイハイしてたら確実に騒動が起きる。

 ならどうやって外に連れ出すか。それは、すでに計画済み。
 結局のところ、姿さえ見えなければいいんだから。

「一度やってみたかったの。トランク詰め」

 この時のために用意した大型のトランク……というよりはキャリーケース。
 近所のお店にはサイズがなかったから、インターネットで購入した。

「とりあえずコンパクトにしないと」

 いくら大型と言っても、肘や膝を立てた状態で入るほどの厚みはない。
 だから肩や太もも、股関節にお湯をかけて、さらに折り畳まないといけない。

「お湯かけるよ」
「こ、の、……け、は?」
「け? ……ああ、毛? 大丈夫。この毛皮水分通すから。それに、通気性もいいはず」

 イメージとしては、増毛シートみたいな感じ。だからこのまま身体も洗える。

「言ってなかったけど、冬華の身体に巻いたシートも、毛皮も、ついでに目のカラコンも最高クラスの酸素透過性があるから、しばらく付けっ放しでも大丈夫だよ。カラコンは定期的に専用の目薬差す必要はあるけど」
「つ、け、っぱ、な、し……。こ、の、ま、ま……」

 ぶつぶつ言いだした冬華に構わず、関節部にお湯をかける。
 相変わらず「あ、つ! あ、つ、つ!」と反応する冬華がかわいい。
 柔らかくなっているうちに、膝を胸に付けるように、腕は曲げたまま横に添えるように整える。

「よっ……ん、ん~~~っ!!」

 なるべくコンパクトに固まったところで、冬華の身体を持ち上げる。
 そうして横に置いてある貝の如く開いたケースに詰め込む。

 と言ってもわたしは力持ちでも何でもない。スッと持ち上がるわけもない。
 だけど、コツさえ知っていれば、浮かせることくらいはできる。
 重い荷物を持つときは、なるべく自分の身体に密着させて。
 腕の力だけに頼らないようにする。

 要はテコの原理。介護なんかでも同じこと。
 まぁこんな介護なら確実に虐待認定されるだろうけど。

「ふっ! ん、しょ……!」

 キャリーケースの厚み分だけ浮かせたら、身体が収まるように中にずらしていく。
 少し不安だったけど、上下左右何とか収まってくれた。
 久しぶりに力を振り絞った身体をほぐしながら、それを眺める。

 ケースの中に、大きなぬいぐるみが入ってる。本当にただそれだけ。
 ぬいぐるみにしては多少足が極端な形になってるけれど。違和感はそれくらい。

 あとは衝撃対策。隙間に緩衝剤を詰めていく。
 身体を守るためだけど、より窮屈さを演出するためでもある。

 そういえば、最初は床下の収納だった。それはほとんど偶然だったけど。
 それが今に繋がっていると思うと、何でも用意しておくものだと思う。

「冬華が床下収納に入った時も、こんな姿勢だったね。今は仰向けだけど」
「あ……う……っ」
「ふふふ。あの時のこと思い出した?」

 あの頃の冬華はまだ真っさらで。素直に誘導されてくれて。
 ご飯を食べたりテレビを見たりしながら、
 ふと床下に冬華がいると思うとすごく興奮した。

 一つの命を、一つのモノとして扱う背徳感。絶対感。
 それを、他でもない冬華を対象にして、冬華を自由にしているという優越感。

 冬華には言ってないけど、床下収納の扉の上で何度も何度もオナニーした。
 そのときは決まって冬華のあそこに入れたローターの強さを最大にして。
 今わたしたちは一緒に気持ちよくなってるんだって思えて、一つになれた気がした。

 それは相手の気持ちを無視した、最低な行為。それくらいわかってる。
 そのとき冬華が気持ちよくなってたかなんてわからないし、もしかしたら冬華はわたしに嫌悪感を抱いていたかもしれない。

 だけど、すごく気持ちよかった。『自慰行為』って、こういうことなんだと思った。

「冬華、口開けて」

 わたしまでトリップしそうなのを押し留めて、冬華に声をかけた。
 一目見ただけではわからないけど、この毛皮は口周りと股間周りだけ切込みが入ってる。
 だから冬華の声も聞こえる。このままでも下のお世話ができる。

 わたしは口元の切込みをベロンとめくり上げて、冬華のぱっくり開いた口に開口具を嵌めた。
 後頭部が見えないから手探りで、何とか後ろのベルトを締める。

「は……ふ、ん……あ……」

 排水溝型の開口具から、冬華の舌がチロチロと覗く。
 唾液が糸を引いて、すごくやらしい。

 そこに、ぴったりはまるサイズのチューブをはめ込んだ。
 口から延びるその管が、冬華の生命線。
 ガスマスクのそれのように、冬華の呼吸はこのチューブを伝うことになる。

「はっ……は……っ!」

 チューブの先端には、ゴミとかが入らないようにフィルターが付いてる。
 だからその分酸素量は少ないはず。冬華の呼吸が荒いものに変わった。

「……苦しいけど、我慢できないほどじゃないよね」

 もちろん自分でも試したから、支障がないのはわかってる。
 だけど苦しいのには変わりない。
 突然呼吸を制限されて慌てる冬華に「大丈夫」と声を掛け続ける。

「……落ち着いた?」
「……ふ」

 返事の代わりに短く吐き出された息を、肯定と受け取る。
 冬華の呼気で白く曇るチューブを、キャリーケースの上部、半円にくり抜かれた個所へ嵌めた。
 これは後でケースを閉じたときに、もう片方の半円と合わさって固定される。
 密閉されるケースの中、唯一外界と繋がって、酸素を与えてくれるのが、このチューブになる。

「イヤフォン着けるね。カナル型だから耳も痛くならないよ」

 冬華の両耳に無線式のイヤフォンを着ける。これは意思疎通用。
 ノイズキャンセリング機能も付いているから、周囲の雑音も耳に入らない。
 わたしの持つピンマイクから聞こえてくる音だけが、冬華の聞こえる音になる。

「あー、あー、冬華、聞こえる?」
「……」
「……あれ。じゃあもう少しボリューム上げて。……あー、聞こえる?」
「……ふっ」

 確認のためピンマイクから冬華に話しかける。
 最初はボリュームが低すぎて聞こえなかったみたい。
 徐々にボリュームを上げていって、冬華が返事をしたところで止めた。

「そうしたら次はこっち」
「……っ!?」

 ピンマイクを襟元に挟みながら、冬華のあそこをスッと撫でる。
 突然の刺激にパクパクとうごめき出す秘所。だけど、今はそのおねだりは聞けない。
 その上の尿道、そこに刺さるプラグの鍵を外した。

「そんなに長い時間じゃないから、大きいほうは我慢してね。その代わり……」

 尿道プラグの先端部分だけ外して、尿道に刺さったチューブ部分に新たなチューブを繋げる。
 無条件に流れ出すおしっこ。それをチューブを摘まんでせき止める。
 そして長くなったその先端を、今まさに冬華が呼吸しているチューブに連結させた。

「おしっこは、いつでも出していいよ。だけど、ちゃんと自分で処理してね」
「ん、ん、ん~~~っ!?」

 冬華からは、わたしの作業が見えないはず。
 だけど、言わんとするところは理解したみたい。

 せき止めていた指を離す。
 本人の意思とは関係なく、おしっこがチューブを駆け上っていく。
 そうして透明なチューブを黄色く染め上げながら、
 やがて呼吸用チューブにたどり着いた。

「んっ!? ……っ! ……っ!」

 冬華の呼吸音が途切れる。その代わりに、液体を飲み下す音が聞こえる。
 嫌悪感にむせ返ることもせず飲めているのは、きっと犬調教のおかげ。
 あの頃はおしっこした後に自分のあそこを舐めさせていたから、抵抗が少ないんだと思う。
 むしろ冬華は身体が硬くて、柔軟体操のほうが辛かったみたいだけど。

「ご、ほっ!? はっ……! ふっ……!」

 やがておしっこも途切れて、荒々しい呼吸が戻ってくる。
 鼻でももちろん呼吸はできるはずだけど、今はクマの鼻になってるから、どっちにしても息苦しいのには変わりない。

「飲むのに失敗すると窒息するから気を付けてね」

 だけど、今のうちに慣れてもらわないと。
 密閉されたキャリーケースの中じゃ、たとえ鼻が使えても息なんてできないから。

「じゃあもう一回練習。水分補給も兼ねてスポーツドリンク流すよ」

 呼吸用チューブのフィルターを外して、スポーツドリンクを流し始める。
 一気に流すと危ないから、少しずつ。微かに喉が鳴る音が聞こえる。
 実際汗もかくだろうし、水分補給はしておかないといけない。
 その結果おしっこの量が増えたとしても、それは冬華が頑張ること。

「ん。大丈夫そうだね」

 用意した分を飲み干したのを確認して、フィルターを元に戻す。

「そしたら、……閉めるね」

 そして宣言したその言葉。少し震えていたのは冬華に気付かれたかな。
 目の前の、何の感情も読み取れない真黒な瞳をじっと見つめた。

「冬華、これから荷物のように運ばれるんだよ」

 訪れる未来をいちいち言葉にしながら、キャリーケースの片割れに手を掛ける。

「大人しくしてないと、周りの人にばれちゃうかも」

 騒がしくなんてできないだろうけど。騒ぎたくなるようなことはするかもしれない。

「……好きだよ、冬華」

 あの日から何回言ったか分からない言葉を、言う。
 キスしようと思って毛皮をめくっても、口はチューブで遮られている。
 だから代わりに、その上にあるスッとした鼻に、キスをした。
 鼻を覆うようについばんで。穴の周りをぺろりと舐めて。穴の奥まで舌を潜り込ませて。
 少しだけしょっぱさを感じながら、お返しに唾液をたっぷりと残していった。

「……っ!?」
「ぷ、あっ……。ふぅ。冬華の鼻とディープキスしちゃった」

 他の人相手なら絶対したくないようなことでも、冬華相手だとできる。汚くなんてない。
 冬華はどうかな。いくら口臭に気を使ってても、唾液が乾くと臭う。
 全体にまぶされたわたしの臭い、気に入ってくれてるかな。

「わたしが近くにいる証。わかるよね。だから安心していいよ」

 以前檻の中で暇だと言っていた冬華にあげた暇潰し。わたしの臭いを覚えること。
 それはきっと今でも冬華の身体は覚えてるから。冬華にとって安心する臭いのはず。

 そうしてわたしという存在を刻み付けてから。パタン、とケースを閉じ合わせた。
 密閉される空間。旅行の荷造りと何ら変わらない動作で、側面のロックを掛ける。

 愛する君を閉じ込めてしまいたい、なんて、陳腐な口説き文句のようだけど。
 物理的にそれを達成したわたしは、不思議な高揚と満足感を感じた。

「ああ……」

 何の変哲もないキャリーケースが、目の前にある。それを前に、少し感慨に耽る。

「……この中に、冬華がいるんだよね」

 いったんマイクを切って、そうぽつりと呟く。

 たった今自分で閉じ込めたばかりなのに。
 そのことが嘘なんじゃないかとすら思えてくる。
 それくらいこのケースから冬華を感じない。
 全然関係ないけど、何となくシュレーディンガーの猫を思い出した。

「冬華」

 だけど、確かにこの中に冬華はいるんだ。
 そう思うと、わたしはいてもたってもいられずにケースに寄り添った。

「冬華……っ」

 こうして耳を当てていれば、冬華の鼓動が聞こえてきそうで。
 冬華にするように、それを撫で続ける。
 艶のあるポリカーボネートが頬にへばりついて、わたしの体温を少しだけ奪う。

「お出かけしようね。冬華」

 無音の世界にいる冬華。聞こえるはずもないその声。
 だけどわたしは構わずに、話しかけ続ける。

「長い間檻に閉じ込めたままだったけど、これで外に行けるよ。お買い物にも行けるし、旅行にも行ける。どこにだって、一緒だから」

 本当は、家に冬華を置いて出かけるのは怖かった。怖くなってしまった。
 知らない人の中に紛れるのが怖い。たくさん人がいるのに、一人ぼっちなのが、怖い。
 何より、冬華と離れるのが怖くて仕方なかった。

 だけど、これからはいつでも一緒。家にいるときも、外に出かけるときも。
 それはまるで幼子が肌身離さず持ち歩くそれのようで。結局、わたしは――。

▼

 そしてわたしたちは、いろんなところへ出かけた。
 それは旅行というにはささやかで。ちょっとそこまで、というには大げさで。

 普通なら一週間以上の旅行に連れていくようなキャリーケース。
 でも実際には私の荷物なんて何一つ入っていないそれを転がして、あちらこちらへ。

 桜が綺麗な公園。大きな川が流れる土手。いろんな人が行き交う駅前。
 今まで最低限必要な場所しか出かけなかったわたしが、特に今必要でない場所へ足を運ぶ。
 そしてそれを楽しんでる自分がいる。徒労でしかない、何の意味もないその行動を。

「ん~~っ! 着いた~」

 ちょっと散歩に、なんて時間の無駄だと思っていた。
 旅行なんて、怖くて行けなかった。
 自分以外の誰かと出会う可能性があるというだけで、出かけるということを無価値化していた。

 だから、その『誰か』と一緒に出かけることが、こんなにうきうきするものだと思わなかった。

「お荷物こちらですか? ……っと、お、重いですね……!」
「あ、そうです。すみません、ありがとうございます」

 そう思うと、それはやっぱり、ちゃんと意味のある行動なのかもしれなくて。
 二時間の移動を終えたバスから降りたわたしは、バスガイドさんからキャリーケースを受け取り、そう考えた。

「勝手に自分は独りだって、怯えてただけなのかな」

 そうして組んだ一泊二日の温泉旅館への旅行。わたしにとっては大冒険だった。
 一人なら考えることすらなかった、旅行。……でも、今は違う。冬華がいる。

 本当はバスに乗るのも怖かった。
 たくさんの『誰か』と同じ空間に閉じ込められるのが怖かった。
 だけど、なんとか耐えられた。十数年乗ることのできなかった観光バスを、克服した。
 たとえ隣に座ってなくても、この床下の荷物置き場に冬華がいる。その事実だけで。

▼

「近くに海があるから、行ってみよっか」

 チェックインして、別に持ってきた自分用の荷物を部屋に置いて。
 人心地ついてから、キャリーケース片手に旅館を出る。
 大荷物で出かけるわたしは、もしかしたら少しだけ奇異に映ったかもしれない。

「砂浜じゃないらしいから、そこはちょっと残念だね」

 海に行くなんて、いつ以来……いや、そういえば初めてだった。
 そんなことを考えながら、車のほとんど通らない道路を横切り、南へ。
 人通りはなくても、ちゃんと道路が舗装されていて助かった。たまの小石は仕方ない。

「んっ……。と、冬華、ちょっとごめんね」

 途中で尿意を催し、物陰へ隠れる。
 キャリーケースの上部、冬華の口へと繋がる呼吸管のフィルターを外し、その上に跨る。
 手早く露出した股間。吹きかかる冬華の吐息がくすぐったくも温かい。

「ふ……んん……っ」

 おしっこの穴を呼吸管に合わせて、脱力する。すぐにおしっこが出てきた。

「は……ふぅ」

 尿瓶にするように、わたしは用を足した。
 ポケットティッシュで拭って、フィルターも戻す。
 冬華は数回むせただけで、しばらくすると整った呼吸を再開していた。

「ありがと、冬華。ご褒美あげるね」

 そう言ってわたしは、リモコンのスイッチを入れる。
 整っていた呼吸が、再び荒いものになる。
 フィルターによって制限された酸素を貪る冬華。

 暴れ出した尿道とお尻の穴に入ったプラグ。冬華、気持ちよくなってくれてるかな。
 途中激しくむせたのは、もしかしたら冬華もおしっこをしたのかもしれない。

 冬華の呼吸音を慎重に見定めながら、リモコンを操作して冬華を楽しませる。
 強くしたり、弱くしたり。止めたと思ったら、また動かしたり。
 最後は呼吸管を手で塞いで、プラグの振動を最強にして二十秒ほどそのままにしてあげた。
 冬華、ちゃんとイッてくれたかな。

「じゃ、行こっか」

 ヒュー、ヒュー、と薄く聞こえる呼吸音に頷いて、移動を再開。
 舗装された道、バリアフリーなスロープに感謝しながら、人気のない道を歩く。

 やがて開けた視界の先に、真っ青な海が見えた。聞いていたビューポイントだ。

「ほら見て、冬華。海だよ! 広いね~。綺麗だね~」

 周りに人がいないのを入念に確認して、少し斜めに立てかけたキャリーケースを開く。
 そこには、出かける前と何も変わらない、ぬいぐるみ姿の冬華がいる。

 あえて変わったとすれば、蒸れた汗と微かにおしっこの匂いがするくらい。
 熱中症にならないよう、頃合いを見て冷たいドリンクはあげていたつもりだけど、冬華からすれば、今すごく涼しく感じてるだろうな。

 身体を固めるシートと、ぬいぐるみの毛皮を身にまとってはいる。
 だけど感覚的に言えば、今の冬華は裸でいるのと大差ない。
 部屋の中では慣れ切った裸んぼ、外だとやっぱりまだ恥ずかしいかな。

「海って、こんな感じなんだ。わたし、今まで海に来たことないから」

 そもそも行楽に出かけることがなかったわたし。
 海なんて、テレビや雑誌でしか見たことなかった。

「でもこうしてると、懐かしい感じがする。海沿いに住んでたわけじゃないのにね」

 歓迎するように、海風は優しくわたしたちを撫でてくれる。
 それがちょっとうれしかった。

▼

 部屋に戻って、お夕飯をいただく。お造りに天ぷら、お肉。季節の盛り合わせ。
 パンフレットに書いてあったお料理が出てきて、当たり前のことなのに感動した。
 綺麗に盛り付けられたそれらを、少しずつ味わいながら食べた。

 途中から、仲居さんの目を盗んで冬華を出してあげた。
 備え付けのポットのお湯を拝借して、姿勢を変えて、座らせる。
 呼吸管も外して、ぬいぐるみにご飯を食べさせる。見た目はまるっきりおままごと。

「どう? おいしい?」

「う、ま! な、に、こ、れ! う、ま!」
「海が近いからかな。お造りも新鮮でおいしいよね」

 そうしてお腹が膨れたところで、お風呂に入る。
 といっても一人で大浴場に行くつもりは最初からなくて、ちゃんと備え付けのお風呂がある部屋を予約していた。

「……そのうちわたし、筋肉ムキムキになっちゃうかも」
「あ、た、し、お、も、く、な、い!」

 キャリーケースのように転がせられない冬華を必死の思いでお風呂場まで運んだ。
 さすがに浴槽には入れられないから、そばに座ってもらってる。
 傍から見れば、ぬいぐるみの隣りでお風呂に浸かるわたし。シュールだと思う。

 お風呂に浸かれないので、冬華には掛け湯。
 水分も通す素材なので、全身にボディソープを塗りたくって、わしゃわしゃと洗う。
 多少強めに揉み込まないと冬華の肌まで届かないけど、洗えないわけじゃない。

 気分は犬のお風呂?
 いや、そのままぬいぐるみの洗濯かな。

 濡れた毛の部分がしなっとなって、手足を畳んだ姿勢の冬華の輪郭がくっきりする。

「ほ、ん、と、に、ぬ、が、な、く、て、い、い、ん、だ」
「そうだよ。まぁ何年もってわけにはいかないけど。……ずっとこのままがいい?」
「そ、……そ、ん、な、こ、と……! う、う……っ! も、うっ!」

 からかいながらもゆっくりとお湯につかって。
 温まったところでお風呂から出て、髪を乾かす。
 冬華も全身をバスタオルで拭ってから、ドライヤーをかけた。すごく時間かかった。

「んー、そういえばここ、美人の湯なんだって。お肌つるつるの効果」
「ま、じ、で!? こ、れ、は、ず、し、て! も、う、い、ち、ど、は、い、る!」

 パンフレットを見ながら何気なくそう言うと、冬華がこれまでにないほど暴れた。
 そんな美にどん欲なぬいぐるみを苦笑しながら宥めつつ、仲居さんに持ってきてもらった冷酒をちびちびと舐める。
 普段はあまり飲まないけど、何となく、今日はそんな気分だった。

 そういえば、持ってきてもらった時、冬華を隠してなかった。
 仲居さんは「大きなぬいぐるみですねぇ」と微笑ましそうに笑っていたけど、内心わたしに怪訝な思いを抱いただろうな。
 バレまいと必死に息を殺す冬華がかわいかったから、まぁどうでもいい。

「それより、冬華も飲む? おいしいよ」

「あ、ん、た、ね! あ、の、と、き、あ、た、し……! ……の、む、け、ど」

 正直でよろしい、と頭を撫でながら、お猪口を口元へ。冬華はこれでいて結構酒豪。

「……て、あ! の、ん、だ、ら、お……お、し、っこ、が!」
「そっか。じゃあ寝るときは呼吸管着ける?」
「……。……お、に」
「あはは、うそうそ。今日はしないよ。あとでちゃんと出させてあげる」

 笑いながら、ボスッと、冬華の膝へ頭をのせる。
 洗って、乾かして、ふわふわになったそれは、頬擦りしたくなる気持ちよさ。
 それに冬華の体温が、太ももの柔らかさが感じられて、安らぐ。……とても。

「……こ、れ、た、じゃ、な、い。りょ、こ、う。え、ら、い、え、ら、い」

 優しげな冬華の声。染み入るようなその音が、耳に心地いい。
 酔ってはないはず。だけど、顔も、目頭も。とても、熱い。

▼

 その夜。わたしは、冬華と一緒に寝た。もちろんぬいぐるみのまま。
 ベッドじゃなくてよかった。今日ほど布団をありがたく思ったことはない。

 一緒に布団を被って。向かい合って。抱き合って。
 ぬいぐるみの冬華は身動き一つとれないから、抱きしめ返してくれるわけじゃないけど。
 それでもこうして身体に手を回すと、冬華が包んでくれているような気になる。

「冬華」
「……ん」
「……。何でも、ない」

 わたしが何かを言いかけて、でも言えなくて。
 そしたら冬華はもう一度「……ん」と言って静かになった。
 その声は冬華が眠たい時に出す声。冬華も冬華でなかなか図太いと思う。
 そう思うと、勝手に「ふふっ」と笑い声が出た。

「わたし、は……」

 結局のところ、……子どもなんだ。冬華に聞こえないような小さな声で、そう呟く。

 冬華への独占欲。支配欲。恋愛感情。全部本当。今も、きっとこれからも。
 だけど、ずっとこのままでいられる?
 何一つ変わることなくいられる?

 ……答えなんて分かりきってる。だけど。だけど……。

「ねぇ、冬華……」
「ま、ゆ、こ」

 冬華を呼ぶ意気地のないわたしの声を遮って、はっきりとした冬華の声が聞こえる。

「す、き、よ。あ、い、し、て、る」

 その言葉はとても優しくて。
 わたしを無条件で幸せに導いてくれる。……そのはずなのに。

 わたしは飛び上がるような喜びを感じながら、
 「これでいいの?」と自問自答し続けた。

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