15周年を迎えて

こんにちは。タソカレです。

早いもので、コンテンツをネットに公開し始めてから15年が経ちました。
実際にはなかなか更新ができない時期もあったので、実稼働でいうとどうなんだろうと思う部分もありますが。何とか細くでも続けられているのは、読んでくださる皆さんのおかげです。

初めはブログから始まりましたが、およそ5,6年周期で引っ越しを繰り返して、今年WordPress.orgに移行しました。しばらくはこの形で続けていくと思います。また何か新しいサービスが誕生すれば、そちらへ移行することもあるかもしれません(割と新しいもの好きなので)。

ブログにアップし始めて数年経った頃からpixivはじめ投稿サイトが流行り出して、一時期は完全にそちらへ移行しようかと思った時期もあったのですが、場所を借りる以上、当然そこのルールに従わなくてはいけないので、リスクヘッジの意味も込めて二足の草鞋を履き続け、今に至ります。このメリットは先般のFANBOXでの強制非公開騒動の時にまさに感じました。
まぁ単純に、サイト構成も含めて作品のように思っているという部分もあります。自分のお店を構えているような感覚ですね。

さて、何はともあれ15年です。長いような短いような。私より上の方がたくさんいらっしゃるので自分はまだまだ若輩という感覚がずっとあるのですが、リアルでもとうとう管理職になってしまいましたし、着実に年月は経っているのだなぁと感じます。

創作でいえば、今年はやはり画像生成AIが一番大きいですね。
現状では賛否両論あって、法整備もまだまだこれからの技術ではありますが、創作の幅を広げる画期的なツールになると思っているので、今後さらに議論を深めて皆が妥協し合える落としどころを見つけていってほしいところです。

ここ最近でもAI絵を挿絵にしたお話を連載中ですが、これもAI絵があったからこそ生まれたもので、そうして創作意欲を刺激されたからこそ、他のお話を書くモチベが生まれたりもしています。そうした良い面がある一方、懸念点があるのも事実なので、投稿したものに問題があった際には誠実に対応する必要がありますし、法律関係も含めて最新情報は常に追っていかなければいけないなと考えています。

逆に、文章に関する生成AIを取り入れようという気は今のところありません。
これはきっと、私自身が自分を表現するツールとして文章を選んでいるからだと思います。自分を表現するのに、AIに書いてもらったところでカタルシスがないので、導入する意味がありません。自分が書けない表現とかを補助してもらう意味で使うことはあるかもしれませんが。

翻ってイラストをよくよく考えると、私はそれを自己表現ツールとしてみたことはありません。あくまで自分が上手いと感じる絵を描きたいだけでした。昔はそれでもよかったのです。上手いと感じるハードルが低かったので、何も気にせずどんどん描けました。

でも視野が広がるにつれ要求するハードルがどんどん高くなって、どうやっても自分の力ではハードルを越える絵を描けなくなる。そうなると描いても描いてもガッカリする。成功体験が生まれない。そして描かなくなる。悪循環です。ハードルが高くなる速度に見合うだけの練習ができなかったんですね。要するに努力不足です。身も蓋もない言い方をすれば、自業自得です。でも、諦めきれない。ならばどうするか。たかが趣味だけど、趣味だからこそある程度納得できるところまでやってみたい。

なのでイラストに関しては、大きく方向転換をする必要があるなと思い、今は筆を置いています。そういう意味でも画像生成AIは指針になると考えています。何せ自分が勝手に作ったそのハードルは、AIが超えてくれるので。だったら自分が描くイラストは、そのハードルとは別のところに着地すればいいんじゃないかと。上手い絵はAIに任せられるからこそ、自分が描くものは自由でいいんだと。そういう風に意識を変えていこうと今は思っています。努力するにしても、方向と推進力を確保する必要がありますから。

あと、意識を変えるという点でいうと、他の方との交流がありますね。
私自身、元々人見知りで引っ込み思案でHSPであることもあって、基本的に受け身でしか他の方と交流することができませんでした。何せたった数行返事を書くだけで数十分掛かるので、こちらからやりとりを増やせば心がへとへとになるのが目に見えているからです。斜に構えて、孤高を気取ってしないのではなく、単純に人一倍疲れるからできないだけです。

でも、したいなという気持ちはあります。感想を頂くのはとても嬉しいですし、好きなものを認め合うのは楽しいです。ただ、疲れてしまうのだけはどうにかしたい。もっと気軽に交流したい。

そういう意味でも、HSPを知れたのは大きいことでした。最近では関連書籍をよく読んでいます。それらの中には、疲れることに我慢したり克服しようと反発するのではなく、そもそも疲れにくいやり方や周囲の理解を得る方法を試してみるようなことも書かれています。

これはまさに目からウロコで、私からすれば「そうしてもいいんだ!」と思えるほど今までにない考え方でした。そしてそうであれば、何とか自分なりに交流できるのかも、という気にもなりました。

なので、急には難しいですが、少しずつでも自分が良いと思うこと、やりたいと思うことを、誰かに遠慮せず、自分に遠慮せず、やっていこうと思います。
それが16年目からの抱負です。

つらつらと書きましたが、長くなってきたのでこの辺で。
改めて、読んでくださる皆さんのおかげで私は書き続けられます。
ありがとうございます。今後とも、よろしくお願いします。

コメント

タイトルとURLをコピーしました